気功治療,気功やり方自我とは次のように述べられている

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 気功治療,気功やり方自我とは、思い、喜び、怒り、哀しみ、楽しみ、苦しみ、恐怖、我欲、嫉妬、恨みなど。(一般的には、喜怒哀楽などと言われる。)特に、ほとんどの場合、欲が最もの問題とされているのです。ただし、欲が全くなくなった場合には、自分自身で、自分の命を平気で絶つ事だってあるのです。
 欲があるからこそ恐怖があり、怒る事があり、恨む事もあり、嫉妬する事もあり、更には、自分自身さえ信用ができなくなり、やがては、過剰なストレストとなって、自我のエネルギーであるアストラルエネルギーが、肉体のエネルギーであるエーテルエネルギーに影響を与え、身体にバランスの取れない異常事態が生じ、やがては、病気の症状となって現れてくるのです。
 従って、呼吸法や瞑想などの修行を行い、チャクラの覚醒や、クンダリニーの上昇を試みる事は、自我[喜怒哀楽、心や感情、意識や思いなど。]をコントロールして、精神世界的な思考や、肉体に変えなければ達成できないのです。
 つまり、物理的世界(エーテルエネルギー)を鎮めて、精神的世界(アストラルエネルギー)を優位にする事ができなければ、覚醒する事などは難しいと言わなければならないのです。
 更に、なぜ、想像を絶する恐怖を体験するのかは、例えば、今日まで堅く信じて、疑う事などなく慣れ親しんできた物質の世界から、精神世界が優先する世界に心が変化するのには、物質世界の事柄を全て捨てないまでも、意識の上から消し去ろうと努力をしたり、物質の世界の意識を鎮めたりしなければならないと推測されるのです。
 ところが、物質の世界の意識を鎮めればよい事を、頭の中では理解しているつもりであっても、自分自身の身体は勿論、精神的な部分も劇的な変化をするため、意識的としては認めても、物質世界の事柄を鎮めきれないため、肉体的次元としては認めがたく、そして、怖く感じ、更に、急激な変化を、無意識的ではあるが恐れている事になると考えられるのです。よって、恐怖体験として、感情上や、意識上に浮かび上がってくると解釈できるのです。
 自分自身の思考の持ち方でエネルギーの質が変わるとすれば、なぜ、強力な光を見るのか、光もエネルギーそのものであり、また、音が聞こえてくるのか、音もまた、エネルギーそのものなのです。
 
気功治療,気功やり方その際、自分自身の意識や、心の中に想像をすれば、如何なるものも自由に想像をし、現象をも造り出す事もできるものなのです。
 勿論、様々なものに恐れている場合には、その様々の想像をしたものが現実として、意識上に想像した通りの現象となって現れてくると思われるのです。よって、神様を想像すれば、神様が出現し、お化けを想像すれば、お化けが出現するのです。
 恐怖を想像すれば、恐怖が現れてくるのです。また、病気や、様々な事件などの場合も同様と思われるのです。再確認しなければならないのは、例え、肉体的思考であっても、精神的思考であっても、種類は異なるが、エネルギーには変わりはないものなのです。
 もっと、エネルギーを広く捕らえれば、目に見えるものは勿論、目に見えないもの、更には、宇宙そのものを始めとし、心の中に描いたもの、想像したものまで全てがエネルギーそのものなのです。
 よって、思考の持ち方には勿論、身体にも力を入れず、リラックスしながら良き事を心に刻み、そして、想像をしながら瞑想をする事により、様々な良きエネルギーと共感し、物質などに対する執着心を鎮めてこそ、チャクラの覚醒や、クンダリニーの上昇は達成できるものであり、更に、良き判断ができるようになると私はいつも思っているのです。
 なぜに光が見えたり、音が聞こえたり、その他の現象が見えたり、感じたりするのかは、心が鎮まることにより、今まで感じることのできなかった様々なエネルギーと共鳴するために、見えたり、感じたりするものと考えられるのです。
 更には、自分自身の脳内に記憶された無意識の記憶、その状態が意識上に感じ、そして、よみがえってくるのではないのでしょうか、私はそのように理解をし、考えているのです。
 なお、最近では、腰骨や背骨、頚椎などが力を加えていないにも係わらず、一瞬に鈍い音をたてて動き、その後、方々の関節は元より、筋肉痛などが激しく起こり、悲鳴をあげるほどの激痛があったのです。
 
気功治療,気功やり方この件や、勝手に身体が激しく動くのは、今日まで自分としては歪みもなく、正常の身体であると信じていたのではあるが、実は歪んでいて、その歪んでいた部分が急激に改善してきた為に、激痛となって感じたり、激しく動いたものと考えられるのです。この事を考えると、私が、癒しや治療を実行した場合に起こる好転反応と述べられる現象も、納得できると思うのです。ただし、現在では、激痛を感じるほどのことはなくなっているのです。
 その様々な体験がある度に、何度も書きますが、本当にこれからどうなるかと不安でたまらなかった事が思い出されます。また、一般に言われている死を恐れているうちは、うまく修行はできませんし、私の体験した事があまりよく理解できないような気がしています。

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