どのような病気などに有効ですか
貴方の行なう治療方法は、どのような病気に有効ですかと聞かれることがあります。その時私は、天啓気療とは不思議なものであって、症状や病名などに左右されないと応えています。要するに、精神状態の不安定から、病気や症状に関係がなく良い結果が期待できるのです。つまり、様々な病気や種類などに左右されないところが私の能力の特殊なところであり特徴なのです。ただし、改善には個人差があり、一概には言えない場合もあります。
私はいつも、病気が改善する際に最も大事なのは、どれだけ心や身体の緊張が取れてリラックス出きるようになったかが問題であると応えているのです。この事は「天啓気療で期待できる事として記載してあります。従って、どのような病気に良いなどと限定は全くないに等しいのです。つまり、病気や悩み、そして、ありとあらゆる事柄についても、何故に病気などが発生するのか、冷静になって考えればおのずと理解できるのです。例え怪我であっても同様な事が理解きるはずです。従って、病気の種類などに関係がなく、どのような症状に対しても有効であると言ってもよいのです。
真剣に体調の回復を願っています、どうすれば
ところで、真剣に体調の回復を願うのであれば、クンダリニーの上昇やチャクラの覚醒について、更には、気功は勿論,あらゆる治療方法などとの違いが本当にあるのかなど、調べてみることも必要と思います。
その後、チャクラが覚醒しクンダリニーが上昇した者の能力に頼る選択をするか、それとも気功治療・レイキ治療・霊的治療方法などに頼る選択をするか、催眠療法、整体療法、鍼灸治療、西洋医学、東洋医学などの治療方法に頼る選択をするかの判断は、個人の自由意志に任されているのです。
チャクラやクンダリニーについて詳しく知る為には
チャクラやクンダリニーについて詳しく知る為には、現代書林刊・私の著書「天啓気療」や平河出版社刊・ゴーピ・クリシュナ著書「クンダリニー」平河出版社刊・リードピーター著書「チャクラ」イザラ書房・ルドルフ・シュタイナー著書「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」などを参照することをお勧め致します。
上記した4刊の書籍に記された内容、チャクラ及びクンダリニーとはどのような働きをするのかなどを理解することにより、チャクラが覚醒した場合やクンダリニーが上昇した場合にはどのような能力を発揮できるのかなども、理解ができるものと思いますので参照することをお勧め致します。
一刻も早く病気の改善をしたいのですが連続して天啓気療を受けられますか?
そうですね、そのような事はできないです。詳しくは優れた治療師か簡単に見分ける方法のところに記載していますので宜しくお願い致します。
この方法は気功療法ですか?
この能力は、気功のように身体に対して働きかける気の次元ではなく、心とか魂に働きかけることのできるアストラル次元やカラーナ次元と言われるもので、特にチャクラが覚醒し、更にクンダリニーの上昇体験をした場合に発揮出きるようになる、特種能力とされています。よって、神様から授けられた能力であるとか、サイ能力とか超能力であるなどと表現されることがあるのです。
現在のあなたの一番の望みはなにですか?
「そんなことは絶対にない」と言わずに、私の所へ来て体験して戴きたい。体験すると、本当に不思議ですごいことが理解でき、満足して戴けると思うのです。話を聞いてもわからないのです。とにかく実際に体験してみなければ理解や納得はできないのですから。
この治療や癒しは宗教ですか?
よく宗教活動と間違えられ、疑いを持たれやすいのです。宗教のように信者を増やす為に治療や癒しを行っているわけではなく、あくまで、全ての方を対象に満足して頂けるよう真剣に治療や癒しを実施しているのでご安心下さい。一度でもお出で戴ければ貴方の身体は勿論心の底から信じることができると思います。
病気をどのようにとらえていますか?
一概には言えないと思いますが、血液、体液、生命エネルギー等が緊張やストレス(警戒心、嫉妬、哀しみ、臆病、憎しみ、その他病気などの恐怖)などにより滞り、自然治癒力が低下したことを称して一般に病気と言うと思います。病気とは、気が病むと書くことでも理解ができると思います。
ところで、病気の原因は、大きく分けて三種類があると思います。
まず第一に、親からの遺伝によるもの。例えば、体型や顔が似ていると同じで、病気なども似ています。
第二に、外的要因によるもの。例えば、転んで腕を折ったり、交通事故により腰などを打った場合には、外的より受けた急激なショックに絶えかねて損傷する。この損傷などの場合には、原因がはっきりしていると同時に、やがては、人間の肉体が本来が持っている自然治癒力によって回復していく。
一番厄介なのが第三番で、医師やマスコミは勿論、全ての皆さんがストレスが原因であると、その様に信じ納得しているのが実状と言っても過言ではない。ところで、ストレスとは言うがストレスとは何なのか、どのようなものであるかが問題であって、私は下記の様に考え、そして、理解をしています。
最初に、知って頂かなければならない事がある。
それは、修行中無意識の状態になると判明するのであるが、人間の脳内のどの部分に記憶されているのか判明しているわけではないが、数十年から数万年前であっても過去の記憶がよみがえるようである。
自分が現在知っている知識や親が知っているだけがの事が、ストレスとなっているのではないと思われるので注意が必要です。つまり、過去にあった、そして、行ってきた事等全ての事柄がストレスとなると考えられるのです。全ての事象や病気等について心を静め冷静になることにより、納得できると思われるのです。
ストレスとは、怖いなどと思い警戒する警戒心、私より何々が良いなどと嫉妬する嫉妬心、何々が哀しいなどと言う哀しみ、仕事を失敗したらどうしようなどと思う臆病な臆病心、あの方にはひどい目に合されたという憎む憎しみ、恐怖心などはありとあらゆる物に共通するものです。
なぜ、反応するのかは、人間は元々動物であり、生き延びる為には予期せぬ危険がせまることもある、よって、昔は自分の身を守る為には、危険な事を察知し避けたり、食べ物を確保しなければ生命を維持できない状態であった。しかし、時代が変わり現代では、生命を維持できないような危険な事や食べ物を確保する問題は少なくなった。ところが、依然として、人間の生命を守り続ける本能については変わる事がない。
どのような方が改善をしていますか?
病気を「治した」「治った」とよく聞きますが、これには問題があると思います。いくら能力があり、素晴らしくともあくまでもお客様の持っている自然治癒力を活発にさせただけであり、病気を治したのではないと思っています。
私はいつも、「自然治癒力を活発に活動させるのであり、個人差はありますが改善しています」と応えています。但し、感受性には個人差があり、感受性の強い人弱い人がいます。感受性の弱い人は治療効果も弱い場合があります。
感受性の弱い人の場合には、警戒心、嫉妬、悲しみ、臆病、憎しみ、その他病気の恐怖などに対して必要以上に敏感になっている場合が多い。従って、心のあり方や愛について私が強調していることが理解できるはずです。
心のあり方や愛、自然に生きる、ストレス等については、改善する病名などのページを参照して頂ければれば幸いです。
どのような症状にも良いとのことですが改善に個人差はありますか?
当然あります。本来お客様が持っているカルマの程度や日常の生活態度などにも影響されていると思われます。また、私の授かった能力ではどうにもならない潜在的意識などの力が働いている場合など。
そうですね、最近曹洞宗のお坊さんが訪れたときにも話しましたが、禅ではクンダリニーの事柄やチャクラの事柄は問題視していないようです。しかし、以前には、光の体験やクンダリニーの上昇体験をした方は確かに存在していたことなどは確認されています。
その方の意見も、また私の意見も同じなのですが、確かに禅が進んで無意識状態に入ることは事実である。その後もっと修行が進んでくると光の体験や幽体離脱、更には空間から声や音が聞こえ出す事が事実である事から、本山氏の言っている事は正しいと考えられる。
その幽体離脱や光を受ける体験を何度も経験すると、チャクラの覚醒やクンダリニーの上昇体験をするからには、確かに禅は無意識の世界のほんの入り口と言っても良いのではないかと思う。ですから、簡単に言うのであれば禅の修業が本当の意味で進んでくるとチャクラの覚醒やクンダリニーの上昇体験をするように思う。
つまり、経験の深さというか本当の意味での自然のあるべき姿となっているかが違いであると思う。ところでチャクの覚醒体験やクンダリニーの上昇体験をする場合に最も注意をしなければならないのは、あくまでも自分自身のこれまでの体験内容が主体となり現象となって現れるので十分理解しておく必要がある。
また、チャクラが覚醒しクンダリニーが上昇したから悟ったとの意見も多い、しかし、私の経験から、確かにクンダリニーの上昇体験後文章にて表す事は全くできない経験をする。その経験の中で最も感じるのは、死を初めとし、様々な事柄に対しての恐怖が極端に無くなる。様々な事柄に対して恐怖を感じられなくなるのは、一般に喜怒哀楽と言われている事柄に対して執着が薄れ、自然のあるべき意識状態になってきたからとも思える。
その他には、神は宇宙全てであり、一体のものであること、更に人間もまた宇宙の一つであり神と同一であること。よって、どの方々にも境目が無く同一のものであると感じる。つまり一般に言われている、確かに表裏については存在するが、善とか悪とかは存在しないことになる。
何故なら、善も悪も表裏一体であり、神そのものである。要するに、病気をすることも表裏一体であり、自然のあるべき意識状態になっていない為に発生すると考えられる。だからこそ、瞑想や呼吸法によって、心を安定させ、自然の意識状態とは如何なるものかを思考することが太古の昔から珍重されていると思われる。
一般にサイ能力とか超能力などと言われているが、気功治療や他の様々な治療方法に比較して圧倒的に勝っている能力が授かり、例外も確かに存在するが、精神的病気をはじめ、どのような病気であっても改善させる能力が発揮できるようになっています。病気などの治療に来た方の将来についてや、何故にこの病気などになったか、更には、性格や生い立ちなども以前の自分とは比較にならないほど正確に判断ができるようになっています。
病気などを治したり癒したりする素晴らしい能力も授かった。しかし、病気を治したり癒したりする能力を授かったと言っても、中々信用されることはないので苦慮しています。何故なら、過去にも現在にも問題視されているが、自分はサイ能力者とか超能力者であるなどと称して騙したとか、騙されたとかが多いためと考えられる。つまり、現実にはあり得ないのだとして信用されなくなっているのが現実である。
また更に、どのような問題や事象であっても、全てが必要不可欠であると感じる。例えテロと言われる事柄であっても、必要不可欠と感じるのですから理解に苦しむことばかりである。更に修業が進んでくると、更に様々な体験をすることから考えれば、悟ったとはクンダリニーの上昇体験やチャクラの覚醒体験があった場合だけに言うのではない事が考えられる。
要するに進めば進むほど悟りの境地は変化するものであり、一概に私は悟ったなどとは述べるべきではないように考えています。私は悟ったなどと述べる方にあったことがあるが、考えものであると考えさせられてしまうのが現実であった。
京都学派の久松氏はほんの数日で悟ったようですが、そのようなことができるのも、禅から言えば、たとえ変性意識が大変な深い段階まで在ると認めたとしても、その意識の核・根本自体は普通の意識の核・軸と同じであり、神様が高い現実をマネージなさるのも、私があくびをするのも、どのような出来事や存在もある同じ軸をとうしてその軸が行うのであり、それはいくら意識の状態を高く改良しても、核・軸自体は経験できないので、意識の高さや深さなどの内容でなく内容を形づくっているものを悟るのが悟りだ、これがよくある禅や西田の主張だと思います。
これであってそれではない、例えばある意識の状態であって他の意識の状態ではない、とはもう言えないもの、それが禅の悟りの内容の様です。しかし問題は、本当にその様な全て根本の根本である軸・場所が禅の人や西田に経験されているのか、そのような全ての根本が、高い現実界を経過しないでも、いきなり究極まで普通の立場からジャンプできるのか、と言うのが本山氏の批判です。
2ご自身の場合は、ホームページによりますと空・無を物質界から精神世界の移行段階で経験した様です。ということは、空・無はひとつのレベルから次のレベルに移行する時に、(例えばこの世界からアストラルに移行する時や、アストラルからカラーナに移行する時)、よく経験するもの考えられますか。
しかし必ずしも無の体験を通過しないでアストラルに急に行く霊能者・宗教家もいます。無の体験は絶対に高い世界や広い世界を体験するのにいつも必要でもないようです。ですから、上の現実界にジャンプするときにする時だけでなく、いつの段階でも経験できるものですか。
無意識の状態にならずにいきなり様々な体験をできるかとのことですが、無理と考えられる。私の場合無意識の状態を通過しない状態にて体験した事柄は全く存在していない。と記憶しています。ただし、私のところで天啓気療をうけた直後からチャクラの覚醒は勿論、クンダリニーの上昇体験などを経験する方が存在していることから、数日で悟ったと言われても絶対にあり得ないと批判するのには無理がある。私の場合なども、激しく苦しい修業を長期間に渡り行っていたとは考え難いのであり、必ずしも凄い修業をせずともチャクラの覚醒やクンダリニーの上昇はあり得ると言える。
様々な体験が繰り返される毎に確かに無意識の状態になり、その後以前とは異なる事柄を体験するのですが、繰り返される体験回数が多くなると、その後体験する事柄も変化をしていく、そしてその現象体験の一部である光の体験のみを述べれば、最初の頃は、必ず様々な色がついています。
更に修業が進んでくると、体験する光には色が薄くなり、最後には輝くばかりであり色が付いているとは考えにくいように光輝くと解釈してもよい。要するに修業を重ねることによって、アストラルと言われる次元からカラーナと言われる次元に移行していくものと考えられる。
いつの段階でも体験できるのかとのことですが、様々な体験は、確かに7年から8年前後続いていたが、現在は変化を歴然とは感じられない。しかし現在では、幽体離脱しているはずもないのだが、幽体離脱をしている状態と同じ感覚を感じる。光の体験などもしているはずがないのに、やはり光り輝いているように感じる。幽体離脱の場合も光の体験の場合も、以前体験したように色が付いていたり形が感じられないのが不思議でならない。
要するに何時までも同じ現象や体験はないのではないか。例えば光が光の世界に合一した場合光は感じられないのではないか、また、同一の次元に合一した場合同一の次元は感じられないのではないか。そうであるかさこそ、私が、病気などになった原因を話しても、病気になり易い次元と合一した状態になっている為、理解できないのではないかと思う。次元を変えるとは、生き方そのものを変えなければならないので、中々変えられないのかも知れない。未知の次元の世界に入ることなのですから当然とも言える。
様々な段階で「絶対無」のような体験をする可能性がある。その人の成長の段階に応じた絶対無(に思えるような経験)を通過する、と解釈してもよろしいのでしょうか。西田や現代の禅でよくある、当たり前の当たり前を悟る様な悟りでは、「宇宙と一体化」したと言葉で表現されても、そのように比喩が用いられるだけで、ご自身や本山氏のように本当に自分の意識が実際に広がったのではないと思います。禅のような本当に広がったのではない意識で経験されるような無とは、まだレベルの低い無なのでしょうか。ご自身はどのような種類の無を体験されましたか。
絶対無とかの表現は不自然と言えるのではないかと思う。確かに無意識の状態にはなる。そして、無意識の状態に入っていくことは実は大変な恐怖が伴っている事も知っておく必要がある。無意識の状態に入る際、全ての事柄がこの世から消えてしまう錯覚と言うか感覚があるからである。
詳しくは、私のホームページの【チャクラの覚醒及びクンダリニーの上昇が始まり、想像を絶する恐怖体験及び食事が全く取れなくなる】や【チャクラの覚醒時やクンダリニーの上昇時なぜ心身的苦痛も体験する】のページなどを参照すると理解ができるのでは。なお、私が手をかざすことにより病気の治療などをした場合に好転反応と述べられる現象があるが、この現象もまたチャクラの覚醒時やクンダリニーの上昇時に体験する事柄と同一と考えるべきなのかも。つまり、急激に心の変化及び肉体の変化が起こるためと考えられる。よって、大変なる恐怖体験などもあり得ると考えるべきである。