天啓気療院の北沢勇人の著書・天啓気療の内容
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【幽体離脱が始まる】 私が幽体離脱を最初に体験したのは、平成五年春頃から様々な色の強烈な光を見たり、感じたりする事が始まって半年後頃であったと記憶しております。夜になり睡眠を取り、一眠りしてふと気が付くと、あれ、自分の意識が空中に浮いていると感じたのが最初であったと記憶しております。その時、以前より肉体と魂は別物であって、肉体は仮の宿であると多くの方々から話には聞いていたのですが、確かにその通りである、と幽体離脱を体験して初めて納得し、そして理解した事を思い出します。 幽体離脱とは、チャクラのある位置から、意識というか、魂というかが肉体より抜け出ると言われています。しかし、私はよく理解をしていなかったので、これは良い機会であると思い、数千回にも及ぶ幽体離脱を体験したので、どのチャクラのどの部分から抜け出るのかを観察していたのですが、どの部分から抜け出たのかは全く分からなかったのです。要するに、肉体より意識全体が一瞬の間に離脱し、その離脱した後に、肉体と意識が別々に離れている事に気付いたのであり、どこのチャクラから抜け出たとか、本当にチャクラの位置から抜け出たのかは、実のところ、はっきりとは分からなかったと言った方が良いと思います。 幽体離脱をする場合には、トンネルらしき空間を潜り抜けるとの表現がありますが、またまた考えてみると、自分の場合には全くそのような意識がなかったのです。その後、数え切れないほど幽体離脱を経験していますが、一度たりともトンネルらしき空間を潜り抜けるような体験はありませんでした。 幽体離脱をする際に、幽体離脱とは、現実にはどのように見え、感じるのか意識を鎮めじっとしていると、確かに自分自身の肉体は横になり休んでいます。もう一方の自分自身の意識と言うか魂と言うかは、自由な動きのできる意識だけのようにも感じます。その意識に対して、自分自身の常日頃考えている内容を意識状態に問いかけると、その答えが即座に返ってくるのです。その答えとは、自分の寝姿を見たいと意識すると、自分の寝ている姿が見えるのです。この場合、瞑想中であっても、寝ている場合と全く同様である事を記述しておきます。 また、過去にも行って見てはいますが、もう一度あの場所を見たいと意識すれば、間違いなくその場所が瞬時に見えるのです。そして、その過去に行ったところの周囲を見たいと意識すれば、これまた周囲が紛れもなく見えてくるのです。それから、その周囲の気温や天気、高さや距離、方向などの環境状態を知りたいと意識すると、またまたはっきりと、感覚として、視覚として、聴覚として、触覚として、やはり感じ取れるのです。更に、距離にして何光年も遠いところに行きたいと意識しても、やはり瞬時に移動します。距離にしたら、判別が付かないほど遠いところに意識がありますが、その遠いところから、地球の自分自身の住んでいるところを見たいと意識すると、なぜなのか理解できないのですが、確かに見えて判別がつくのです。 もっと不思議なのは、何光年も離れているはずなのに、見たいと意識をすると、見たいと意識した場所や物がどこであっても見えるのです。その時に感じるのは、その場所や物の状態は、例えば、二〇センチメートルの距離から見たよりはっきりと、五感全てを用いたように感覚的に自覚できるのです。はっきりしていると言うより、その場所や物に自分自身がなっているような感じと表現しても良いように理解でき、そして感じるのですから、想像するにも無理があるようで驚いていた記憶があります。 様々な場所にも勿論行けるのですが、例えば、時間を超えて様々な時代を見たり、その時代はどうであったかなども判別でき、空間を飛ぼうとすれば飛んで行きながら判別もでき、考え、そして理解する事もできるのです。その時もやはり、距離などに左右される事もなく感じられ、そして、自分自身がその場所や物自体になっているような自覚でもあるのです。ですから、飛んでいる自分自身の意識も感じられ、そして、見ているものは勿論のこと、感じられるものもまた自分の一部として見えたり、感じたりすると考えれば良いのです。その際、物が全て透けて見える場合や、過去世の自分と思えるような人物が、山の中の石の崖の上にて座禅を組み、瞑想をしている年寄りの男性の映像が見えたりもするのです。更には、様々な色に光り輝きながら見える場合などもあり、一概に、これが見えているとか、感じられるとは言えないことも実際にはあります。 つまり、この宇宙にあるもの全てが自分自身と一体で同一のものであり、更には、全てがエネルギーであり、光り輝いているものであると理解をしなければならないようであり、今一つ、私自身も理解ができていないのです。しかし、神様とは、愛とは、何であるかとの答えが理解できた時初めて、宇宙全体が一体のものであって、そのもの全てが神であり、自然の法則に即した自然なる愛であると気付いたときに納得でき、理解したような気がいたします。 私のところに訪れる方々の中にも、幽体離脱を体験した方が少数ではありますがおります。その方々に尋ねてみると、やはり、意識のあり方に左右されるようです。例えば、心の中に不満などが存在する時に幽体離脱をした場合には、暗いトンネルを潜り抜け地獄のような場所の現象を見るようです。それに対して、嬉しい事があった時に幽体離脱をした場合には、天国に行ったような素晴らしい現象を見るようです。従って、例えどのような意識の現れ方であれ、精神状態や肉体に対して影響を与えることと同様に、幽体離脱をした意識に対しても影響を与えていると考えられます。 この事を考えると、心のあり方や意識のあり方は、形があろうが無かろうが、そして、自分に対してであろうが、他人に対してであろうが、それこそ、善であろうが、悪であろうが、意識的であろうが、無意識的であろうが判別する事など全く無く、様々な現象として、あらゆる意識に対しても作用する事が判明するのです。よって、例えどのような件であれ、心のあり方や意識のあり方などをよき方向に導こうとする努力はすべきなのです。 ところで最近では、自分自身の身体からは、意識が離れたとの感覚は全くなくなっております。例えば、私が寝ようとして布団に横になるか、瞑想などを始めると数分もしない内に身体自体が消え去ってなくなったように感じ、そして、幽体離脱をした時と同様の現象が起こってくるのです。つまり、幽体離脱をしているとの感覚はないと理解すれば良いのです。そうですね、周りにある宇宙全体のものと同化している、と考えれば良いような気がいたします。すると不思議な現象が起こってくるのです。
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