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 私は宗教を学問的に学んだりしていませんし、寺の門を叩いて僧職にある人に仏法の教えを乞うというようなこともしませんでした。私の宗教観はごく素朴な個人的な観念であり、人々と宗教について論議できるようなものではありません。けれど私は、宗教とは基本的に個人的なものであると考えており、この世界に六十億の人間が存在するならば、六十億の宗教があって当然なことだろうと思っています。すなわち、私の宗教観とは個々の人間が培ったそれぞれの人生哲学的な意味合いのものであり、学問的な思想に裏打ちされた高尚な宗教や哲学ではないのです。

 私は誰でもが各自の宗教観を持っていると思うのですが、人々は心せわしい現代社会の中で日々の生活に追われて、自己の心の奥底にしまいこまれた宗教的な観念を意識の表層に浮かび上がらせて、それを顕在意識上で自分なりに輪郭を整えた宗教観として表すことができないのだろうと思っています。友人や知人と雑談していて、話題が宗教的な論題に入ったようなとき、ほとんどの人が霊性についての知識を持っていないことを知って、私は驚いてしまいます。私個人の宗教観における霊性とは、自己の本性という意味で言っているのですが、霊を魂とも本性意識とも言いかえてもかまいません。

 多くの人が、肉体そのものが自分であると思い込んでいて、死んで肉体がその機能を果たさなくなったら、自分も消滅すると思っているようです。肉体と魂という概念を持っている人でさえも、死んだら自分は無となる、あるいは魂はあの世に行くという、漠然とした観念しか持っていないようです。一度死んで、再びこの世に戻ってきた人間がいるわけではありませんので、あの世があるのかないのかはどうとも断定しがたいことですが、死んでも自分が消滅しないことだけは、私は断言できます。と言うのは、私は幽体離脱を幾度か体験しているからです。

 近年では臨死体験という言葉も巷間に広く流布しています。医療が飛躍的に発達したことで、以前であれば死んでしまうのが当然であったような急病に陥って意識不明となった重篤な病人や瀕死の状態にある怪我人が奇跡的に回復して、死にかけていた状況の中で自分が体験したことを、後になって周囲の人々に語ったりしています。幽体離脱と臨死体験は同じものなのか、それとも違うものなのか、私には解りません。けれども、自分が肉体から抜け出るということを実際に体験した人々は、そうした体験以後、自分は肉体ではないということを明確に理解するようです。確かに、肉体から自分が抜け出るということを自分自身で体験しないかぎり、肉体と霊とは別のものであるということを普通の人々が得心するのは容易なことではないだろうと思われます。

 人間にとって宗教とは、死んだら自分はどうなるのかを知りたいと思うことから始まるのではないでしょうか。この世界で確固として存在している自分、この自分が死んでしまったときに、自分はいったいどうなるのだろうと、ほとんどの人はそれを知りたいと思うのではないでしょうか。自分は肉体であるから、死んだら火葬、あるいは土葬にされて朽ち果ててしまって、自分という人間は消滅してしまうだろうと考えている人々も多く存在することでしょう。今、自分はこうして厳然と存在しているのに、死んだら自分は無くなって完全に消滅してしまうのかもしれないという考えは、普通の人間にとっては非常に恐ろしいものではないでしょうか。ですから、祖霊を祀るために先祖代々から帰依しているそれぞれの家の宗門を別にして、既成の宗教であるキリスト教や仏教の各宗派に帰依したいと願う人々の動機は、自分の死後はどうなるのかを知って安心したい、あるいはそれぞれの宗派で説くところの天国や浄土に往生したいという、漠然としたものではあっても死後の生を肯定して考え、そして自分が死を迎えても安心していられるようにと願うからなのではないでしょうか。一方、臨死体験や幽体離脱を実際に体験した人々は、自分は肉体ではないと確信できるので、死に対する恐怖がなくなるようです。

 確かに、臨死体験や幽体離脱によって自分が肉体から抜け出るということを体験してみないかぎり、死に対する恐怖を完全に超克することはできないでしょう。けれど、少しばかり熟考してみれば、臨死体験や幽体離脱を体験しなくても、本当の自分というものは肉体ではないということが他の状態からでも解るのではないでしょうか。たとえばそれは、眠って夢を見ている状態です。夢を見ているとき、私たちは肉体のことを全く意識していません。肉体のことを意識していなくても、夢を見ている自分として確かに存在していることは、すべての人が納得できることではないでしょうか。人間とは意識なのであって、肉体ではありません。もちろん肉体がなければ、人間としてこの物質界で機能することはできませんが、肉体を失っても、人間は意識なのですから、死後も人間は物質界を超えた意識界で確実に存続するのです。

 私の幽体離脱体験から言えば、肉体から抜けた自分は肉体そっくりの身体を持っていました。心霊の世界に関わる人々の話では、その身体をアストラル体と呼ぶようです。肉体から抜け出て、肉体と瓜二つのアストラル体で存在していたそのときの私は、ベッドに横たわっているもう一人の私を眺めながら何事かを考えていました。そのような幽体離脱体験をしている私ですから、人間は肉体ではない、肉体が消滅しても人間は存在すると、きっぱりと断言できるのです。けれども、これは私個人に起こった出来事ですから、私の話を聞くだけのことでは人々は納得しないでしょう。と言うのは、人間というものは、自分が体験してみて初めて得心するものだからです。

 臨死体験はともかく、幽体離脱は、霊媒体質といわれるような特殊な体質や気質を持っていないと滅多に起こらないようです。自分が肉体から抜け出るということを一度だけでも体験してみなければ、死後に自分が存在するかどうか確信が持てないと、人は言うかもしれません。しかし、実際にはそのような体験をしなくてもよいのです。なぜなら、宗教の本質とは、今を如何に生きるかということに尽きるからです。死後においても自分は存在すると確信し、霊である人間は永遠に存在するということを得心したいと人が願うことは、心情的には理解できますし、そしてまた、死後に自己が存在することを知りたいがために、人は宗教に関わるというのも事実ではあるでしょう。でも、どうして人は宗教に関わるのかというのは、人は宗教なくして生きることができないというのが本当のところだからです。人は意識的であれ、無意識的であれ、本質的には宗教的に生きているのです。宗教なくして人は生きることができません。なぜなら、人間とは意識であって、そしてその意識そのものに関わることが宗教だからです。真実の宗教とは、自我意識を超えて人間の実体である深奥の本性意識を自覚することなのです。

 人々はこの世の中で無我夢中で生きています。無我夢中とは、我を失って夢の中にいるということであり、その意味は、目覚めていても自分の本性を忘れさって、迷いという夢の中にいるということです。日々を忙しく、あるいは漫然と過ごすばかりでなく、ちょっと立ち止まって、自分が存在していることについて考えてみたらよいと思うのですが、人々は立ち止まることなく、働き蟻のようにただせわしなく動いているのです。自分に気づくことはそれほど難しいことではありません。はたまた、実際には自分自身に気づいているのかもしれませんが、宗教の本質とは如何なるものかを認識していないので、自分に気づいていることの重要性が理解できないのかもしれません。宗教とは、常に自分に気づいたままで生きていくということなのです。自分の在り方に気づいたとき、すべての在りようが同時に得心できて、そのとき一切が是となるのです。

 宗教は心霊に関わることではありません。宗教の道程を歩む上で、当然ながら心霊も関わってはくるでしょうが、心霊に拘泥しているかぎり、人は先に進めなくなります。その人の進歩はそこで停滞してしまい、はるかなる進化の道を歩むことができなくなるでしょう。自己を見つめつつ生きていれば、日々は常に新しく、自分自身も常に新しいのです。毎日を生ききり、死にきり、結局のところ、生と死の境はないのです。あるのは意識進化だけであり、それは永遠なのです。宗教は、人間の霊性における食物であり、宗教なくして人間は生きることができません。自分を愛しく大切に思う人は、霊性という意識進化の道をひたすらに進んでいくことでしょう。

 

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