【チャクラの覚醒及びクンダリニーの覚醒体験に対する私からのことば】 このホームページに書かれている事は、現実に起こった私の身体や、意識の変化を書き記したものなのです。そのため、多くの方々が現在までに書き記した書籍などとは異なる表現になっているところが数多くあります。私には、経験不足な点などあるとは思いますが、興味のある方や、修行をなさっている方々のためになればと、私自身が体験した事を忠実に書き記したつもりです。ただし、様々な不可思議な体験の中には、表現が困難であった事が数多くありました。なにせ、どのように表現し、書き記したらよいのか、見当どころか想像もつかない事が数多かったのです。 私が、様々な不可思議な体験をする中で、瞑想や呼吸法などの修行をする場合には、絶対に注意しなければならないと気付いた事を書き記したいと思います。まず呼吸法ですが、呼吸法を実施する際に、身体の中に悪いエネルギーや、カルマなどが存在しているとイメージをするのではなく、そのようなものは最初から存在せず、私は大丈夫であるとイメージする方がよいような気がしています。なぜなら、私が体験した幽体離脱や、神様らしき光りの発生源に溶け込んで、神様と一体と化し、和合したように感じた時、この世に存在するすべてのもの(全てのものとは、物質として形のあるものは勿論、形がなくても感じるものなどを含む。) には、表裏は存在するが、一体であると感じると共に、理解をしたのですから。 従って、善も、悪も、ない事になると解釈しなければならないのです。この事は実際問題として、例えば、生は善で正しく、死は悪で間違いである。健康は善で正しく、病気は悪で間違いである。などと解釈して理解している事にもなり兼ねず、必ずしも正しい事にはならないと考えられるのです。 次に、光の世界なのか無意識の世界なのか、それとも、神様の世界(宗教の教えではマンダラの世界)なのかよくわからないのですが、そのよくわからない世界に入り込んで行く時に、どのような表現をしても、絶対にたりないほどの恐怖感を味わう事を、知識として記憶しておかなくてはいけないような気が致します。 どのような事が起こるかと申しますと、自分の存在はおろか、地球までもが自分の記憶から、そう、物質の世界である、三次元の世界の全てと言ってもよいかも知れませんが、一瞬にしてなくなる感じがするのです。そうですね、簡単に言ってしまえば死、または、無とか空そのものです。そう、一般に言われている死を恐れているうちは、うまく修行はできませんし、私の体験した事があまりよく理解できないような気がしています。
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