気功治療や医療気功治療に優る天啓気療院の書籍
天啓気療の能力とは・病気とは
まえがき 天啓気療の能力とは・病気とは O−リングテストの利用法とは |
お客様の天啓気療体験談 チャクラの覚醒、及びクンダリニーの上昇について |
私が体験したクンダリニーの上昇とチャクラの覚醒について あとがき |
天啓気療の能力とは・病気とは
【天啓気療とは】
実は私自身が、多種多様の不可思議な体験の末に、手をかざす事により、病気などの治療や心の癒しができるようになったのです。しかし、現在においては、多種多様の治療方法があります。例えば中国式気功とか、何々式整体、催眠療法などがあるのです。そこで、この治療方法を、他の一般に知られ行われている治療方法と区別するために考えた末、この私の発揮する能力は、天から与えられ、そして、啓示されたエネルギー、即ち、宇宙の気による療法であるとの意味を込めて、『天啓気療』と命名し、使用をしているのです。
【なぜ天啓気療の能力が】
私がなぜ、天啓気療の能力を発揮できるようになったかと申しますと、平成五年春頃に不思議な体験が始まった事にあります。それまでの私は、一級建築士や、一級建築施工管理技師として、建築工事や建築の設計、その他の管理などの仕事をしていたのです。ところが、私の能力が不足している部分もあったものと思われるのですが、仕事の内容や、状態などが思わしくなく悩んでいたのです。
ところで、願望を達成するためには、脳波の一種であるアルファ波の出ている状態で、自分の達成したい願望が達成して喜んでいるところをイメージすると、本当に願望が達成すると言われているのです。ですから、願望の達成や能力開発などを目的にして、アルファ波を出せるようにと訓練を実施している事でも知られているのです。そこで私も、少しでも能力の開発や願望が達成できたらと、約二十三年前から、身体の力が抜けて、リラックスした状態の時に出ると言われる、脳波の一種であるアルファ波を、好きな時に出す事ができ、更に、どのような場合であっても、身体の力が抜けて、リラックスができるようにと呼吸法や瞑想などを続けていたのです。
その結果、平成五年春頃に、夜遅く寝床につき、電灯を消し、目を閉じてから数分が経過した頃に、私自身の周りが、非常に明るく輝く様々な光に包まれたのです。以後、私自身の体の内部からも、外部からも、頻繁に不思議な音や声が聞こえ、更には、様々な出来事を身体で感じ取れたり、光や映像が見えたり、感じたりするようにもなってきたのです。その後、身体は勿論、病気の症状や種類などにも左右されず、その上、精神状態までも改善させたり、癒したりする事ができる素晴らしい能力を発揮できるようになったのです。
光を見たとは、普段の生活状態でありながら、色のついたセロハン紙を通して太陽を快晴の状態で直接見たのと同じぐらい強力な光であり、本当に強力な光の場合には、太陽が一度に千個同時とは言い過ぎかも知れませんが、とにかく、本当に強力に光ったように見えたり感じたりするのです。その現象を体験する場合には、夢などではなく、意識がはっきりした状態である時なのです。しかも、目を閉じると、即座にと言えるほど短時間後であっても、見えたり感じたりするのです。その際、真っ暗であってもそのように見えるというか、感じるのですから大変な驚きなのです。
その強力な光を見る体験をするごとに、身体は勿論、感情やものの見方までも著しく変化してきたのです。ところで、その身体の変化や感情などの変化ついては、本文中には様々な体験や変化として記載している訳ですが、多くの皆様方に対して正確に伝えるためには、文章にて書き表すのには少々無理があるのです。しいて書き記すとすれば、ただただ不思議であるとしか書けず、何度も書くが、言葉とか文章で表す事は所詮無理なのかも知れないのです。よって、文章にて正確に伝わっていないと感じた部分については、皆さんの自由な発想や想像にて判断をして頂きたいのです。
その後のある機会(健康補助食品の説明会)に、これまでに一度も会った事のない方から、初めて会った日に、「貴方はチャクラが覚醒[人間には、東洋医学などにて言う経絡の根幹集合部が七か所あり、その部分は、インドの言葉ではチャクラであると言われている。瞑想修行や呼吸法などを長期間実施する事により、そのチャクラが活発に活動してきて覚醒する事で、本来人間の持っている能力が目を覚ますと言われている]し、更に、クンダリニーが上昇していて超能力者になっている。従って、自我意識[心や感情、意識や思いなど]などをコントロールする事のできるエネルギーで、気功などにて用いる物理的次元の、エーテルエネルギーとは比較にならないほど素晴らしいアストラル次元のエネルギーを自由に扱い、病気を改善させたり、感情や心を鎮めたり、更には、落ち着かせたり、変化をさせたりする事ができる身体に既になっている」と言われたのです。
当時私は、チャクラとかクンダリニーの知識など全くなく、この方は何を基準にして、話し掛けているのかわからなくていたのです。また、私の身体の格好が変わっているわけでもないし、更には、意識的にも、肉体的にも、全く自覚もないのですから、信じる事ができずにいたのです。そう言われれば確かに、私自身の意識のあり方や考え方、更には、身体での感じ方など、あらゆる面で変わったようではあるが、まさか、そのようなばかげた事や、わけのわからない事があるはずがないと、何度も否定した事も事実あったのです。
事実私は、医師でもなく薬剤師でもないのです。よって、病気の種類や薬などの知識は、ないに等しいと言っても良いのです。しかし、信用に値しないのかも知れませんが、確かに手をかざすだけで、今日までに悩んでいた悩み事や、病気などが改善していく事もまた事実なのです。
ところで現在では、意識して判断をしようとしている訳でもないのですが、なぜ判断できるのかが不思議なのですが、病気になった原因や、どの部分に異常があるのかなどが、判別できるようになってきている事も事実なのです。また、手をかざして治療をしている場合などには、手の平に、肉体的な異常や、精神的な異常状態が感じられるのもまた事実なのです。
【天啓気療の最も注目すべき点】
最初に伝えたいことは、ここのところに書き記されている事柄は、この書籍全てに書き記されている内容の全てを、集約している部分である事を述べておきます。それほどこの部分は、大事な部分として理解をして頂き、是非皆様にもお役立て頂きたいのです。
ところで、皆様に絶対に理解して頂きたい事は、私が実施している天啓気療の最も注目すべき点は、病気の回復と同時に発現してくる思いもよらないほど素晴らしく、常識では考えられないような、大変不思議な良い現象がある事なのです。更には、このような現象は、普通考えられない事なのではあるが、仕事上においてや、他の方々との様々な付き合いなどにおいても、信じられないような、良き間柄となる話が発生したり、良き縁が発生したりする事があるのです。この件などは、理由がはっきりしているわけでもないが、真に不思議な事なのですが、現実として多く発生するものなのです。よって、私の能力は、考えれば考えるほどわからなくなるのもまた現実なのです。
また、私が天啓気療をお客様に対して実施する事により、病気の改善は勿論、お客様が抱えていた様々な問題が改善すると言う事は、お客様が、私の出しているエネルギーによって影響を受け、共振をしていると言う事にもなるのです。そうすると、私が長い間、修行として実施してきた呼吸法や瞑想は、様々な問題を解決する能力が、意識する事なく、自然と身に付いていると考えられるのです。従って、呼吸法や瞑想は、古来より珍重されているのかも知れないのです。ですから、皆さんも是非、呼吸法や瞑想を実施してみて、様々な問題を解決してみてはいかがでしょうか。
ところで、私のところを訪れるほとんどの方は、健康維持のためではなく、病気の改善を望んでおいでになっているのが、本来の目的のようなのです。そこで私はいつも、その方々に対して、「実は、病気が改善する事や、癒される事よりも大事な事がある。それはどのような事かというと、病気の原因は多くの場合、ストレスであると信じられ、理解され、そして、受け止められているようである。つまり、ストレスが少なくなり、心にゆとりが生じてくると心が安定し、身体には悪影響を与えなくなり、病気などにはならない事は勿論、自然治癒力によって、放っておいても、自然に改善するようである。それがたとえ、恐ろしいと言われるガンや、難病であってさえも良い結果となる」と述べているのです。
なお、私が強調して述べている、『自然の法則に即した愛』ということについては【神様とは・愛とは・宇宙とは・自然とは】のところで、詳しく記載しますのでお役立て下さい。
そこで、どのような事があるのか次に簡単に記載すると
第一、天啓気療を受けると身体の力が抜け、リラックスしてきて倦怠感を感じ、異常と言うほど眠くなるのです。つまり、リラックスしてきて倦怠感を感じて眠くなる事は、まさしく、身体の緊張がほぐれてきた事を物語っているのです。その状態が歴然と、しかも、短時間に現れてくるのです。従って、天啓気療によって精神状態や身体が癒された事になるのです。
第二、身体の内部は勿論、外部にあっても、身体の力が抜けてリラックスする事により、気の流れの感覚がいつでも感じ取れるようになる。つまり、身体全体に気が回れば、態度や心にも余裕が出てきて、「
貴方は気がよく廻る方ですね」と言われるようになるのです。
この件は、身体の力が抜けて、リラックスしてくる事により、今日までに感じ取れなかった体内を流れる血液の状態や、エネルギーなどが、感じ取れるようになるものと考えられるのです。勿論、自分自身の悩んでいる事柄や、どの部分に障害があるかなども、簡単に判断ができるようになるのです。
第三、身体の緊張が取れてほぐれた事により、肉体は勿論、精神状態までも癒された事になり、病気や悩み事などが改善してくると同時に、精神状態や心にも余裕が出てきて、今日まで他の人々との間に生じていた間題や、家庭内の、どのようにしても解決のできなかった争いごとなどが改善してくるのです。更には、思いもよらぬ人からの引き立てなどがあるようになるのです。また、思いもよらぬ方との縁が生じたりする事もあるのです。この事は誰であっても経験があると思いますが、自分の側にいる方が何となく落ち着いている場合には、自分もまた落ち着くので安心ができるのです。従って、争いごとが起こらなくなり、この人なら信用ができると引き立てを行ったりすると考えられるのです。
また、チャクラは七か所あるとされているのですが、どこのチャクラであろうとも、活発に活動させ覚醒させるためには、自然の法則に即した自然なる愛が最も大事であるとされているのですが、精神状態が癒され、肉体も癒される事により、心のあり方にも余裕が生じてきて、自然の法則に即した自然なる愛についての感情も、同時に自然に現れてくると思われるのです。従って、チャクラの覚醒も始まると思われるのです。
第四、自分自身でも、心のあり方や感情が変化した事を感じ、そして気付くが、周りの方々から、「貴方、最近何か良い事があったの。今までとは何となく違っているよ。明るくなったもの」などと言われ、本人が気付かない場合であっても、周りの人が気付く場合が多いようなのです。このような件の発言は、自分以外の方に対しては、普段の生活の上において、様々な事柄があったとしても、遠慮している事が多いはずです。特に、感情や身体の変化の状態には特別であるのです。ところが、良き状態になった時には別で、ほめたり、ほめられたりする事は、相手も自分自身も嬉しいものなので、何となく口にしてしまうものと考えられるのです。
前記した、第一、から第四、の内容を総合し検討すると、〈性格が明るくなり、リラックスできるようになる〉〈自然と微笑が出て楽しくなる〉〈微笑が出て楽しくなる事により、顔の表情が明るくなる。そして、多くの人から好かれ、好感が持たれるようになる〉〈依然として問題は解決していないにも拘わらず、気にならなくなり、気持ちの上でも楽になる〉〈何か言われると怒り、また、気にしていた事が気にならなくなり、相手に対して、同情やあわれみさえ持てるようになる〉〈今日まで嫌いであった人との間が改善し、より一層親密になる〉〈何となく嫌だった仕事が気楽にできるようになり、楽しくなる〉〈自分に対して、相応しい縁が結ばれる〉〈会社内において、ギクシャクしていた事柄が解決するようになる〉などが、多く発現してくるようなのです。
私が、病気だけが改善するのではなく、仕事面においては勿論、家庭内の夫婦関係や、子供との間においても、更には、社会生活をしていく上においても、様々な悩みや事柄においても、様々な現象として現れてきて、全く理解はできないが、良い方向に改善すると話すと笑ってしまう方があるのです。その時私は、『真に残念だな、なぜだろうかな』といつも思っているのです。残念な事ですが、これが現実であり真実なのです。しかし、このように、理由や理屈では割り切れない部分が現実としてあるのですから、素直に自分自身の生活の中に取り入れ、利用した方が賢明であると私はいつも思うのです。
ところで、身体の調子や感情の捉え方、心のあり方などが変わると言う事は、とりもなおさず、全体的に周りで発生する事柄に対しても、冷静沈着になり、しかも、考えにも力が入らず、リラックスもしているので、人間のもっともの欠点である自我意識を抑え、そして、鎮める事もできるようになるのです。従って、周りの人達ともうまく事が運ぶものと思われるのです。なぜなら、自然との調和をする事により、より正しい判断ができるようになるからなのです。
この事が、私が理想とするエネルギーの利用方法であり、全ての方々にとっても、最も重要なエネルギーの利用方法なのです。また、個人にて客商売などをしている場合には、極端に売り上げが向上したり、お客様の層が変化したりするので、歴然として、私の天啓気療のすごさを判断でき、そして、やがては理解もできるものなのです。この件を理解すれば、様々な事柄が、良き現象として変化していく事がわかるでしょう。
ところが、自然の法則から見た場合には、正しいのではあるが、自分から考えてみて、良き事のみが発生するものでもない事も、自覚しておかなければならないのです。病気や心の悩みが改善すると同時に現れる現象として、自分は、この方とだったなら上手くやっていく事ができると思っていたが、気の毒なほどの現象が表れ、別れてしまう場合や、仲違いをする場合などもあり得るのです。しかし、後日、冷静になって考えてみれば、なぜ別れる事になったのかなどが納得できるものなのです。また、嫌いで嫌な人だと思っていた方が、実は、本当に素晴らしい人であったと気付く場合などもあるのです。理由は、自分の精神状態は勿論、身体の具合が優れない時には、皆さんを取り巻くエネルギーなどは勿論、全てに対する判断力も、そして、運命的にも、落ちていると考えられるのですから致し方がないのです。
自分としての判断は、正しいと思っていたが、実は異なっていた場合などです。例えば人選は勿論、治療方法、健康補助食品などにおいての選択など、更には、あらゆる事柄に対しても発生しやすいようです。この件は、自分を取り巻く環境は、自分のその時点において想像したり思考した事が、たとえ、良き事でも、悪しき事でも、鏡に写るように実現される事が納得できるでしょう。ですから、「思っただけだから良いのではないか」とは、簡単にはいかないのです。よって、病気などに関しての思いなどもやはり同様なのです。つまり、自分の意識状態が安定せず優れない時に判断していた事は、実は判断ミスが多い事を物語っているのです。
よく精神世界では、心の悩みや、身体の悩みを改善しようと願うのなら、自分自身の心のあり方が重要であると言われているのですが、では、心のあり方とは如何なるものなのか。自然であり、自然に従うと良いと言われているが、では、自然とは何か。自然の法則に即した自然なる愛が最も大事であると言われているが、では、自然なる愛とは何を意味し、自然なる愛とは何かなどについても、もう一度、冷静になって考えてみる事も重要と思えるのです。
愛や自然について語る時、私は、私が過去に体験した様々な事柄を、捨てようにも捨てられないため、チャクラの覚醒とクンダリニーの上昇がうまくいかず、このまま死んでしまうのではないかと思えるぐらい、そして、表現のしようがないほど苦しんだ時、自分はどんなに辛くとも、神様に守られているのだから、「大丈夫」であると強く信じたのです。そうして、ようやく、過去の様々な悪しき体験内容や、悪しき考えをしていた事を受け入れ、そして認めた時、チャクラの覚醒とクンダリニーの上昇体験をしたのであり、更にその後、精神世界などにおいては、一般に悟りであるとされているが、神様とは何か、愛とは何か、宇宙とは何か、自然とは何を意味しているかが、判断できるようになったと話をしているのです。その判断については、【神様とは・愛とは・宇宙とは・自然とは】のところで記載します。
その判断とは、神様も、愛も、宇宙も、自然も、すべてが、人として、人間として、動物として、自然な態度で、そして、自然な心を持って生きる事と気付いたと話をするのです。ですから皆さんにも、身体にも心にも力を入れず、リラックスをして自然に生きる事を勧めているのです。それこそが、対価を求めない純粋な自然の法則に即した自然なる愛そのものなのですからといつも述べているのです。
また、病気の改善を望んで来た方の中にも、少数ではありますが、チャクラの覚醒や、クンダリニーの上昇を体験する方も実際におります。そこで、能力の開発やチャクラの覚醒、クンダリニーの上昇などに関心のある方は、是非、私の能力を体験して頂き、皆さんのお役に立てて頂きたいのです。ただし、何度も言っているように、霊性を上げたいとか、仕事の状態を改善したいとか、病気を早く治したいとか、チャクラの覚醒や、クンダリニーの上昇を体験したいなど、単なる自分自身が変わりたいとの目的でおいでになっても、良き現象にはならないようなので注意が必要なのです。また、目的が、興味本意である場合などには、もってのほかと言わざるを得ない行為なので注意が必要なのです。
私のところに来る目的は、自然の法則に即した愛ある行為や、自然の法則に即した愛に対する目的であるかをもう一度検討すべきなのです。その目的が、どのようなものかが定まっていない限り、素晴らしく良い結果は期待できないのです。従って、もし
貴方が、他人に対して尽くせる立場にあっても、尽くしていない方々の場合や、これからも、尽くしていく心が内在していない場合には、まずチャクラの覚醒や、クンダリニーの上昇など、無理と考えなければならないのかも知れないのです。また、現在迄、
貴方が行ってきた行為や、これから行おうとする行為は、自然であり、自然の法則に即した自然なる愛ある行為であり、他の方々の為にもなる行為であるかなども問題になるような気が致します。能力であっても、健康であっても、なぜなのか良くわかりませんが、自然の法則からみた場合に相応しく無い方には、たとえ、強く望んだとしても、与えられない事も、事実問題として現実にあるのですから注意が必要なのです。何が相応しいかは、
貴方自身が心に描かなくてはならないのかも知れないのです。ですから、病気になどなった場合には、必ず原因が存在しているのですから、その原因を素直に認める事が一番の解決法と考えなくてはならないのです。自分は特別であるとの意見もあるでしょうが、そのような都合のよい事柄は、絶対にないのですから注意が必要なのです。
チャクラが覚醒して、クンダリニーが上昇する方を注意して観察していると、必ずと言ってよいほど、できないながらも多くの方々のためになるように、努力を惜しまない方である事を記載しておきます。ですから、自分自身のためだけを目的にした方で、達成した方は全くいないと考えるべきなのです。ただし、病気の改善を望んでいる場合には、それほどまでに厳格に考えなくても良いと思います。しかし、劇的な改善を望むなら、やはり、意識のあり方や、自然の法則に即した自然なる愛のあり方が影響している事もまた知るべきなのです。
目的や目標とは、意識のあり方そのものの事であり、表れる現象は、善とか、悪とか、過去とか、現在とか、未来とかを判別し、判断する事などは全くいたしませんので注意が必要なのです。従って、たとえ、病気であろうと、恐怖であろうと、どのような事を望んだとしても、望んだ事そのものが現象として表れ、そして、
貴方の希望が達成されるのです。しかし、その望みが自然の法則から検討した場合には、貴方に対して相応しい事である事もまた事実なのです。ですから、争い事が発生するのも、最も恐れている病気になる事も、自然の法則からみれば、
貴方にとっては相応しい事と理解しなければならないのです。全くひどい話ではありますが、これが現実であり真実なのです。ですから、『ただ単に、思っただけであるのだから、良いのでは』とは、簡単には言えないのです。ですから、ただ単に思ったりする事が、最も注意が必要な事柄なのです。
従って、皆様に対して、心を鎮めるためにも、そして、良き事を思考するためにも、呼吸法や自律訓練、瞑想などを薦めているのです。
【天啓気療時どのように感じるのか】
私が天啓気療を行う場合には、お客様にはベッドにあお向けに寝て頂き、身体全体の力をできるだけ抜いて頂いているのです。次に、頭の上方より、腕全体の力を抜きながら手のひらを広げ、その広げた手のひらから、エネルギーを流すイメージをすると共に、エネルギーを流すのです。と同時に、お客様の悩んでいる臓器や患部にも、エネルギーを流すのです。この際、関連のあるチャクラに対しても、意識を集中しながら、エネルギーを流すのです。そのようにして治療を行っているのが、私の治療方法の特徴と言っても良いような気がするのです。その場合において、お客様と私の手のひらの距離は、約二〇センチメートル〜三〇センチメートルの距離がある事になるのです。
その後、全身に向かってエネルギーを流す事にしているのです。この場合においても、やはり、約五〇センチメートル〜六〇センチメートルの距離がある事になるのです。その際、頭部には、約五〇パーセント〜六〇パーセント程度の時間を費やし、残りの時間は、その方に合わせて実施をしているのです。なぜ頭部には、時間を多くさいているかと申しますと、人間の場合には、肉体の維持は勿論、精神的の事や感情など、全てに対してのコントロールの最重要中心部は頭部にあり、そして、脳は最も大事な器官(臓器)と言っても良いところだからなのです。
私がエネルギーを送り出すと、お客様は最初に、手や足にかすかな温かみを感じ、更に、弱い電気が流れているようになり、しびれたようにも感じてくるのです。そのかすかな温かみと、弱い電気が流れているようなしびれが、だんだんと身体全体に広がってくると同時に、手や足の緊張が取れ、リラックスしてきて重く感じてくるのです。更に時間が経過すると今度は、全身の緊張が取れると同時にほぐれてきて重く感じてくるのです。その重く感じると同時に、倦怠感と眠気を感じてくるものなのです。もっと、時間が経過すると、本当に全身の力が抜け、リラックスしてきて眠ってしまう方もいるのです。この倦怠感、及び、眠気が生じてこそ、身体の力が抜けてリラックスするのです。この状態こそ、リラックスであり、緊張が緩和されたと言うに相応しい状態であるのです。
この前記した内容の事を考えると、私の実施する天啓気療の特徴は、自我意識(喜怒哀楽や欲など)を鎮める事ができる事になるのです。従って、自我意識を鎮める事ができると言う事は、ストレスや自我意識により緊張した心や精神、及び、肉体などをリラックスさせる事ができる事になるのです。即ち、病気や、精神的な悩みなどを改善させる能力がある事になるのです。
その他、天啓気療の最中に、お客様により様々な現象が現れてくるのです。精神的な悩みがある場合には、歓喜のあまり、ひとりでに涙が出てきたり声が出てきたりして、泣かずにはいられなくなり泣いたりもするのです。ところで、催眠療法などにてもうまく行った場合には、同様の現象が表れてくるようですが、私の場合には、一切誘導をしたりしていないにも拘わらず、この件のようになってくるのです。そこが私の能力の特徴であり注目するところなのです。
また、長い間、筋肉や骨格に負担をかけている場合などには、ひとりでに、筋肉と言うか神経と言うかが動き出し、更に、激しく、身体全体が動き出す場合なども、約一〇パーセント程度は見受けられるようです。特に背骨が曲がっている場合や、いちじるしい肩こりなどがある場合、過去に様々な虐めや、虐待などがあり、無意識的ではあるが記憶として存在している場合などにも多いようなのです。
頭の中で何かが動いて変であるとか、身体が動いているとか、身体が浮いている感じがするとか、過去に痛かったところが変な何かを感じるとか、何でもなかったところが痛いとか、個人により様々であり異なるが、夫々に感じているようなのです。また、患部がはっきりしている方々などの場合には、患部の中にエネルギーのようなものが入ってきている事はわかるが、それが何なのかは、はっきりわからないが、確かに何かが入ってきて、うごめいているように感じていると話をする方もあるのです。
また、身体がリラックスしてきて肉体が消えたように感じ、更には、意識だけになる場合などもあるのです。更に、リラックスしてきた場合には、全く意識さえ消え去ったようになる方も少数ではありますがいるのです。様々な現象が感じられる事から、私の実施する天啓気療は手を触れてはいないのですが、確かに、精神的、及び、肉体的にも感じ取れるほどの影響力を持っている事になると考えられるのです。このところが、この治療方法の不思議なところでもあり、また、感じる事はあったとしても、見えない事を良い事に、
貴方は、多くの方を騙していると批判される原因なのかも知れないのです。
ところで、知っておかなければならない事柄として、私の治療や癒しを受けた場合には、私が体験した様々な不思議な体験と似たような体験をする事がある事を、記憶しておかなければならないようなのです。なぜなら、時々ではありますが、以前にはなかったのに、手がしびれるようになったとか、足がしびれるようになったとか、また、身体が意識もしないのに勝手に動きだしたとか、光が見えるようになったとか、幽体離脱が始まったとか、他人の考えている事が何となく解るようになったなどと言い、恐れてしまう場合があるのです。しかし、私の影響を受けて精神的、及び、肉体的にも、急激に変化が生じたために感じているだけなのですから、心配はいらないのです。私の様々な体験を理解すれば納得できるはずです。
その他には、例えばガンなどの場合には、恐怖による緊張のあまり周囲は勿論、患部自体も非常に硬くなっているものなのです。そこで、手や指などにて、外部より患部の状態を確かめる事ができる場合などには、私は、お客さんに対して、まず、自分自身で天啓気療を始める前に直接触れて、大きさや状態などを確かめる事を奨めているのです。その後、天啓気療を実施するのです。更に、天啓気療の後、再び患部に触れさせて変化を実感させているのです。改善の早い方なら、一回の天啓気療でも確実に変化に気付くので、より一層、私を信じてくれる事になるので現在はこのようにする事が多いのです。
ところで、治療をしていく上で私が感じる事は、手の平にお客様の異常部が存在する場合には、表現が難しいですが、先の尖った針を束ねて激しく突付いたように、非常な程の痛みが感じてくるのです。その痛みの大小により判断ができたりもするのです。また、他の様々な感じがする場合などもあるのです。例えば、一極に集中して痛みを感じる。手の平全体に血液が集まったように紫色の斑点ができたり、涼しい風のようなものが手の平全体に向かってきたり、更には、指や手の平などを全く動かせなくなる。特に、手の平全体に集中的に痛みが感じてきた時には、お客さんは、今日まで悩んでいた部分などが改善してくる状態を、歴然として感じるようなのです。
【不思議な体験の始まり】
このような能力が発揮できるきっかけになった体験を、もう少し具体的にお話しします。夜遅く寝床について、目を閉じた状態ではあるし、電灯も消してあるはずなのに、明るいので変だなと思い、腕にて目を覆ったのです。ところが、最初は、前方も、背後も、上部も、下部も、身体の周辺は勿論、どこまで行っても境界がないように、空間すべてが青い光を放ちながら、そして、まばゆいほど強力に光り輝きながら見えたのです。その青い光が見えたままで、次に、太陽を直接見ているような強烈な光が、・か遠くの前方から急激に身体に近づいてきたのです。その強烈な光が二つに分かれたかなと思う間もなく、二つとも、光の塊となって、身体に直接衝撃を感じるほどの勢いで、一瞬の間に入ってきたと言うか、襲ってきたのです。
何事か起きたのかと例えようもないほど興奮していますと、今度は、前方は勿論、背後も、上部も、下部も、身体の周り全てが、以前にも増して、より一層青く光り輝きながら見えていたのです。その青く光り輝く光を暫く観察していると、今度は黄色の光に変化をしてきたのです。その後、黄色から緑色になり、最後には黄緑色になっていったのです。その時の印象は、いずれの色も非常に輝き、身体以外のところは、すべて光の海のようであったと表現しても、言い過ぎではない体験に、大変驚いた事が平成五年春頃にあったのです。しかも、自分自身の身体は、意識だけになっていて肉体が消え去ったようになり、更には、周りにあった物などが、記憶や意識から全く消え去ったと感じていて、驚くばかりであったと記憶しています。
その後、様々な色にて光り輝きながら見えていた強力な光が、年数、及び、時期が経過するごとに、様々な色の光に変化をして行き、最後には色の付いていないような、透明に近いような光に変化をして行き、ただただ、強く光り輝くようになっていったのです。その光を見る機会が、数え切れないほど多かった事を思い出します。なお、現在の場合であっても、透明ではあるのですが、やはり、光り輝く事は同じような気がしています。また、ごく最近感じる事は、光り輝くと言うより、透明になって光っていると表現したほうが、正確なのかも知れないような気がいたします。
ここで注意をしなければならないのは、強力な光を見る場合には、最初は必ず色が付いているようなのです。しかし、自分自身の次元(自我意識の在り方など)が変化してくるに従い、様々な色に変化をしてきて、最後には透明になるようなのです。ヨガや様々な学説では、すべての色を混ぜ合わせると透明になると言われています。つまり、チャクラには、それぞれの身体に対する影響や、特徴があると同時に、特徴のあるエネルギーや、様々な色が関係している事から、すべてのチャクラの働きや、クンダリニーの働きが活発に活動をし、そして、変化をして優れてくる事により、最終的には、すべてのエネルギーが互いに混ざり合い、そして、互いに影響を与えながら増幅して活動をするため、見える光の色が透明になるのです。
ところで光が見えたとしても、様々な色が付いて見える場合には、チャクラの働き自体がバランスの取れていない状態であり、まだまだの状態なのかも知れないのです。特に一色の場合などには、まだまだと考えられるのです。ですから光が見えると言っても、色々な色が付いて見えている状態では、様々な能力もまた、まだまだなのかも知れないのです。
更には、夜明け頃になると、毎日と言っても言い過ぎではないほど頻繁に、・か遠くの出来事なので音は全く聞こえないが、稲光だけが光っているように感じたり見えたりもしていたのです。その稲光が急に激しくなり、私の身体をめがけて直接落ちたと言うか、つながったように感じたり見えたりもしていたのです。その際、身体全体が激しく反応をし、私の意思に関係がないように、手と言わず足と言わず、ところかまわず激しく動いていたのです。また、その稲光が身体めがけて入って来たように感じた直後、焼けるように身体全体が非常に熱くなり、一瞬のうちに炎に包まれたと感じたり、更には、身体のどこと定まっている訳ではないが、身体から炎が噴出したり、炎をあげて燃え出すように見えたり、感じたりしていた事も頻繁に起こっていたのです。
この件のように、見えたり感じたりするのは、いずれの場合であっても、瞑想中か、寝床について横になり、身体から力が抜け、リラックスした状態になった時であり、しかも、意識がはっきりとしている時に体験をするのです。ですから、光りを見ると言っても、結構恐ろしいものなのです。
前記のように、大変恐ろしく感じる場合や、本当に素晴らしく感じる場合などがあり、全く不思議であり、理解に苦しむような様々な現象が頻繁にあったのです。
【治療の能力があると言われて】
不思議な体験の始まりのあった平成五年春頃、私は、片手間に健康補助食品の紹介販売もしていました。『このほど脳に障害がある方は勿論、ぼけの方も改善し、どんな病気にも効果がある健康補助食品が出たらしいので、是非きてほしい』との連絡が入ったのです。そのようなものもあるのかなと疑いながらも、東京の秋葉原にあるホテルの会議室で行われた説明会に出かけたのです。
その説明会が終了した後、ホテルの中にある喫茶店に入ったところ、説明会に来ていた方で初めて会った方に、「こっちに来てみないか」と声を掛けられて行ってみると、「
貴方は、素晴らしい治療のできるエネルギーを持ち合わせている。能力者として選ばれた印の男の神様が頭の上に現れ出ているが、貴方はわかるか」と言われたのです。
「この人はなんだ」。見ず知らずの初めて会った人に対して、治療のエネルギーが出ているとか、治療ができるとか、神様が頭の上に現れているなんて言うとは、頭がおかしいのか、宗教にでも凝ってしまっているのかと最初は思っておりました。更に、よく聞いてみると、今日までの私の不可思議な様々な体験、現在の状態や状況などについても全て知っており、目には絶対に見えないはずなのにわかってしまうなんて、すごい人も世の中にはいるものだなと感心をしていたのです。
【私の使命、及び治療の方法について】
健康補助食品の説明会に来ていたその方の話ですと、「貴方は、これからもっと、次々と様々な事を体験していくはずだが、その体験の中には非常にきれいで感激をしたり、気持ちが良くなったり、嬉しくもなり、もっと体験したいと願うときもあるだろう。しかし、辛くて、恐ろしくて逃げ出したいくらいの事もあり、本当に、これが現実かと疑いたくなるぐらい多くの、嫌な、そして、恐ろしい体験もするはずである。そのため、嫌かも知れないし、気に入らないかも知れない。だが、このような状態や身体には、たとえ望んだとしても誰でも簡単になれるわけでもないのであるし、本当に素晴らしい能力を神様から頂いた以上、真剣に取り組む必要がある。それが、
貴方に与えられた使命であり役目であるので、貴方が、好むとか、好まないとかに拘わらず、おそらく逃げ出す事は不可能である」と言われ困惑していたのです。その時、「貴方の運命と言うより宿命みたいなもので、絶対に避けては通れない」と言われて、またまた驚くばかりでした。それにしてもとんでもない、それこそ信じられないような事を、見ず知らずの初めて会った人に言うなんて、私はその時、心の中であきれていても何も言えなかったのも事実なのです。
「ところで、その時いくら辛くとも、貴方を指導し導いてくれるほどの能力者に会う事は期待するのが無理なのです」と言われたのです。「なぜかと言うと、瞑想修行などをしている人は大勢いる。ところが、本気になって修行をしても、能力者には数百万人に一人になれるかどうかわからないほど少なく、ましてや、チャクラが覚醒してクンダリニーが上昇する人は、希少価値がある」と言われ、益々驚くばかりであったのです。
「また、なぜに無理かと言うと、一般的には超能力と言われているが、それぞれ特徴があり、参考にはなるが解決にはならない。だから、貴方自身が、自分に付いてくれている神様を信じ、更に、自分自身が冷静になり心を鎮め、指示を仰ぎながら修行をしていかなければいけない」と言われ、益々困惑したのでした。
しかし、当時私としては、あまりよくわからずにその方と別れましたので、後日になってから会って尋ねたくなり、その方の知り合いの方に訪ねましたが、住所や電話番号などがわからず、連絡も取れず、残念な事にいまだに会う事ができずにいるのです。
「それと現在(平成五年夏)は別な仕事をしているわけですが、やがてはこの治療の能力を使い、多くの悩みある方達の治療をしていかなければならなくなる。それが、宿命と言う」と言われ、私としてはなんか狐にでも馬鹿されたみたいで、やはりこの人は普通ではないと思わずにはおれませんでした。
その方の話ですと、「治療の方法や使い方は能力者により違っている。ある能力者の方は人形を使用し、人形に手をかざしながら、そして、遠方の病気や様々の悩みのある方を想像しながら、治療を行う遠隔という方法を用いている。また、その患者の側にいて、手をかざしながら行う治療や癒しの方法もある。それから、
貴方が今後治療をするに当たりどのような方法にしたら良いかは、自分自身で瞑想や呼吸法などの修行を積みながら、そして、考えながら習得する問題である」と言われたのです。
その時、「私の場合は、このようにして、手をかざしている」と実践をして見せてくれたのです。「ところで、私の場合には、約四十五分前後の時間がかかるが、貴方の場合は、現在で約十五分前後が最適であろう。しかし、将来は、約三十秒〜三分程度一日置きに七回程度にて、どのような病気でも改善させる事ができるようになるので修行を積むように」と言われたのです。しかし、私の能力は、現時点ではまだまだなので、今でも毎日、瞑想や呼吸法などを続けているのです。
【気功による治療・チャクラの覚醒した人の治療】
チャクラはどなたでも、気の次元(物理的次元のエーテルエネルギー)では活動していると言われています。そのチャクラがアストラル(自我意識のエネルギー)次元やカラーナ次元へ覚醒する事を、一般には、覚醒したとか超能力者になったと言っております。呼吸法、瞑想、断食、水行、滝行など長い期間修行を続けた場合には、本来人間の持っている能力が向上し、チャクラが活発に活動をしてきた場合に起こる現象なのです。チャクラが覚醒すると、どのような能力が発揮されるかと言うと、「病気を治したり病気を癒す」「透視をする」「予言をする」など、特に病気を治療する事や癒す事をしたりする人の場合には、心の底からの思いやりや、自然の法則に即した自然なる愛が大切であると言われているのです。
ところで、この頃大変注目されている気功、つまり、気のエネルギーの場合はどのようなものかと言うと、誰でも働いているものなのです。気功、つまり、気の次元のエネルギーは、自分自身の身体の中でも働くが、身体の外へも出して他人へも働きかける事もできるのです。気功術というのは、その気のエネルギーを他人の身体に働きかけ、自然治癒能力を活性化させ、健康な状態に導いて整えようとするものなのです。しかし、気のエネルギーの場合は物理的次元であるため、せいぜい二〜五メートルぐらいの距離が有効なのです。それ以上離れて行うと、あまり身体に良く作用しなくなるのです。五メートルとか十メートル以上距離がある場合には、もう気功はほとんど効果が期待できなくなるのです。ところが、チャクラが覚醒してアストラル次元や、カラーナ次元のエネルギーを作用させる事のできる人の場合には、距離に左右される事はなく、東京であろうが外国であろうが届き、そして、作用して効果があるのです。そこの部分に非常に違いがあるのです。
そのような事から、アストラル次元のエネルギーやカラーナ次元のエネルギーは、つまり、物理的次元ではなく、特にクンダリニーが上昇し、チャクラが覚醒した場合にのみ発揮できる特殊能力であり、気功のように肉体に働きかけるエーテルエネルギーではなく、心や魂に働きかける事のできるエネルギーであり、全く性質の違うものなのです。そして、アストラルエネルギーや、カラーナエネルギーをコントロールできる人を超能力者などと呼んでいるのです。ですから、同じチャクラでも、どの部分が覚醒したか、また、どの次元で覚醒したかで働き方や、作用の仕方やさせ方が個人により全く違うわけなのです。ただし、アストラルエネルギーや、カラーナエネルギーをコントロールできる方の実施する治療や癒しの効力は、幽体離脱現象などと同様、距離に左右されない事は事実なのですが、現時点では、私としても全くわからない事柄なのです。
なお、気功術の場合には、気の次元(物理的次元)で活動していれば十分に発揮できるのであって、どなたでも能力に格差がありますができるのです。従って、以前に気功師と称している方々の治療を経験した方の場合には、私の治療を体験する事により、より一層私の能力を理解して頂けるものと確信をしています。
【天啓気療の遠隔ヒーリングについて】
原則的に対象者が目の前にいないので、直接エネルギーを流す事はできません。そこで、天啓気療を実施する患者さんの姿を思い浮かべ、そして、患者さんの様子をイメージしながら天啓気療を施すのです。
最近注目されている気功療法においても、本人がこの場にいなくても、本人がどこにいるとイメージをする事や、写真などを使用する事により、実際に施術しているのと同等の効果が得られる方法であると主張されています。ところが、気功療法は物理的次元のエネルギーであり、気のエネルギーと言うのはどの方々であっても働いているのです。気の次元であるエネルギーは、個人の体内でも働いているのですが、意識をする事により、身体の外側へも出し、他人の身体に対しても働きかける事ができるのです。しかし、気の次元のエネルギーは、せいぜい二メートル〜十メートルぐらいの距離までが有効であるとされています。それ以上離れてくると、効果が薄れてくるのです。
ところで、意識の次元であるアストラル次元ですと、外国であろうとどこであろうと、遠くまで届き有効なのです。そこのところが、気功と私の能力の異なるところなのです。ですから、気の次元のエネルギーとアストラル次元やカラーナ次元のエネルギーは、全く性質が異なるものなのです。例えば、以前に気功の治療を受けた事がある方々が、後になって、私のエネルギーを直接受けたならば、歴然として、
貴方の身体や感覚によって、全く異なっている事が判別できるのです。ですから、気の次元でチャクラが目覚めたか、アストラル次元かカラーナ次元か、どの次元でもって目が覚めたかが最も重要であるのです。よって、働き方も能力も全く異なるので効果の出方も全く異なるのです。
【病気とはどのようなもの】
一概には言えないと思いますが、血液、体液、生命エネルギーなどが、緊張やストレス[警戒心、嫉妬、哀しみ、臆病、憎しみ、病気などの恐怖]などにより滞り、自然治癒力が低下した事を称して、病気と言っていると思うのです。病気とは、気が病むと書く事でも理解ができると思います。
しかし、私の考えとしての病気とは、肉体及び精神状態などが自然の法則に即した状態にある場合には、身体には異常が無い状態なので、健康体などと言われる。その反対に、肉体及び精神状態などが自然の法則に即した状態では無くなった場合には、身体に異常がある状態なので、病気になったなどと言われる。即ち、自然の法則に即した状態に肉体、及び、精神状態などがある場合には、病気とは言わないのです。要するに、自然の法則に即した自然なる生活をしている場合には、病気などには縁がない事になるのです。ですから、自然の法則に即した自然な態度にて生活をするためには、自然の法則に即した自然なる愛のあり方や、自然の法則に即した自我意識のあり方などが大事であると何度も述べている訳なのです。
ところで、近年の生活水準の上昇、医学の進歩、医療の充実により、日本人の平均寿命は世界に誇れるものとなっているのです。その一方で、社会は複雑化し、多くのストレスを抱え、ガン、糖尿病、高血圧、心臓病などの生活習慣病、うつ病などに代表される神経的障害など、心身ともに様々な病気などに悩む方々が多くなっている。特に、現代はあまりにも多くの経済的ストレスは勿論、職業の不安などを抱えているため、心の悩みなどは深刻になるばかりとも言える状況なのです。そこで大事なのが、天啓気療や呼吸法、瞑想や自律訓練などにより、自我意識による緊張やストレスをほぐし、その事により、自然の法則に即した自然な態度にて生活をする心にも余裕が生じてくるのです。その心の余裕により、肉体的にも、精神的にも、安定感が増し、更には、自然治癒力が活発に活動してくる事になり、様々な病気や心の悩みなどが改善するようなのです。
私の天啓気療を受けると、ほとんど全員の方が、眠気や倦怠感を催してまいりますが、その眠気や倦怠感こそ、一番大切な、ストレスの解放そのものであるのです。つまり、リラックスに他ならないのです。また、呼吸法や自律訓練、瞑想などの場合においても、身体の力が抜けリラックス状態になり、やはり、眠気や倦怠感を催してくるのです。ですから、呼吸法や自律訓練、瞑想などの方法は、誰であっても、気軽に実施できる最良のストレスを開放するための方法なのです。従って、太古の昔から多くの方々が実施しているのです。ですから、私も、多くの方々に薦めているのです。
ところで、病気の原因は、大きく分けて三種類あると思います。
第一に、先祖や親からの遺伝によるもの
体型や顔が似ているのと同じで、性格や病気なども類似している場合があるのです。また、体型や顔の形状、顔色などは、五臓六腑にも関係している事が以前よりよく知られているのです。即ち、病気に対しても関係している事にもなりますが、詳しい説明に付いては、今回は省略する事に致しました。ところで、よく考えると、先祖や親からの遺伝的要素、並びに第三にも述べていますが、様々なストレスが互いに影響をしあって、複雑になっている場合なども結構多い事も事実なのです。更には、本人の持ち合わせている性格により、思い込んでいる場合などもあるので注意が必要なのかも知れないのです。
動物である人間には、様々な危険から子孫を守るためにも必要と考えられますが、遺伝子として、先祖や親が体験した様々なる重要な事柄や体験、それに伴うストレスなども引き継がれていると考えなければ、理解できない病気なども存在しているようなのです。従って、この件に付いては、因縁であるなどとして扱われているので、皆様よくご存知の事と思います。私が体験した幽体離脱や、過去の世界と思われる現象を見たり、感じた事を理解すれば納得がいくと思うのです。
【私の病気体験から】のところにも記載しますが、望診と言う見方の方法もあるので、今後機会があれば触れてみたいと思っております。
第二に、外的要因によるもの
転んで腕を折る事や、交通事故などにより、外部より受けた急激なショックに耐えかねて、骨や筋肉などが損傷した場合などがあげられます。また、ギックリ腰なども、外部よりの力によるものと考えられるのです。
骨や筋肉が損傷した場合には、原因がはっきりしていると同時に、よほどの事がない限り、やがては、人間の肉体が本来持っている自然治癒力によって、完全とは言えないまでも、修復され回復していくものなのです。ですから、天啓気療を実施すると、自然治癒力が一段と増し、早期に改善するのです。特に、スポーツなどにて傷めた場合などには、筋肉など身体が鍛えられているため改善が早いものなのです。
第三に、ストレスや緊張が原因によるもの
病気になると、真っ先に病院を尋ねる事が一般的です。確かに、医学の進歩は目覚ましいものがあり、緊急時や、どうしても手術などが必要な場合には、絶対になくてはならないものとして認めなければならないのです。しかし、医者や薬では根本的に病気は治らないし、改善もしない事もまた知るべき事なのです。たとえ、あの方は世界一の名医と言われていたとしても、病気を治したり、改善させたりする事は全くできない事なのです。
ところで、ある雑誌に多汗症についてとして、医師のコメントが寄せられていました。多汗症は、気持ちや精神的問題ではなく、病気であるから、交感神経を切除する事が必要と書いていました。しかし、私が考えているのは、人間は元々動物であり、危険を察知した場合には急いで逃げたり、武器を持って戦ったりしなければならないのです。よって、しっかりと武器を持ったり逃げたりするのには、簡単に滑ったりしないように、手の平や足の裏には汗をかかなければならないのです。昔の人は、素手であり素足だった事を考えれば納得ができるのです。例えば、武器を持って戦う場合や、急いで逃げる場合には、身体が極度に緊張をするために、交感神経もまた極度に緊張をするのです。よって、精神的問題などによって極度の緊張がいつまでも続くと、身体が常に極度に緊張をしている事になり、よって、交感神経自体もいつでも緊張をしている事になるのです。従って、交感神経は勿論、血管なども極度に緊張をして血液の流れも阻害され、そして、冷え性と共に、多汗症などの症状が表れると考えられるのです。
そこで、ストレスを和らげ、精神状態の解放をすると改善するようなのです。つまり、西洋医学では、対処療法である手術でなければ無理と判断をしていても、ストレスが和らぎ、自然治癒力が増してくると改善してくる事がわかるのです。また更に、他の様々な病気なども殆どが同様と考えられるのです。勿論、ガンや、他の種類の病気などであったとしても同様の事が言えるのです。特に、極度な精神的な症状の場合には、必ず手の平は冷たい事と、多汗性である事でもわかるのです。
ここのところで、最も注意を払わなければならないのは、病気を改善させたり治す事ができるのは、皆様方自身の持ち合わせている自然治癒能力であって、絶対に、医学や医者や薬の力でもなく、医学や薬はあくまでも補助的であって、根本的に改善させたり治したりする事はできないのです。また、どのような能力者であったとしても、できない事と自覚すべき事なのです。たとえ、私であっても、絶対にできないし、全く無理なのです。
例えば、何らかの原因により、出血をした場合を考えてみれば納得するはずです。出血をした場合には、血液中に流れている血小板などによって、血液が必要以上に流れ出ないように傷口を凝固して防ぐのです。と同時に、白血球などによって、外部より進入して肉体に対して害する細菌などを退治しながら、傷口を修復して行くのであって、医学や医者や薬は補助的には役立っているかも知れませんが、どこにも、直接的には役立ってはいないのです。直接的に役立ち作用しているのは、紛れもなく、自分自身の持ち合わせている自然治癒力に他ならないのです。この傷口の例は、外部よりの細菌に対してですが、肉体内のあらゆる病気に対しても、同様の事が言えるのです。
たとえ、私であっても、補助的であって、直接改善させているのではないのです。従って、病気の原因たるストレスや自我意識、自然の法則に即した自然なる愛などについての捉え方によって、改善する度合いが異なる事になるのです。ですから、愛のあり方や自我意識の在り方、ストレスの状態などがどんなに大事な事かがわかるのです。私の場合には、皆様の持ち合わせている自然治癒力を、本来の正常な状態に呼び覚ます事ができる能力を、持ち合わせている事が特徴なのです。その能力を駆使しているのであって、私が改善させたり治したりしているのではないのです。ですから、もし
貴方が、私のところにおいでになり、治療や癒しを行っても改善しにくい時には、もう一度、自分自身の、今日までの思考や行為のあり方を考えてみる良い機会なのかも知れないのです。
病気やストレスから一日も早く開放されるためには、自我意識や愛について、心を鎮め、思考しなければならない事は、太古の昔から語られているのです。従って、自我意識や愛について、心を鎮め、思考するためにも、最も大事な呼吸法、瞑想、自律訓練などを薦めているのです。
次に記載した事柄を冷静になって考えれば、納得ができるでしょう。
誰でも知っている通り人間は、心のある感情の動物であると一般的に言われています。確かにその通りなのです。人間の本質は、心、生命、気、魂、そして、肉体から成り立っている事が知られているのです。そこで、心や感情をひもといてみると、気そのものなのです。気とは、生命エネルギーであり、肉体を動かしている原動力であり、源でもあるのです。ですから、元気があり行動ができるのも、病気になったりするのも、この気、即ち、生命エネルギーが、心のあり方や感情によって、様々に形を変えて肉体に表れてくるのです。肉体に表れてくる現象は、様々な自我意識による不安や、ストレスなどによる場合がほとんどなのです。この件は、以前よりよく知られている事であって、ここで、あえて述べるまでもないのです。
また、よく心の病気の代表として、不安症や自律神経失調症、パニック症などがあげられます。ところが、ここに記載したように、様々な病気と称されているもの全てに対しての原因として、意識の在り方や、自我意識の在り方などの、気エネルギーそのものが関係していると申しても良いのです。即ち、不安症や自律神経失調症、パニック症などだけが心の病気ではなく、全ての病気が心の病気と言っても言い過ぎではないのです。そして、治療方法として精神安定剤などの薬物療法や、心理療法などが試みられるようですが、あまり良い結果が期待できないようなのです。勿論、他の病気などにも様々な薬などが用いられますが、やはり、対処療法にしかならず、多くの方々が悩んでいるようなのです。要するに、肉体には勿論、心のあり方や自我意識のあり方にも余裕がないために、早期の改善は望めないのです。
ところで、普段の生活状態では、ほとんどの方が物質的な物を信じ、更に、肉体的次元、(肉体など生命のある物質から出ているとされ、エーテル次元エネルギーと言われている)つまり、形のあるものや、目に見えるものを信じているのが一般的であるのです。それは、どのような事かと申しますと、例えば、胃が痛いとして医療機関に行くと、まず、
貴方の身体は現在どのようになっていて、胃のどの部分が悪いのかなどを、医療器具などを駆使して、場所などを特定するべく診察をするのです。その診察をする際、胃は物であり、物質として診察をし、そして傷みもまた、悪い部分があるから痛いとして判断をするのです。
その際、精神状態や心のあり方、自我意識(喜怒哀楽や欲など)や生命エネルギーなどは、全くもって無視されているのが現状なのです。ところが、実際はどうでしょうか。私のところに天啓気療を受けに来る方々の話をよく聞き、そして、行動などを観察していると、この物理的や物質的、更には、肉体的に判断する事は、全くもって間違いである事が判明するのです。
それはなぜか、胃が痛いというのには原因があるのです。第一に、神経的であるわけですが、神経的とは、心の中に恐怖心や、心配事がある場合などがほとんどであるのです。なぜ、恐怖心や心配事がいけないかと言うと、恐怖心や心配事が存在すると言う事は、取りも直さず、ストレスや緊張があると言われる事であるのです。ストレスや緊張があると、肉体内にある脳は勿論、筋肉や細胞、神経などにもストレスや緊張が生じ、筋肉や細胞にも悪影響を及ぼし、異常な状態になるのです。ストレスや緊張こそが一番厄介なものなのです。
例えば、胃が痛い場合には、胃に関係があり、外的要因や、感情によるストレスにも関係があるとされるマニプラチャクラに負担が生じ、正常な状態に機能しなくなる事が全てと言っても言い過ぎではないようなのです。ですから、マニプラチャクラの特徴や機能を理解しなければ、どのような治療方法であっても、どのような訓練方法であっても、根本的な改善は望めないようなのです。つまり、マニプラチャクラとは、どこにあり、また、肉体内にある五臓六腑のどこと関連があり、どこの部分に影響を与え、そして、どこの部分からの影響を受けているかなどを知らなければ、本来の意味での病気の改善や、心の癒しは得られないようなのです。
また、医師やマスコミは勿論、皆さんすべてと言っても言い過ぎではないほど、ストレスや緊張が原因で病気になるとそのように信じ、更には、納得しているのが実状と言ってもよいような気もするのです。ところで、ストレスや緊張とは言うが、では、ストレスや緊張とは何なのか、どのようなものであるかが問題であって、私は次のように考え、そして、理解をしているのです。
ストレスや緊張の原因となるものの意味をひもといて、簡単に理解できるようにしてみると、様々なる思考や意識状態においては、アストラル次元のエネルギーを出していると一般には述べられているのですが、それは、自我意識の事を指していると理解ができるのです。それでは自我意識とは何か、自我意識とは、一般的に知られている言葉にて表現すれば、欲とか、喜怒哀楽の事を指していると解釈できるのです。つまり、アストラル次元のエネルギーを単純に考えてみれば、喜怒哀楽の事を指していると解釈できるのです。すると、アストラル次元も喜怒哀楽も同じ事を指し示している事になるのです。それではまず、喜怒哀楽の事を考えてみなければならない。喜怒哀楽とは、喜び、怒る、哀しむ、楽しむ、などと解釈できるのです。ではなぜ、喜怒哀楽が生まれてくるのかをひもといてみると、欲があるからこそ喜怒哀楽が生まれてくる事が理解できるのです。しかし、欲を持つ事は全く悪い事かと申しますと、一概には言えないところがあるのです。もし、人間に欲がなかったのなら仕事をする事も捨て、困難に向かって努力する事もなくなり、更には、命さえ簡単に捨てかねない事になるのです。従って、適度な欲が必要である事が理解できるのです。
ここで、注意をしなければならないのは、喜びや楽しい事は大変重要であり良い事なのであるから、ストレスや、緊張を生まないのではないかとの疑問が生じてくるのです。ところで、喜びや、楽しいと表現する事の反対は何であるかを考えてみれば、納得がいくのではないでしょうか。どのような現象であれ、心のあり方であれ、裏を返せば何とやらであって、必ず表裏一体である事がわかるのです。つまり、表があれば裏もある事が納得できるものなのです。従って、どのような場合においても、たとえ、喜びであっても、ストレスや緊張はあるものなのです。ですから、意識としては良いと考えても、心の中には、「もしかして、この良い事は、続かないのでは」との意識も存在するのです。即ち、絶対に良い事として考えても、この件は、悪いのではと考えている部分も心の奥底には隠れているものなのです。
例えば、私はガンが恐ろしいので、ガンにはなりたくないと願っていても、結局は、私はガンになりたいと願っているようなものなのです。ですから、ガンは勿論の事、病気の事など、意識も考えも持たない事が大事なのです。つまり、自分には、元々病気などには縁がないとして、気にしない事が大事なのです。なぜなら、ガンと言う病気を怖がっているからこそ、ガンになりたくないと思ったのです。ガンに対する恐怖、即ち、ストレスとなっている事は、紛れもない事実となるのです。
食事のあり方なども、やはりストレスとなる事があるのです。例えば、太り過ぎているから痩せようとして食事制限などを実施すると、肉体的にも精神的にも負担が生じ、やがては多大なストレスとなり、様々な生活習慣病を引き起こしたり、拒食症や過食症などに悩む事があるのです。拒食症や過食症などは、それこそ代表的な心の病気なのです。
一般に知られているプラス思考とか、マイナス思考なども同じ事であり、程度が問題な事が理解できるのです。ですから、プラス思考だけが良いのではなく、やはり、マイナス思考も裏を返せば何とやらであって、やはり重要な事なのです。例えば、
貴方の周りで発生する全ての現象は勿論の事、ありとあらゆる様々なる物体、どのような出来事や結果であったとしても、必ず表があるなら裏もあるのです。
次にもし身体に悪影響を及ぼすとしたら、怖いなどと思い、警戒する警戒心。私よりあの人は、何々が良いなどと嫉妬する嫉妬心。何々が、哀しいなどと言う哀しみ。仕事を失敗したら、試験に落ちたらどうしようなどと思う臆病な臆病心。あの方には、ひどい目に遭わされたと言う憎しみなど。ありとあらゆる恐怖心などにも共通するのです。この事自体全てが喜怒哀楽であり、欲があるからこそ生じてくるのです。それこそ、その欲が最も恐れる結果をもたらすストレスの原因でもあるのです。
この喜怒哀楽と欲を称して自我意識と言う事から、自我意識があるからこそ生命を維持し、この地球上に人類が栄えていると解釈できるのです。ですから、その自我意識が、
貴方に対して相応しい自我意識であるかが問題であるのです。要するに、程度が問題である事がわかるのです。勿論、病気などに対しても、自我意識(恐怖や欲)が先に発生するのであって、病気になったから自我意識(恐怖や欲)が発生してくるのではないのです。絶対に間違ってはならないのは、自我意識(恐怖や欲)があって、次にストレスが発生し、そして、そのストレスが原因で病気などになるのですから注意が必要なのです。
ところで、この喜怒哀楽や欲が難なく叶えられ、更には、喜びなどに変える事ができ、そして、耐えられる状況にある場合においては、ストレスや緊張は最小限に抑えられ、身体に及ぼす影響は少ないのです。ところが、叶えるのに困難な場合や、心身ともに耐えられないような状況の場合には、大きなストレスとなり、更には、緊張を生み、身体に多大な影響を及ぼし、やがては心身に異常な状態が生じてくるのです。その心身に現れた異常状態を、病気になったなどと一般には表現していると思うのです。ただし、個人によって願望の種類や大きさなどが異なっているのと同じで、緊張感やストレスなどの捉え方も、個人により格差があるものなのです。よって、病気の種類や場所、程度などが異なると思うのです。物事や人物、思いや感情などに対して様々な反応する事をストレスが生じるとか、緊張するなどと言うと私は理解をしているのです。
また、なぜ反応をするのかは、人間は元々動物であり、生き延びるためには予期せぬ危険がせまる事もあるのです。従って、昔は自分の身を守るためには、危険な事を察知して避け、更には、食べ物を確保しなければ、生命を維持できない状況であったのです。しかし、時代が変わり現代では、生命を維持できないような危険な事や、食べ物を確保する問題は少なくなったと言っても良い状況にあるのです。ところが、依然として、人間の生命を守り続ける本能については変わる事はなかったのです。
現代とは言え、やはり、生命を安全に維持し、生きて行かなければならないのです。従って、病気などの恐ろしい事や、危険な事を避けるための警戒心や臆病心も必要。自分より他人が優れていると、いつ職業や生命、食料などを奪われて失うかも知れない。しかも、危険な事があっても困るので、嫉妬心や憎しみ、警戒心なども必要。仲間との別れや、親族などとの別れなどがあれば危険が増し、更には、辛いので、哀しみや恐怖、臆病心なども必要。病気や死に対しては、生活が安定すればするほど、様々な面において少しの恐怖であっても恐怖心が増し、更には臆病になり、必要以上に敏感になり、異常なほどの反応を示して益々ストレスが増してくるのです。また、緊張の状態が長く続き、身体は勿論、精神的にも悪影響が出てくるものと解釈ができるのです。
ところで、肉体より出ているエネルギーは、エーテル次元エネルギーと言われ、それに対して、自我意識(喜怒哀楽や欲など)より出ているエネルギーは、アストラル次元エネルギーと言われている。自我意識の出すエネルギーは、圧倒的に次元が高く、そして、五感によって感じる事はあるが、物質としては存在せず、目には全く見えないものである。しかし、強力で洗練されていて、肉体より出ているエーテル次元エネルギーに対して、絶大なる影響力を持っているとされているのです。従って、自我意識のエネルギーとは、アストラル次元エネルギーの事であるので、自我意識のあり方が、健康を維持する上でも、仕事上や家庭生活を営む上でも重要なのです。最も簡単に要約すれば、生命を維持する上で最も重要であると言わなければならないのです。
自我意識(喜怒哀楽や欲など)をできる限り鎮め、そして、抑制するためには、できる限り身体の力を抜き、リラックスする事が最も大事である事は、太古の昔から語り継がれ伝えられているのです。そこで、自律訓練や呼吸法、瞑想などにてできる限り身体の力を抜き、自我意識(喜怒哀楽や欲など)を鎮める事を薦めているのです。
なお、身体の力がうまく抜けた時には、皆さんよくご存知のとおり、脳がアルファ波と言われる脳波を出している状態になるのです。その脳波がアルファ波の状態になった時に、自分の願望をさり気なく、はっきりと、その願望が達成され、自分自身が喜んでいる状況をイメージする事により、自分自身の願望が達成されると言われているのです。
【天啓気療を実施した場合、改善しやすい方】
病気を「治した」「治った」とよく聞きますが、これには問題があると思います。いくら能力があり素晴らしくとも、あくまでも、皆様の持っている自然治癒力を活発に活動させただけであり、それは、病気を治したのではないと私は思っています。
よく聞く事に、どこの病院で病気が治ったとか、どこの治療院で治ったと言われている事が多いのですが、そのような事は最初から存在しないのです。なぜなら、病院や治療院は、皆さんに対して自然治癒力がよみがえる手助けをしたのであって、病気が治ったのは、皆さんの自然治癒力が治したのです。ですから、ここのところが、病気の改善や心の悩みなどの改善に対して、多くの方が勘違いをしている事にもなるのです。要するに、絶対に病院や治療院では、病気や心の悩みなどは改善しない事が判明するのです。つまり、自然治癒力が病気を治したり、心を癒したりする事ができる全てであって、最も大事である事を考え直さなければならないのです。
私はいつも「自然治癒力を活発に活動させるのであり、一概には言えないのかも知れませんが、改善しています」と答えています。ただし、意識のあり方や愛のあり方により、個人差は著しくある事もまた事実なのです。ですから、意識のあり方や、自然の法則に即した自然なる愛のあり方が大事なのです。
様々なエネルギーに対する感受性には個人差があり、感受性の強い方も、弱い方も現実にはおります。感受性の強い方は、天啓気療効果も即座に表れ、改善しやすいものなのです。改善しやすい方の場合には、私がエネルギーを送りだすとほぼ同時に、手や足は勿論、全身がしびれたように感じてきて、身体全体から力が抜け、手や足は勿論、身体までも自分自身では動かす事ができないようになる場合もあるのです。さらに、ほんのりと身体が温かくなり、異常と言うほど眠気や倦怠感が感じられ、肉体は勿論、心までもがリラックスするようになります。この眠気や倦怠感に付いては、【好転反応と思われる現象について】としても述べるので参考にして頂きたい。
第一に、改善しやすい方と言っても、様々なタイプがあるわけですが、最も改善しやすい方は、次に述べる第二の条件と、第三の条件双方を持ち合わせている方である事を述べておきます。この方の場合には、例えば、私のところを訪れて直接治療を受け、その後、他の方々と一緒に私のところを訪れ、その時たとえ治療をしていかなくても、治療を受けた場合と何ら変わらない良い現象が起こるのです。
また、その後、私のところへは直接訪れず、他の方々に対して私の話をしただけであっても、やはり、私のところへ訪れて治療を直接受けた場合と同様の現象があるのです。この事は、なぜなのかはよく判明している訳でもないので、ここでの記載は避けます。しかし、確かにそのような現象がある事は事実である事を述べておきます。そこが、愛の在り方や、意識の在り方が大事と言われる所以なのかも知れないのです。だからこそ、
貴方に愛があれば、愛によって救われるのかも知れないのです。また、このような方の場合には、病気などにはなりにくいのです。もし万が一、病気になったとしても軽く済むものなのです。この行為こそ、本当の意味での自然の法則に即した自然なる愛のエネルギーの放出なのです。
第二に、改善しやすい方の場合は、私のところに来て天啓気療を受けた方で、自分が改善したのだからと多くの方々に対し、私の不思議な能力を紹介する方と言っても良いような気がするのです。この方の場合には、自分自身も今日まで病気などにて様々な苦労をしたわけですが、その苦労と同じ事を自分以外の方もまたしている事を察し、自分以外の方々にも、自分の味わった幸せを少しでも分けてあげたいとする自然なる愛の心が働き、私の事を紹介していると考えられるのです。しかし、ここで最も理解をし、注目をしなければならないのは、自分以外の方々に対し、手をかざすだけで病気が治ったと説明をし、説得をするのには、よほどの覚悟がなければ説明は勿論、説得など全くできないのが現状なのです。なぜなら、「
貴方はだまされているのよ。手をかざしただけで、病気が治ったなんてあるはずがない。そんな方法で簡単に治るのだったら、医者や病院が要らないわよ」と白い目でみられ、更には、軽べつされかねないのが日本の現在の実状であるからなのです。また、「以前にあったじゃない。人をだました宗教が、あれと同じで
貴方はだまされているのよ」と笑われる事などがあるのです。さらには、そのような事を信じて、他人をだましてはならないと忠告される事さえあるのです。
ところで、そのような事情があるにも拘わらず、説明をして説得できるのは、私を信頼するからこそ、そして、自分自身をも信頼し、他人をも幸せにしたいと願うからこそであり、何を言われようとも恐れずに、自然に真心を込めて紹介する行為を実施したためにできた結果であるのです。この行為こそ、自然の法則に即した事であり、見返りを求めない愛そのものである事が理解できるのです。また、この方の場合などは、自分の知り得た素晴らしい情報であっても、独り占めする事なく、大勢の方々の為になればとの意識が、無意識ではあるが存在するのです。要するに、心の在り方がオープンになっているのです。
このようにして紹介などができる方は後にも記していますが、アナハタチャクラの特徴を理解する事により、より納得できるものなのです。従って、その方の話を素直に受け取った方の場合には、特に私への信頼も増し、そして更に、紹介をした方をも信頼し、また、自分をも信頼している事が判明するのです。この方の場合にも、紹介をしてくれた方と縁があった事を理解すれば判明するのですが、やはり、アナハタチャクラに特徴がある事が理解できるものなのです。なぜなら、その紹介をする方々の意識が正常なら、付き合う方や縁ある方もやはり同じようなタイプであり、正常な意識状態である事がほとんどであるのです。よって、その方もまた正常なる判断をするものなのです。この事は、昔からのことわざに、「同じ穴の狢(むじな)」とか、「朱に交われば赤くなる」などとして戒められているので理解ができるはずです。ですから、自分が良き方向に進みたいのなら、そして、自分の幸せを願うのなら、他人を恨み、落とし入れようなどとは考えない事が重要なのです。
更に、いつでも、自分自身の行動や、態度などには気を付けなければならないのです。誰も見ていないから「大丈夫」とはならないのです。絶対に間違ってならないのは、自分の行為や心の思いは、他人に対しては秘密にできますが、自分自身に対しては、うそやごまかしは絶対にできないのですから、注意が最も必要であり大事な事なのです。
ところで、その紹介されて私のところを訪れた方もまた、私との間の信頼関係が予めできあがっており、より一層改善しやすくなるようなのです。ですから、私のところを訪ねる頃には既に、身体の不調だった部分が、完全と言わないまでも回復していたり、精神的に悩んでいたものが無くなったり、軽減されていたりする事があるのです。今日まで、自我意識のあり方によって体調が優れていなかった方が、自分以外の方の話を素直に聞く事ができるようになると、今日まで不足していた自然の心や、自然の法則に即した自然なる愛の心が呼び起こされてくるのです。すると、自我意識が鎮まり、緊張が取れてきてリラックスしてくるのです。従って、前記のような現象内容が起こってくるのです。
昔から愛とは、人のためになれば良いと願いながら黙って役に立つ事とか、報酬を求めず人の役に立つ事などと言われているのです。この自然に行った行為こそ、愛がある行為、自然の法則に即した自然なる愛そのものなのです。昔から、「
貴方に愛があれば、愛によって救われる」と言われている所以である事が納得できるはずです。いつの場合であっても、私は、全ての治療方法に共通しているのは、無条件の愛があってこそ実現できるのであって、見掛けの愛であってはならないと話をしているのです。見掛けの愛とは、単に、あの人が好きだとか、男性が女性を、女性が男性を好きになったから、愛であるなどと表現される場合があるのです。この愛とは、動物的肉体的情愛であって愛ではないのです。愛とは、誰に対してでも無条件に見返りを求めない状態であり、たとえ、自分自身が不利になったとしても、相手を思いやり、認め、許す事ができる場合の心のあり方を言うと考えられるのです。
ここで注意すべき点は、例えば、過去に受けた数々の虐待や、虐めなどの事実をいつまでも認める事ができず、更に、受けた相手を許す事ができずにうらんでいる場合などには、極力、純粋な自然の法則に即した自然なる愛や素直さを持って、自分自身に対して対処するようにしないと、取り返しのつかないほど自分自身を痛めつけ、膨大なるストレスを生む事となるので特に注意が必要なのです。
なお、真実の愛については、【神様とは・愛とは・宇宙とは・自然とは】のところで詳しく述べる事にします。
第三に、表情が明るい場合です。表情が明るい方の場合には、意識が自分の内側を見つめている場合より、外側を見つめている場合が多いのです。つまり、外部に存在するものですが、自分以外の方々もまた、外部に存在するものと解釈でき、含まれているものなのです。その中には勿論、他人に関する感情や、心遣いなども含まれていると解釈できるのです。
自分以外の外部を見つめると体調が回復しやすいのは、意識が外側を向いている場合には、外交的な方であり楽天的な方であるのです。よって、自我意識や慾などにも恐れず、勿論病気などにもくよくよ悩んでいない事が特徴としてあげられるのです。この方々の場合には、アナハタチャクラの良い面が発揮されているのです。
ただし、周りの方々を気にもせず、遠慮もせず、考えもせず、ヘラヘラとしていると言う意味ではないので、注意が必要であり重要なのです。この方々の場合には、自分の主張のみをしているのであって、ムーラダーラチャクラや、スワディスターナチャクラの悪い面が出ているだけなので注意が必要なのです。
昔からよく言われる教訓に、病気が治りたかったら〔人のために尽くす事。尽くしておく事〕〔病気になったのだから戦わない事。あきらめる事。そして、病気である事を認める事。更に、病気の事を忘れる事〕などが述べられているのです。ただし、その場合ではあっても、第二、の条件に該当する部分が、少しもないと認められる場合には改善など難しいのかも知れないのです。
前記の第一から第三の教訓は、簡単なようで大変難しい。しかも、単純であるため信用に値しないように理解される事があるのです。しかし、私のところへ来る方々を観察していると、絶対に、一例として例外がない事も事実であり、信用に値する事柄なのです。
【天啓気療を実施しても改善しにくい方】
様々なエネルギーに対する感受性には個人差があり、感受性の強い方も、弱い方もいますが、感受性の弱い方は、天啓気療の効果も弱い場合があります。感受性の弱い方の場合には、警戒心、嫉妬、悲しみ、臆病、憎しみ、その他、病気の恐怖などに対して必要以上に敏感になっている場合が多いようなのです。また、ありとあらゆる事柄に該当するのではあるが、著しく物事や物に対しての執着欲、恐怖(自分で気付く場合は少ない)心などが心の奥底に潜んでいる場合などには、一時回復しても、またすぐに戻ってしまい残念な結果になる場合があるのです。特に、著しくお金や土地などに執着している場合や、幼少期に虐待などの恐怖体験をしている場合などには、改善しにくいような気がするのです。また、幼少期に虐めなどの恐怖を体験した場合であっても、同様に改善しにくくなっているようなのです。更には、自分自身に対して大事な方が病気などにて亡くなっている場合において、恐怖などを目の当たりにした場合などには、恐怖の記憶として残っている場合などがあり、自分もまたその恐怖を体験するのではないかと、恐れていたりする場合などもまた改善はしにくくなっているようなのです。
また、家族や生活をしていく中で重要な方々などに対して、自分自身の病気や悩みなどを秘密にしている場合なども、やはり、改善はしにくいようなので気を付けなければならないのです。また更に、自分に対して不利になるからとして、周りの方々に対し、病気の悩みなどを初めとし、様々な事柄などを秘密にしている場合や、自分だけは幸せになりたいが、他の方々には幸せになってほしくないとの思いが、たとえ心の奥底であっても、そして、たとえ無意識状態であったとしても、また、思ったり考えたりしている方なども同様のように感じます。
どのような事かと申しますと、例えば、病気などを改善させる事のできる素晴らしい方などがいる事を知っていても、秘密にする方などは、心の奥底に無意識ではあるが、他の方々には、幸せになってほしくないとの意識が潜んでいると考えても良いのです。従って、この方などは改善がしにくいのです。ですから、他の方々に対し、私の事などを紹介する方が、一番改善しやすいのかも知れないのです。理由は別として自分自身を守るために、他の方々を落とし入れようとしたり、他人の利益を阻害しようなどと考えない事が大事なのです。自分は、この件には該当はしていないと思っていても、該当する方が意外と多いのですから注意が必要なのです。この方々の場合には、無意識的に行っているのであって、意識的に行っているわけでもないが、それであっても、秘密にする事による心の痛みからストレスとなり、その事により改善しにくくなると思われるのです。
ところで、極端に改善しにくい方の場合には、自分自身の心の中では、改善したいと強く願っているのではあるが、心を素直に解放できない事が多いようなのです。どのような事かと申しますと、まず、感激した時や悲しんだ時などに素直に涙が出てこない方、普段は絶対に泣かない方、心の中では泣くが、外見的には涙を流す事ができない場合などがあるのです。つまり、心の緊張を解放する事が少ない場合などがあげられるのです。更に、涙を流す事ができる環境になかった場合(特に幼少期に両親などの虐待などがあり、泣く事を禁止されていた場合など)や、現在も、涙を流して泣ける環境ではない場合などには改善はしにくいようなのです。従って、心のあり方で、同情心や自然の法則に即した自然なる愛について、私が強調している事が理解できるはずです。
なお、涙は、血液の一部である事が判明している事からも考えてみれば、たびかさなる様々な緊張から、血液自体もまた病気と同様になっていて、正常なる働きができないものと考えられるのです。改善しにくい方の場合には、理由は別として、自分自身の自然治癒能力や、行動に対しても信頼をしていない事が多いようなのです。この方々の場合には、他人をもまた信頼できない事が多いので特に注意が必要なのです。
幼少期に虐待などを受けた経験がある場合や、両親がどちらかでも虐められていたり、ないがしろにされている事を目撃していたりする場合には、警戒心が、何事に対してでも極端に強くなっており、簡単には、たとえ誰に対してであっても、心を開く事はできないようなのです。この方々の場合、心を開こうと努力すると、過去にあった様々な体験に関連するものと思われる現象に類似する極端な恐怖体験をするので、治療をする側も、なぜ、恐怖体験をするのかなど理解をしてあげて、更なる、自然の法則に即した自然なる愛を持って対処し、細心の注意を払わなければならないようなのです。
また、全ての方々ではないが、方々の治療院はもとより、方々の病院などにかけもちで通院をしている場合などには、悲惨な状態や結果になる事が多いようなのです。理由としては、どこの治療師であろうとも、医師であろうとも、信頼をしていない事になり、自分自身の事もまた、信頼しているとは言いがたいようなのです。この方々の場合には他力本願であり、自分に原因があるにも拘わらず、認めて、受け入れようとしていない事にもなるのです。また、誰であっても自然治癒する能力を持ち合わせているにも拘わらず、自分の本来持ち合わせている自然治癒力などは、全くないがしろにしている事が多いようなのです。
ところで、昔からの教訓に、「お金とは、感謝の心で支払ってこそ大きな働きを生み出す」とされ、そして述べられているのです。この教訓を裏付ける事がある。それは、理由は別として、遠隔などを実施した場合に、最初は支払うが、改善してきて最後の頃になると支払わない方などは、最初は改善したとしても、瞬く間に元の状態に戻る事が多いようなのです。その後、以前にも増して辛くなる事が多くなる場合もあるようなのです。
また更に、私が、自我意識の在り方や、自然の法則に即した自然なる愛のあり方により、改善する度合いが異なる事、いちじるしく物事や物に対しての執着欲がある場合や、相手を認めて許す事ができない方の場合には、たとえ過去の問題であっても、現在の問題であっても、著しく好転反応らしき現象に悩み、そして、苦しむ事があるし、改善もしにくい場合があるのです。と、説きながら天啓気療を実施しているにも拘わらず、
貴方は、改善すると言っていたが、自分は改善しないのであるから、貴方はうそをついているなどと攻撃をする方が、稀ではありますがいるのです。
このように、相手を攻撃する方の場合には、著しく悩み苦しむ事があるので注意が特に必要と思っています。この方の場合には、後日取り返しのつかない事が起こり、想像を超えた現象を体験する事になる場合が多いようなのです。たとえ、その攻撃をした方が、本人の家族や友人であろうとも、同様となるようですから注意が必要なのです。この事は、家族も友人も、縁ある方は、同じ意識のあり方や、愛のあり方である事が判明するのです。ですから、「同じ穴の狢」と言うことわざがあるのです。
ところで、私は治らなかったと後になってから攻撃をしたとしても、同じ結果になるようなのです。なぜなら、この方々は、心の中に、以前より、このような攻撃する意識を潜ませていたと考えるべきなのかも知れないのです。従って、改善がしにくかったのです。ですから、心のあり方や、自然の法則に即した自然なる愛のあり方について、もう一度考えてみるべきなのです。また、自分が知り得た情報のみの判断により、知り合いの方などに、たとえ誰の事柄であったとしても、「どこのあの人は良くなかった」などと触れ回る場合などには、全くもって問題にならないのですから注意が必要なのです。この場合などは、自然の法則に即した自然なる愛がある行為とは、程遠いと考えなければならないのです。
従って、様々な病気や、心の問題などが改善してくる事自体難しくなっているのです。ここで、注意をしなければならないのは、大半の方々は、無意識的にではありますが、自分自身を有利に運ぼうとして、自我意識である慾などが優先し、心がオープンになっていない事が多いのです。自分は、心や意識がオープンの状態であると述べている方々であってさえも、本当の意味でのオープンには、なっていない事が多いようなので注意が必要なのです。
またさらに、理由はどうであれ、何度も簡単に時間を変更したりする方や、時間を守らない方も、やはり、改善はしにくいと考えなければならないようなのです。たとえ、交通の事情や仕事の事情があったとしても、同様となるところが不思議なところなのです。この事を考えるに、自分が幸せになり、病気から解放されたいのなら、この教訓や自我意識について、他人を落とし入れたり恨んだりする事は何であるかを、そして、お金とは、時間とは、個人の自由とは何のために、そして、いずれのために存在するのかなどをもう一度初心に立ち返り、検討してみる事も心得なければならないような気がするのです。時間の件の場合などは、相手に対して迷惑がかかるばかりではなく、他の方々の時間をも消費しまっていると考えられるのです。
その他には、自分自身としては手かざしなどには興味がなく、誰々からの紹介だからとか、親が言うからとかの場合などには、表面上、理解はしているように思えるが、無意識的には嫌がっている事があるのです。その際、話をした方が患者に対して圧力的な立場にあり、その方に対して不平不満が存在している場合などには、特に改善はしにくいのです。従って、精神的に追い込まれて悩んでいる病気などの場合には、特に注意が必要な気がするのです。ところで、病気の原因は、精神的な事が原因の場合が多くをしめている事が太古の昔から知られているのですから、圧力的とか、不平不満とかの件は重要であり、最も注意をしなければならない事柄なのかも知れないのです。また、例えば、私が病気とはとの話をしても、話を聞いたはずなのに、たとえ直後であっても、自分の身体の事ばかり述べる方がある。この方の場合などは、紛れもなく、自分の身体のみに意識がある事になり、心が開放されていない典型的な方と申しても良いような気がする。これでは、改善する病気も、改善しにくくなる事を望んでいるようなものなのです。
【改善しやすい方と改善しにくい方の違い】
ところで、改善しやすい方か、改善しにくい方かの見分け方の例として、腰痛に対して天啓気療を実施した後、私の問いに対して、応答するときの言葉の意味について述べる事にします。
まず私が、「腰の具合はどうですか」と尋ねた事に対し、改善しやすい方は、「そうだな、まだ、少し痛みが残っているが、来た時よりだいぶ改善しているな」と答えるのです。それに対して改善しにくい方は、「来た時よりだいぶ改善しているが、まだ、少し痛みは残っているな」と答えるのです。この件は、よく考えるとわかるのですが、改善しやすい方は、改善した事を強調しているのです。それに対して、改善しにくい方は、改善しない部分を強調しているのです。つまり、改善しやすい方は、改善した部分を探し求め、改善しにくい方は、改善しない部分を探し求めている事になるのです。
その後、再び私のところを訪れる頃になると、歴然として改善の度合いが異なっているのです。要するに、答えた答えは同じであっても、意識に対するエネルギーの配分や、捉え方が異なっているだけでも、短期間に歴然と違いが表れてくるのです。ですから、意識のあり方や、自然の法則に即した自然なる愛のあり方が大事なのです。
後日になって、ああなった、こうなったと言ってくる方もありますが、その方もまた、改善しない部分を探し、そして、強調をしている事が大半であるのです。
これでは、改善しにくくなってくる事を、望んでいるとしか解釈できないのです。ですから、例えば、軽い病気になったとしても、意識のあり方によって、良き方向に進むのも、悪しき方向に進むのも、
貴方次第であり自由自在なのです。また、たとえどのような件であれ、相手などの考えには耳をかさず、自分の考えのみを押し付ける方なども、同様と考えなければならない気が致します。たとえどのような事柄であっても理由はあるのですから、一応は耳をかすべきなのです。
ところで、女性に比較して、男性の方が改善はしにくいようです。なぜなのかを考えてみると、女性の場合には、元々子供を産んで育てる宿命があるために、元来肉体自体も耐久力もあり丈夫であり、また、子供を守るためには、男性に対しては勿論の事、様々なる環境に対応し、順応しなければ生きていけない。よって、対応や順応が元々しやすいものと考えられ、従って、他の様々なるエネルギーに対しても同様と考えられるのです。それに対して、男性の場合には、女性を獲得し、自分の子孫を残さなければならない立場にあり、外敵である他の男性を追い払うという宿命があり、攻撃的であり、疑い深く、そして、警戒心などが元々備わっており、他の方の意見などは受け入れがたくなっている。従って、他のエネルギーに対しても同様となると考えられるのです。
【私の病気体験から】
私は十七歳の頃に、朝方の安静時であってさえも、血圧が二百三十前後に上昇し、顔色は黒紫色になると共に、顔一面に吹き出物ができており、更には、倦怠感が極端なほどにあり、十数か所の病院に行き診察をして頂いたが、全く、原因やどこの異常であるかがわからず、仕事にもならず途方に暮れていたのです。
そこで、ある病院に入院をしてはみたが、何が原因で現象が表れているのか、どこの異常かがわからないのであるから、治療の方法を見つける事などなく、一か月ほどにて改善する事が全くなく退院をしたのです。
その後、約一年間に渡り仕事もせず、ブラブラと休んでいたのですが、このような事はいつまでもできないと考えたので、ある機会に、身体が治らないのならもう二度と戻らないと決心をし、福島県の原町市より埼玉県の岩槻市に働きに行ったのです。
当時私は大工職人として働いていたのですが、その時、電気工事屋さんが、ところであそこの薬屋は人の顔の形や顔色を見て、性格や、どのような病気になっているのかがわかるなどと、いいかげんな事を言っていると悪口を言っていたのです。その話を聞いていた私は、もし、顔の形や顔色を見て病気の事がわかるのなら、病気の原因や、どの薬を使用すれば改善するのかもわかるはずであると理解をし、埼玉県岩槻市にある薬屋さんをすぐに訪ねて行ったのです。
早速、そこの薬剤師さんに会うと、なぜなのかわかりませんが、私の生まれた時の事から今日までの事、心のあり方は勿論、性格や身体の状態、顔の形や顔色の事、さらには、五臓六腑との関連や関係、漢方薬などの説明を三時間ほどかけて本当に詳しく説明をしてくれたのです。
その時私は、嬉しくて、嬉しくて、驚くばかりであり、感激をして涙をこらえるのが大変であったと記憶をしています。なぜなら、物心が付いた頃から今日まで、悩みに悩んでいた病気や心の事までが、私が説明をもしていないにも拘わらず、一瞬の間にわかる人が現実にいたのですから、しかも、医療器具など全く使用せず、それこそ、不思議なほど簡単と思える方法にて判断をしたのです。
ところで私の病気は、ムーラダーラチャクラ、及びスワディスターナチャクラと関係があるとされる腎臓系の機能が正常に働かなくなっていたため、倦怠感が取れなくなり、さらには、高血圧になり、血液も汚れていたので、顔色は黒紫色になり、吹き出物もできていたとの事であったのです。その他の臓器も血液が正常でないため、様々な影響が出ていたようなのです。特に、心臓にも負担がかかり、精神的にも負担が生じていたため、緊張状態が長期化しており、手の平が冷たく冷え、いつでも手の平に冷や汗のような汗が極端に出ていて、多汗症のような状態になっており、大工職人であったので、綺麗に仕上げなければならない天井張り工事などの仕事をする場合には、手袋や手を拭く布などを欠かせず、大変な苦労をしていたのです。また、肝臓などにも影響があったため、身体が重く感じ、仕事が思うようにできなかったのです。また更に、マニプラチャクラに関係のある脾臓系も、正常に機能する状態ではなかったため、脾臓系に属する胃や腸の機能も優れず、下痢や便秘も繰り返していたようなのです。
ところで、チャクラが覚醒する順番には、特徴があり、過剰に働き過ぎている場所などから覚醒すると言われているのです。この件は、例えば、胃が弱い方は、胃に関係する脾臓のチャクラとされるマニプラチャクラが最初に活動が始まり、覚醒が始まると考えられるのです。従って、私の場合にも、ムーラダーラチャクラが真先に活動を始め、次にマニプラチャクラの活動が始まり、それぞれ、覚醒が始まったものと思われるのです。チャクラの覚醒は、その方の働きすぎる特徴のある部分から覚醒する事も、この事実から判明するようなのです。皆さんも、覚醒が始まるとすれば、特徴のある部分からと思っていると良いのではないでしょうか。
また、この私の病気の件は、医学の知識がある方なら詳しくわかりますが、現在の日本の医療の主流である西洋医学では、全く手の付けられない腎臓系の異常だったのです。しかも、重症状態であり、透析寸前だったのです。ですから、涙が出るほど感激をして喜んだのです。
その薬剤師さんの指示通りに漢方薬を使用したところ、一週間後には顔色が良くなってきて、さらに、顔にできていた吹き出物までも、まるで別人のように改善してきたのです。その薬剤師さんに聞いたところ、私は長い間薬剤師と漢方医をやっているが、
貴方のように重症な方は見た事がない。ましてや、腎臓系の場合には、見方がわからない場合には、全く助ける事ができない病気であると言われたのです。また、この見方の方法は、望診と言い、人相学や骨相学の一種であるとの説明をも受けたのです。
そこで私は、自分自身でも望診や人相学、骨相学などを勉強するようになっていったのです。よって、望診や人相学、骨相学などは覚えていったのですが、しかし、望診や人相学、骨相学などでは、私が、薬剤師でもなく医師でもないので、病気の事はわかっているのですが役には立たず、宝の持ち腐れになっていたのです。
その後、私は能力開発を目的に、リラックスをする事により、脳から出ると言われるアルファ波を、いつでも好きな時に出したいと呼吸法や瞑想を始めたのです。そして、現在の能力を持つようになったのです。
もし私が、重症であり、しかも、腎臓系の病気の経験がなかったのなら、現在のように能力者にもならなかった事であろうし、病気で苦しんでいる方々の内心など理解もできず、そして、いたわる事もできず、更には、見分ける事もできなかったはずなのです。ですから、病気も大事な事を教えてくれる勉強の一つのチャンスであると考えられるのです。
また、この件のように、たとえ悪口の情報であったとしても、極く少ないチャンスを生かし、素直に解釈しなければ、今日の私の姿はあり得なかったのです。なぜなら、私と同様の病気になったとすれば、人工透析を実施し、最終的には廃人と同様になっていると考えられるのです。従って、どのような情報であっても大変大事なのです。それが人生の分岐点なのです。つまり、分かれ道なのかも知れないのです。
ですから、私が、病気などを改善させたり、癒したりする能力を持ち合わせている事を知った場合に、皆さんがどのような捉え方をするかによって、皆さんの人生自体が変わる事もあるのです。よって、自然な態度にて、他に発生している様々な事柄を、素直に捉える事のできる心のあり方や、意識のあり方が大事なのです。
ところで私は、多くの方々を喜ばしたいとボランティアの意識や誠心で、この薬剤師の先生のところへ、勉強も兼ねながらであったが、病気で悩んでいる方々を連れて行ったり、私の住んでいる福島県に先生を招き、多くの方々を診て頂いたりしていたのです。勿論、全くどの方々からも、手数料などを徴収する事などはなくです。ですから、このボランティアの意識や誠心の事を考えると、私のアナハタチャクラにも、元々の性格としての特徴があったようなのです。よって、アナハタチャクラの場合には、他のチャクラに比較して、特別に劇的なほどの覚醒体験があったのかも知れないのです。
この件でもわかるように、もし皆さんが本当に病気から解放されたいのなら、そして、チャクラの覚醒や、クンダリニーの上昇を試みたいのなら、私の行為や心のあり方を見習うと良いのではないでしょうか。ただし、あまりにも単純ではあるが、金銭が絡み損得勘定が介在しているため、手数料を取っているのではないかと疑われ、理解が得られない場合が多く、簡単なようで簡単ではないので付け加えておきます。
【改善しやすい方になるためには】
病気のすべてが恐怖ではない
病気は、恐ろしく悪いものである。病気は、肉体に異常が起きた状態である。病気は、絶対に治さなければならない。病気を治すのは、病院であり医師である。
このような考えや概念は、全くもって間違っている事に気付かなければならないのです。病気になる事は、決して恐ろしく悪いものばかりではない。病気は、肉体に異常が起きた状態だけとばかりは言えない。病気になったなら絶対に治さなければならない事もない。病気になったからと言って、病院に行き、入院したら悪化する人だってある。だから、私は病院に行くのは嫌だし、病気は、自分の自然治癒力で治すのだから、病気などは怖くないし、大丈夫である。など、逆転の発想も必要と思われるのです。つまり、開き直りも必要なのです。
私のところへおいでになる方々の中に、病気であるから、何が何でも治して下さいと懇願する方があるのです。しかし、よく観察していると、その反対に、病気になってしまったのだから、病気になるのには何年も掛かってなったのだから、「気楽に治したら良いや」と述べている方々の方が早く簡単に改善するものなのです。この事を考えると、何が何でもとあわてた方より、あきらめて気楽に考えた方が良い事がわかるのです。この事実は、病気の事など意識の中になくすと言う捨て身の心の表れなのです。よって、ストレスとなる事が最小限に鎮められ、良い結果になると考えられるのです。
また、病気の体験をしたおかげで、他の方々に対して思いやりを持てるようになったり、更には、他の方々の心の思いや、本心などに気付かされたりするものなのです。そしてまた、今日まで大事にしてこなかった身体に対しても、感謝の意識などが湧き、より一層大事にするようになるのです。更には、家族などの絆がより一層強くなり、いたわりの意識が芽生えてくるなどが多く発現してくるのです。この様々な現象は、「禍(わざわい)を転じて福となす」のことわざ通りである事がわかるのです。【私の病気体験から】のところでも記載していますが、様々な事に気付かされる良い機会にもなるのですから、病気の体験をする事も大事な経験の一つなのです。
そのような訳で、皆様に対しても病気になった事を、心の在り方の変化のチャンスとして捉えて頂き、前向きに生活する事を私はいつも求めているのです。
病気に気を使い過ぎてはいないか
病気に対して気を使い過ぎてはいないか検討するべきです。この事は多くの方々に見受けるのですが、病気、病気と、気にし過ぎて、自分自身のエネルギーを病気に対して使い過ぎ、他の仕事などの部分がおろそかになっていないかです。
病気になる方々を見ていると、病気になろうとする事に対して、異常なほどのエネルギーを費やしている事があるのです。エネルギーとは意識自体の事であり、思考そのものである事を忘れてはならないのです。病気になろうとする事もまたエネルギーの使い方にほかならないのです。
病気になりたいなどと願う人は絶対にないとの意見もあるでしょうが、例えば、私は病気が恐ろしいと思ったとしても、やはり、私は病気になりたいと願った事になるのです。なぜなら、病気を恐れている事が判明するのです。即ち、病気に対しての恐怖に反応を示している事になるのです。つまり、思考や意識によるアストラル次元エネルギーによるストレスを生じさせ、更には、肉体の発するエーテル次元エネルギーに対して、ストレスとして影響を与えている事にもなるのです。
もっとひどい場合には、病気になったのなら勉強もしなくて良いし、学校にも行く必要がなくなるので、病気になれば良いのだがと心の奥底で病気になる事を望んでいる場合や、会社に行って仕事をするのが辛いが休めない。しかし、病気になったのなら、休めるのではないかと考えたりする場合などもあり得るのです。更には、夫があまりにも理解がなくわがままな性格であるから、自分が病気になったのなら、振り向いてくれるのではないかと思考する場合や、会社の上司の態度がおうへいなので、自分が休めば困るのではないかと思考する場合などもあり得るのです。また更には、他の方々が仕事などの面倒をみてくれないので、自分は苦労をしているが、その苦労を認めてくれるようになるのには、自分が病気になったのなら、認めてくれるのでないかと思考する場合などもあり得るのです。この事を考えると、いずれの場合であっても、病気になりたいとエネルギーを使って願っているようなものなのです。
この件については、例えば、親子関係から夫婦の間柄を初めとして、様々な勤め先などの上下関係までが存在するのですから、それこそきりがないほどの事があり得るのです。
圧力的に期待を掛けすぎてはいないか
あまりにも圧力的に期待をかけすぎるため、ストレスとなる場合があるのです。例えば、親が有名大学を卒業し、有名な会社などに勤めている場合などに、子供に対しても親と同じ大学を卒業させようとしたり、就職をさせようとしたりする場合などには、過大なる期待を寄せ、子供は、その期待に応えようとしても応えられない場合などには、著しく様々なるストレスが生じ、身体や精神状態に異常状態が発生し、この発生したものが病気として変化する場合もあるのです。従って、子供に対して、過大なる期待をするべきであるかどうかを考えなくてはならないのです。例えば、大変頑張っている子供の場合などには、意識的には理解をして承知しているのですが、無意識的には拒絶している場合もあるのです。しかし、親などが理解をしていないために、様々なるストレスが病気として変化し、助けて欲しいとの信号を出している事があるのです。このような病気になった場合などには、子供の病気に対してばかり治療をしようとしている場合が多いが、原因たる親が治療を受けた方が、良き場合が多いのです。なぜなら、親などがストレスの捌け口として、子供に対して圧力を与えている事が多いからなのです。要するに、親が様々なるストレスに耐えがたくなっている事が多いのです。よって、子供に対して圧力として、捌け口を求めていると考えられるようなのです。ところで、その場合において、原因たる親などに対し、病気の原因などの話をしても理解をして頂けず、残念な事が意外と多いものなのです。この件などは、最も関係の深い親でさえ、病気の原因を造っているのは、自分ではなく、関係がないと判断をしているからとも言えるのです。医師などが病気であると言った時のみが、病気とは言えないのですから注意が必要なのです。
また、兄弟姉妹を比較している場合などにも、過大なる圧力となり得ると考えなければならないような気が致します。親の側から考えると何気ない事柄であっても、本人にとっては強力な圧力となり、過大なるストレスと感じる場合もあるので特に注意が必要なのです。この場合の病気などには、アトピー性皮膚炎や喘息など、アレルギーに関する場合が多いようなのです。また、精神的圧力となり、パニック症や人間恐怖症、閉じこもりや登校拒否、五月病や月曜病、うつ病なども同様なのかも知れないのです。
この件についても、例えば、親子関係から夫婦の間柄を初めとして、様々な上下関係などが存在するのですから、それこそきりがないほどの事があり得るのです。また、例えば、無言の圧力となっている場合などもあるのですから特に注意が必要なのです。
またさらに、有名大学を卒業しているため、無理をして有名企業になど就職をしようとして、自我意識のあり方自体パニックを起こしている方々が時々訪れます。この方々の場合などには、あまりにも、必要以上に自我意識が強く働いていると考えなければならないのです。これでは、簡単に改善するはずの病気や悩み事などからも、開放される事はないと考えなければならないのです。勿論、就職などもうまくはいかないのです。自分自身に対して期待が大き過ぎたりした場合においても、必要以上の負担が発生し、ストレスが増大してくるのです。よって、病気などとしての現象として表れてくる事があるので注意が必要なのです。ところでその他には、学業や職業などにおいて、他のライバルに負ける事を嫌い、必要以上にがんばっている場合などもあるようなのです。
このような前記の件は、職業の選択や男女関係の恋愛を初めとし、ありとあらゆる場合がありますので特に注意が必要と思います。要するに、本人である皆さんにとって、自然の法則にて判断をした場合などに、相応しいかどうかの問題であって程度が問題なのです。
自分の事ばかり考えるのも考えもの
自分の事ばかり考えるのも考えものと言えます。この方々の場合には、気のエネルギーを外部に出さず貯め込んでしまっているのです。エネルギーを貯め込んでしまったなら、チャクラの性質である外部とのエネルギーの交換がない事になり、その行為や思考が重荷となって、心のストレスへと変化をして、やがては、病気となって肉体に異常な状態として表れてくるのです。この事は、前記したお金の使い方の教訓とよく似ているのです。
また、自分は太り過ぎたので痩せようとするのだが、食事は今日までと同じ量を取り続けているにも拘わらず、面倒なので脂肪を燃やす運動はせず、エネルギーを使う事も拒否しているようなものなのです。余分に付いているものは排泄し、消費しなければ、願っても新しい事を起こす事は所詮無理なのです。
ところで、勝手気ままな生活をして相手に多大な迷惑を掛けてはいるが、自分は元気であり、病気などには全く縁がないなどと述べているのも考えものと言えるのです。この方々の場合には、他人の事を考えないところこそ、自然の法則に即した自然なる愛のない行為であり、思いやりのない行為である事を気付くべきなのです。この方々の自我意識によって、周りの方々が多大なるストレスを感じ、やがては、そのストレスに耐えかねて精神的に追い詰められ、病気などになる場合も多いのです。この事を考えると、自我意識のあるがままに振る舞った行為が、他の方々の病気の原因を作っている場合も考えられるのですから注意が必要なのです。この場合などには、例えば奥さんが身体の具合が優れない。しかし、旦那の方は何一つ悩んでいない場合などに当てはまるものなのです。縁があり夫婦となったのですから、どちらかが元気であり、どちら側かが優れない事などは、今日まで私が見ている限りでは、絶対にと申して良いほどあり得ないようなのです。要するに、一心同体と理解しなければならないのです。ですから、どちら側かが問題がある場合には、もう一方側にもやはり問題はあるものなのです。病院に行き、病名を付けて頂いたから病気とは限らないのです。あらゆる事柄があげられるのですが、例えば、融通が利かない事や、思いやりのない行為なども、やはり病気なのではないのでしょうか。そして、その融通が利かない事や、思いやりのない行為が、奥さんに対して多大なるストレスを与え、奥さん自体の健康状態が優れないようになる事が現実には多いようなのです。また更に、反対の件もまた多いのも現実なのです。この件の疑問については、皆様方個人により、判断をして頂きたいところなのです。また、親子関係や、全くの他人の間柄であっても、同様の事が現実にはあるものなのです。
さらに、私がいつでも強調している事は、私のところへ訪れて、友達がこのような病気になっているが治るかと聞かれた時に、その方に、「貴方はここに来ているのだから、話をしてみたら」と私が話した場合に、「私が治ったなら知らせる」と言う方があるのです。しかし、この方がその後、病気や精神的悩みなどが改善したとしても、その友達と称している方に対して、絶対にと申して良いほど話すことはないのです。この方には最初から話すことが予定されていないのです。なぜなら、友達であると言ってはいるが、実は、本当の意味での友達ではないのです。その答は、【天啓気療を実施した場合、改善しやすい方】のところでも、記載していますので参考にして頂きたいのです。要するに、自分は良い子でいたいのですし、友達と称してはいるが、自分自身さえ良ければ良いと言う心が、無意識的にではありますが、潜在的に存在するからこそ、このような発言をする事になるのです。なぜ私が、このような発言をしているのかが最も問題であり、考えるべきところなのです。ほとんどの方が前記に示した状態であり、真に残念な事であります。これでは、自然なる状態でもなく、自然の法則に即した自然なる愛ある行為でもないのです。従って、病気の改善や様々な悩みからも解放されにくいでしょうし、チャクラの覚醒やクンダリニーの上昇など、期待する事自体当然に無理と考えなければならないのです。
呼吸回数が多いのも考えもの
呼吸回数が多い、脈拍が速いなども考えものと言えます。この方々の場合には、私が薦める瞑想や呼吸法、自律訓練などをする事によってコントロールができるようになるのです。
人間の能力を最大限に発揮するためには、呼吸の回数を減らし、心を鎮め、そして、脳より出ている脳波を、アルファ波状態にコントロールできた時に発揮できるのです。ですから、能力開発などにおいては、第一に呼吸法。第二に自律訓練法。第三に心を鎮め脳波をアルファ波に。第四に成功イメージを思考するのです。
病気の場合、過去に原因がある
ほとんどの病気の場合には過去に原因がある。
その過去を変えない限り、病気の改善は望めないのです。誰であっても病気になる原因は、過去の生活上におけるストレスや食事の状況、仕事の内容や、残業による寝不足などが原因である事に対しては納得するようなのです。
病気になってしまって病院に通い、医師にお世話になっても治らないのであるから、死ぬまで病気と付き合っていくしかないとあきらめている方が、ほとんど全員と言っても言い過ぎではないようなのです。多くの皆さんは、過去は過ぎ去った事であり、変えられないと思っているのが当たりまえのような気がしているのです。過去を変える事ができれば病気を治せるのだが、ではどうやって、過去を変えたら良いのか迷うのかも知れません。
ところが、過去についてよく考えてみれば判明するのですが、今現在もまた直ちに過去となるのです。この件は、次のように考えれば納得できるはずです。今日のこの日は、明日になると昨日と言う事になるのです。この毎日の積み重ねが、即ち、過去と称されているのです。ところで私達の多くは、過去は特別であり、絶対に変えられないと思い込んでいるのです。しかし、現在の思考や意識、行動などを変える事により過去を変えた事になるのです。従って、誰であっても、過去を変えながら毎日の生活をしているのです。ですから、過去を変えるのは簡単な事なのです。
また、現在体験している事柄は、全てが自分自身が過去に思い描いた思考や意識、行動などの集大成であり現実化した姿なのです。
前にも記しましたが、望んで病気になったのではないとは思いますが、とにかく、強く心の中に描いた思考や、意識で過去に思った事が、現在になって現実として体験をしていると考えられるのです。従って、病気を早く治して楽になりたいと願う事も、裏を返せばストレスが生じている事になり、病気になりたいと思っている事と同様になるのです。ですから、病気に対して関係のない事を思考したりして、意識を他に向ける事が必要なのです。この事を考えると、病気とは、自分の心の中で想像をして造り出している事であるとも考えられるのです。
病気の恐怖イメージは影響が絶大である
頭の中で、イメージとして長い期間思い続ける事を、能力開発などでは薦めますが、私の能力の発現の場合もそうであったように、願望が実現すると言われています。ところで、病気の場合においても同様であり、私は病気になるとか、病気が怖いなどと思っていると、良からぬ緊張やストレスが身体に悪影響を及ぼし、やがては病気となって実現されるのです。
思った事が実現されるのは、前向きになるように思考した場合でも、意識をした場合であっても、否定した場合であっても、どのような形としてイメージした場合であっても、全ての結果は同様の事として実現するのです。ですから、病気などにはなりたくないと願っても、結局は、無意識的にではありますが、心の中に緊張が生じてきてストレスとなり、病気になりたいと思ったと同様の結果が実現されるのです。
ところで、私のところにも医師の方が時々訪れますが、その方の話を聞けば、納得できるはずです。例えば、精密検査の結果がガンと診断された場合などに、すべての方々ではないが、ガンと聞かせただけで瞬く間に進行すると言うのです。この事実を考えてみれば、恐怖やイメージの影響は絶大である事が納得できるのです。ですから、私はこのような病気になるとか、想像もしない事が最も肝要であるのです。
笑う門には福来(きた)る
「笑う門には福来る」と言われることわざがある。まさしくその通りであるのです。ところが、私のところに訪れる方々に対して、「笑ったり微笑んだりすると病気や苦しみが和らぎ、リラックスができて本当に楽になるから」と薦めるのであるが、「そんな、笑ったり微笑んだりしただけで、病気が治り、苦しみが和らぐなら、わざわざここまで来ない」と言う方があるのです。また、「現在は、病気で苦しんでいるのに、笑ったり微笑んだりする事などできない」と言う方も、真に残念な事ですが予想以上に多くあるのです。それが現実であり現状なのです。その時私は、「今、笑ったり微笑んだりできないのなら、いつまで経っても笑える時はこないよ」と言う事にしているのです。
そこで、過去の思いや感情が元で、病気や苦しみが表れているのだから、もし、現在において笑ったり微笑んだりできないのなら、一生病気や苦しみから逃れられないと言う事があるのです。なぜなら、現在がすべての始まりであり、すべての終わりだからと説明すると、不思議がっている方がほとんどであり、真に残念な事でありますが事実なのです。
その時もまた私は、「ところで貴方は、間違いなく、明日がくると信じているのですか」と尋ねる事にしているのです。それに対して多くの方々は、「必ずくる」と応えるのです。それに対して私は、「絶対に明日がくるとは保証がない。なぜなら
貴方は、今晩、突然に命を落とすかも知れないし、交通事故に巻き込まれるかも知れない。だから、今が大事であって、明日の事は考える事はないとまでは言わないが、とにかく、現在が大事である」と告げているのです。前にも【天啓気療を実施した場合、改善しやすい方】のところでも記載致しましたが、とにかく笑顔を絶やさない事が大事なのです。
自分らしさの出せる好きな事を持とう
自分らしさの出せる好きな事を持とう。好きな事とはあらゆる事に通じるのです。まず考えられるのが仕事である。誰であっても仕事は辛いものと考えているのかも知れません。しかし、自分なりに楽しみながら仕事をこなしている場合には、不思議なほど心にも身体にも負担が掛からないものなのです。つまり、緊張やストレスが少ない事になるのです。
多くの方々が信じているようであるが、仕事のし過ぎや暴飲暴食などが、病気やストレスを引き起こすと考えているのではないだろうか。ところが、暴飲暴食をしても、あの人は大丈夫かと周りの方々が心配するほど働いたとしても、病気にならない人はならないのです。不公平ではあるが、これが真実であり現状なのです。この方の場合には、病気などに対しては微塵もの意識がないのですから、病気などとは縁がないことになるのです。これが最も大事な事柄なのです。
病気の原因は、様々な緊張によるストレスであると言えるのではあるが、「私は、この仕事が好きである」として仕事をしている場合には、緊張もストレスも少ないと考えられ、病気などにもならないようなのです。たとえ、病気になったとしても軽く済むものなのです。
ここで、注意をしなければならないのは、自分の考えによって仕事も楽しいものであると感じ、そして、取り組む事である。そうすれば、緊張もストレスも最小限に抑え、そして、鎮める事もできるのです。
病気は嫌だ、怖いなどと思っている場合には、病気に対して大切なエネルギーを消費している事にもなり、更には、自分の肉体に対してのみ意識がある事にもなり、益々はまり込んで不安や恐怖が増してくるものなのです。従って、病気や心の悩みが生じたときに、改善が難しくなってくるものなのです。
確かに病気などは嫌いであるし、怖い、そうであるからこそ、仕事などに対しても、好きな事であると意識を変える事により、ストレスを解消すべきなのです。勿論、趣味やスポーツなども同じ事なのです。しかし、スポーツやレジャーなど嫌いな方もあるのですから、好きでもない事をすると、やはりストレスとなる事があるので、すべての方々が同じとは言えないのです。この好きな事とは、皆さんの顔や体型が異なると同様であり、千差万別であるので一概には言えないものなのです。従って個人差があるものなのです。
捨てる事とは
捨てる事。捨てる事とは、まず絶対に注目しなければならないのは、呼吸である。確かに呼吸は、誰であってもしているのではあるが、普段より多く吸うためには、まず吐かなければならないのです。多く吐けば、吸いたくなくても、黙っていても入ってくるものなのです。
ところで、肉体内、特に、脳内にストレスや緊張などにより滞ったエネルギーが、病気を引き起こしていると考えてもよいようです。そこで、その滞ったエネルギーを、できる限り外部に放出する事が必要なのです。その滞ったエネルギーを放出していれば、黙っていても呼吸と同じで、新鮮なエネルギーが肉体内に入り込み健康になってくるのです。エネルギーの放出とは、自分自身の肉体の事を意識するよりも優先して、仕事の事や家族の事、更には、他人に対して尽くす事などが大事なのかも知れないのです。そうする事により、自分自身の事を考える時間も少なくなり、従って、自分の肉体や自我意識に対しても意識をする事が少なくなり、良き結果になると思われます。また、自然の法則に即した自然なる愛ある行為にもつながるのです。
家族や他人に尽くしたからとて、自分に対して不利になる事はないのです。【神様とは・愛とは・宇宙とは・自然とは】のところで詳しく述べますが、愛とは即ち、宇宙に存在する全ての物であり事柄でもあるのです。よって、自分に対して行う事も他人に対して行う事も、別段の区別がなく境がないのであり、実行した事すべてが、そして、思った事すべてが自分に対して行った事になると考えられるのです。
また、過去に何らかの恐怖体験などを経験した場合なども同様で、その恐怖体験を直視し、そして認め、相手を大きな心を持って許す事が必要なのです。それこそが、自然の法則に即した自然なる愛ある行為であり、心の開放そのものであり、意識の上においての捨てる事なのです。
前にも記しましたが、お金の支払いがよい例です。お金とは、誰にとっても命の糧である事を忘れてはならないのです。お金の場合であっても、極端に求めようとすると逃げていくものであり、健康と同じ法則が成り立つのですから注意が必要なのです。この件もやはり、求め方が相応しい場合には、お金は付いて回り、求め方が相応しくない方法の場合には、不自由するものなのです。
呼吸にしても、多くの良い空気を吸うためには、多くの空気を吐かなければならないのです。お金や知識であっても同様なのです。よく、知識やお金は苦労をして覚え、そして、蓄えたのであるから、他人には与えたくないとのケチな考えをする方がありますが、知識やお金は使ってこそ役立つものなのです。そして、使うからこそ、廻り廻って、再び、大きな知識やお金となって自分にも幸福が舞い戻ってくるのです。
貴方は、ガンであと数か月の命である。などと言われると、どうせ治らないのなら、残りの人生を悔いなく過ごすから良いやとあきらめてしまって、自分の様々な欲の心を捨てると助かってしまう。そのようにあきらめた方が助かって、あきらめず、欲の心を捨てきれなかった人は、次々と病院や治療院を廻り、最終的には取り返しのつかない状態になる事が多いのです。また、誰であっても命は惜しいものです。命が惜しい、惜しいと意識していると、たとえ命であっても消費していくものなのですから注意が必要なのです。
不平不満を必要以上に述べていないか
必要以上に、不平不満を述べていないかである。自分は誰々のおかげで過大なるストレスが発生している。だからこのような身体になり、病気にもなったなどと、旦那さんや奥さんを責めてはいないだろうか、その事を、もう一度考えてみるべきではないでしょうか。
また、お金があったならとか、もっと旦那の稼ぎがあったならとか、隣の人はうるさいとか、子供の頭が悪いのは旦那に似ているからだとか、仕事がうまくいかないのは上司のせいだとか、不平不満を挙げればきりがないほどあるのです。もし皆さんが、このような状態なら、自然な生き方ではなく、自分から不平不満を生み出し、その不平不満に腹を立てて反応をしている事になるのです。よって、自分からストレスを作っている事にもなります。つまり、病気などになりたいと、過大にストレスを自分自ら発生させている事にもなるのです。また更に、自分の過去に行なった様々な事柄を思い起こして悩んでいたり、悲しんでいたりする場合なども同様と思われます。
自然治癒力が働いている事を信じる
自然治癒力が、自分の体内でも働いている事を信じる。自然治癒力とは、例えば病気などになった場合には、まず体温が上昇するのです。体温が上昇するのは、体内の病気などの原因になる細菌や細胞などを退治する捕食細胞などが、活発に活動している証拠でもあるのです。熱が出ると、何が何でも下げようとする事は、この事を考えると間違いである事がわかるのです。熱を下げてしまう事は、せっかく、体内で自分自身の身体を守ろうとしている事に対して逆の事にもなり、必ずしも正しいとは言えないのです。
食中毒などにて下痢を起こす場合なども、自然治癒の表れである事を覚えておかなければならないのです。下痢をする場合などには、体内にある身体に対して良からぬ毒物を排泄している場合や、体内の熱を下げている場合なのかも知れないのです。もし、体内の毒物を排泄していた場合などに、薬を使って下痢を止めた場合には、取り返しのつかない事が起こるかも知れないのです。また、吐き気や吐く事も、やはり体内にある熱を下げようとしていたり、良からぬ異物を吐き出そうとしているのかも知れないので更なる注意が必要なのです。
この事を考えれば、まず何が原因で、病気になったのかを考えなければならないのです。病気の原因は、過去のストレスや、緊張が原因の場合がほとんどである事が以前から知られているのですから、なぜ、自分が病気になったのかを冷静に考える機会でもあるのです。ですから、全ての病気が悪いものとして、戦わなくてもよいと理解する事も大事なのです。
また、私のところへおいでになり、急激に改善するために起こる好転反応らしき現象も、同様と考えられるのです。この、好転反応らしき現象の場合には、様々なストレスや緊張などが原因で、自然に改善する力も病気と同様になったままであったのです。その病気の状態と同様になっていたところに、他の強力なエネルギーによって、リラックスができるようになり、自律神経のバランスが取れるようになり、よって、自然治癒力が呼び起こされ、更には、捕食細胞なども呼び覚まされ、急激に改善の方向に転換したために起こるのです。このように現れる症状や現象をよく理解していないと、取り返しのつかない間違いが起こりやすいので注意が必要なのです。
病気から早く解放されるには、要約すると
@意識の転換や笑顔、自然の法則に即した自然なる愛のあり方などを忘れない事。
Aエネルギーは、他人のために使用する事に心掛ける事。
B自分の欲のためにだけ、意識を巡らしたりしない事。
C腹を立てない事。
D他人を責めたり、恨んだりしない事。
E病気の原因は、自分自身が想像により造り出しているのであって、自分以外の方には関係がないのであるから、他人のせいにしない事。
F過去にこだわらない事。
などがあると私は考えています。
即ち、病気が改善しにくいのは、自分自身のせいである事に気付くべきであるのです。
愛とはどのように表現したら良いのか
既に病人になった方に対して、自然の法則に即した自然なる愛を与える場合には、私は次のように考え、そして、思っているのです。
まず、何も言わず、何も聞かず、黙って相手を抱きしめ、俺が付いているから絶対に恐れる事はない。大丈夫だからと言いながら、病人や悩みのある方と一緒になって、心の底から感情を込めて泣く事である。こうする事により、過去にあった開放する事の難しかった事柄を解放できるようになるのです。その時、皆さんも、病気をしている方や悩みのある方も、真の自然の愛に目覚める事ができ、心の解放と、これまでに積もり積もったストレスからも解放され、素晴らしい体験をすると共に、精神的にも、肉体的にも、想像もした事のないほど素晴らしい変化が起こるのです。そのようになると、今度は、心の持ち方や感情の状態が変化をし、その事により、病気、病気と悩んでいた意識が変化をし、病気に対してエネルギーを使わなくなり、病気が改善してくるのです。従って、皆さんがもし病人を抱えているのなら、この方法は、今すぐに誰であっても実行できるのです。是非試みる事をお勧め致します。この行為こそが無償の自然の法則に即した自然なる愛そのものなのです。
ところで、誰であってもよく行うのは、「元気を出せ」とか、「大丈夫だから」とか、「しっかりしろ」などの励ましをする場合がある。しかし、この励ましなどは当人にしてみれば、本当の意味で、余計なお世話にしかならないので気を付けなければないのです。
【気功や医療気功に優る天啓気療を受ける間隔について】
天啓気療を受ける場合の間隔は、将来については変化するのでわかりませんが、現在のところ、特別の方を除いて一週間に一度以下、時間にして十五分から二十五分前後と決めています。理由としては、私の実施する天啓気療は、私のクンダリニーが上昇し、更に、チャクラが覚醒しているため、自我意識の発するエネルギー、つまり、心のあり方の発するエネルギー、アストラル次元エネルギーの事ですが、そのエネルギーと、お客様の発しているエネルギーが互いに共振するため、お客様の身体や、心の悩みに対して急激に影響を与えて変化を促すのです。そのため、影響力が大きく出てくるのです。よって、好転反応と思える現象(偏差であると表現される場合もある)が激しく、さらには、医療機関などにて行う血液検査などにて、想像もできないほど悪化したような異常な数値の結果が出る事もあるのです。
また、腫瘍や筋腫などの場合には、著しく大きくなったと診察される場合などもあるようです。検査の状態を検討すると、これで本当に回復しているのだろうかと疑うようになってしまうぐらい辛くなったり、さらには、悪化したように感じる方もあります。ただし、辛いと言っても、身体に倦怠感が出てきてだるくなる。または、以前に悩んでいた当時に逆戻りしたような感じの痛みや張りなどが出るだけなのです。検査結果については、徐々に落ち着くのですが、それが辛いし恐ろしいと言う方があるのです。
さらに付け加えれば、この好転反応と思える現象は、ひどく激しく出ても、さらに、特に長い場合であっても、三〜四日で自然と収まってくるものなのです。その後は、何事もなかったかのようになります。例えば、天啓気療を一週間に二回以上受けた場合には、受けた方にもよりますが、急激に精神状態や身体が変化するため、我慢ができなくなる方も、少数ではありますがいるのです。
【好転反応と思われる現象について】(偏差と表現される事もある)
私の行う治療や癒しのエネルギーを受けた場合には、急激にお客様の身体の自然治癒力が目を覚まし、急速に病気や心の悩みが改善してくるのです。よって、好転反応と思われる現象が出るのであって、たとえ、急激に激しく、そして苦しくなったとしても心配は一切ないものなのです。ただし、一週間に二回以上の天啓気療を実施した場合などには、本当に激しく、そして、厳しく、この反応と思われる現象が出る場合が多いのです。従って、現在は、依頼があっても、週に一回以上の天啓気療や癒しを引き受ける事はないのです。それ以上実施すると、たとえ、気功やレイキ体験、瞑想の修行などをいくらしていたとしても、私のエネルギーを消化する事は、まず、無理である事が現在までの経験によりわかっているのです。
前にも述べたように、チャクラが覚醒して、クンダリニーが上昇している人の場合のエネルギーの操作能力は、他人の精神的、及び、肉体的に対しても絶大なる影響力を持っているのです。また、この現象には特徴があり、天啓気療を実施した当日は勿論、三〜四日後まで続くのでなかなか理解ができない方も多いのです。
なぜ、好転反応と思われる現象が出るのかはよくわかっていない。しかし、確かに現象としては出てくるのです。考えとしては、皆様の持ち合わせている自然治癒力を、本来の正常な状態に呼び覚ます事ができる能力を、私が持ち合わせている事が特徴であるからなのです。その能力を駆使するので、今日までの長い期間、病気などに慣れ親しんできた精神状態、及び、肉体が急激に変化をして回復するために、様々な現象として感じ、また、検査結果にも、異常状態になっているような結果が表れるのではないかと思われるのです。これまでの経験では、精神的に悩んでいる場合には特に急激に変化するようなのです。
また、過去に虐待などを体験している場合などには、その虐待をした方を、その人もまた、弱いものに対して、虐待をしなければならないほどかわいそうな方であったのだと認め、そして、許す事ができれば良いのであるが、その虐待を直視し、認め、許す事ができない場合などには、極端な恐怖体験として、過去の体験がよみがえるようです。よって、様々な過去の恐怖体験のよみがえりが好転現象としても出る事があり、家族の方に納得をして頂いてからでないと、引き受けない場合などもあるのです。それこそ、理解ができないほど急激に変化する事があるからなのです。更には、自分に対して大切な方が病気などにて亡くなり、恐怖などを目の当たりにしている場合には、恐怖の記憶として残っている場合などがあり、自分もまたその恐怖を体験するのではないかと、恐れていたりする場合なども恐怖として蘇(よみがえ)るようなのです。
私の心の在り方の特徴は、クンダリニーが上昇し、チャクラも覚醒しているために、誰に対してでも認めて許すとの意識が優先している意識状態になっているのです。そのために、この認めて許す事ができなかった方の場合などには、私との心のあり方に格差があまりにも多くありすぎるため、私の能力により、肉体は勿論、心のあり方までもが急激に変化する事を余儀なくされ、更には引きずられ、よって、変化に対して追い付いて行く事ができなくなり、表面上の意識的には認めても、心の奥底では無意識的に変化することを恐れ、そして、我慢ができないほど苦しみ悩む事になるようなのです。ですから、この方々の治療をする場合には、家族の理解や協力がなくては達成できない事が多いのです。
弛緩現象
各々の臓器が急激に回復し、本来の機能を出し始めると、各々の臓器のバランスがくずれたような現象が一時的に起こります。(倦怠感、特にだるい眠いなど)
過敏現象
悪かった時期より更に悪くなったように、一時的にではあるが感じたり、現在より実際に一時的ではあるが悪化したように感ずる事があるのです。更に、時間が経過すると改善するのです。リュウマチ、アトピー、喘息など、アレルギーに関する場合には、特に激しいので注意が必要です。(便秘、下痢、痛み、腫れ、熱、鈍痛、倦怠感など)
排せつ現象
体内の毒素を分解排せつする表れで、汗、尿、便、皮膚などが臭う事がある。(吹き出物、目ヤニ、かゆみ、たん、鼻汁、せき、熱、尿の色が変化、黒い便が出るなど)
回復現象
急激に改善され始める時に起こります。改善するにつれ楽になります。(熱、痛み、吐き気、吐く、腹痛、だるい、眠気など)
検査結果
天啓気療を受けた直後から五〜六日間は安定せず、血液検査やレントゲン検査などを実施した場合に、著しく悪化したような検査結果が出て、非常に驚いてしまう場合などもあります。一週間に二度以上実施した場合には、特に異常状態の結果が出やすいようなのです。
好転現象期間
好転現象期間は、数時間から三日間ぐらいで平常に戻ります。四〜五日過ぎても辛い場合には、他の原因がある場合が多く、検査が必要な場合があります。他の原因とは、強制的に行う整体などにて、痛みが止まらないからと連続して治療をした場合などがあります。変わった表れ方としては、数時間から数日後に変化が表れる事もあるのです。また、過去に交通事故や、手術などをした事がある場合などには、まれに辛さが長期化する場合もあります。よって、辛さを克服できずに、途中で治療や癒しを止めてしまう方も、少数ではありますがあるのです。
心の変化や別れについて
好転反応と思われる現象の一部に、今日まで信じてきた方々との別れの現象が現れる場合などもあるのです。その時、争いも生じる場合などもあり、理解に苦しむ事もあります。この件は、精神的にも、肉体的にも優れていない時には、エネルギーは勿論、全てに対する判断力も、運命的にも落ちている時に、良い方々と判断した方々であったため、そのような現象、つまり、訣別があると考えられるようなのです。
また、開放の難しい過去の様々なるストレスが存在し、改善しにくい方の場合には、好転反応らしき現象もまた出にくいような気が致します。要するに、好転反応らしき現象が出にくい場合には、改善もまた難しくなっているようなのです。
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