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![]() ここに、私が体験したチャクラの覚醒やクンダリニーの上昇をした時の体験、及びその後の様々な現象について記述したいと思います。様々な現象については、私自身が直接体験したことを忠実に表現しているつもりですが、なにしろ多種多様の現象が複雑に絡み合いながらであったため、必ずしも簡単に理解ができないかも知れません。しかし、もし皆さんが、チャクラの覚醒やクンダリニーの上昇を志すのであれば、参考にして頂きたいものです。必ずしも私の数々の体験した現象の内容とは一致しないかも知れませんが、類似している内容が体験としては必ずあるはずですから、是非お役に立て頂ければ幸いです。 私のところを訪れ治療や癒しを受けた方の中にも、チャクラの覚醒体験やクンダリニーの上昇体験をした方がおります。その方を注意深く見守っていると、私と全く同様のことを体験するとは言えませんが、大変よく似ている体験内容であると言えます。 その後、尾てい骨辺りが音をたて始めたのです。そう、なんと表現したら良いのか、ゴツゴツと言うか、ゴトゴトと言うか、骨が動いてこすれるような鈍い変な音がしていたことが頻繁にありました。「これはなんだ」と言っても良いほど、重く感じる重圧感のある音だったのです。更に、暫くたった頃から今度は、尾てい骨辺りから背骨にかけて、なにか隙間風のような水のような冷たいものが上下している感覚が、一年半ぐらい続いていたような記憶があります。それから、腰の部分から背骨にかけて非常に冷たく感じていたのです。 冷たさを例えて説明すると、室温が三十度近くある部屋で、瞑想などをするために座禅を組み、腰の周りに毛布を何重にも巻きつけ、その上から布団を巻きつけても、異常に寒く感じていたと表現するような状態であったのです。ですから、自分の場合には、多くの書籍などに書いてあるように、温かい感じとか熱い感じがしていなかったのが印象的だったのです。ですから、全ての人が温かく感じたり熱く感じたりするのではないのかも知れないのです。後で考えると、この冷たい感じがクンダリニーの活動の始まりであり、クンダリニーの上昇活動の始まりであったのかも知れないと思っています。 クンダリニーの活動が始まったと思われる最初の頃は、下腹部が本当に冷たいという感じでしたが、瞑想修行を続けていくうちに温かさが増してきたので、これで一安心とほっとしていたことを思い出します。後ほど、ある書物を読んでいたところ、この冷たい感じは、長い間トランス状態になっていた場合になりやすいと書いてありました。ところが、私の場合、そのようなトランス状態になっていた記憶がないので不思議に思っております。 その後暫くして、マニプラチャクラとサハスラーラチャクラの覚醒が始まり、クンダリニーの上昇が本格的になり、一気に上昇したのです。その上昇については【神様は絶対にいると真剣に信じる・そしてクンダリニーが上昇】のところにて説明をしていますのでお役立て頂ければ幸いです。 ところで、現在であっても意識をすると、やはり、音はしませんが同じように感じることは続いています。その他、表現が難しいですが、暖かいような、極端に内部の細胞が活動しているような、何とも不思議な感覚にもいつでもなっています。 その直後、身体全体がどうしたら良いのか分からないぐらい大変だるくなる感じの倦怠感と同時に、体温が急激に上昇して身体全体の体内に熱がこもったように感じ、大変苦しんだのです。その他にも、全く我慢ができないほど異常な程に臭いに敏感になり、更に、味に対する感覚が極端に変化をして食事を取ることが大変辛くなると同時に、周りに存在する全ての物の臭いに対しても異常な程敏感になっていたのです。 その後、私の家で作る料理であれば美味しく感じるのですが、外食にて済まそうとすると、例え多くの皆さんが美味しいものとして認めていたとしても、私としては、あまり美味しいとは感じなくなったのです。ところで、私の治療や癒しを受けた場合にも、やはり味覚や臭覚は変化をするようです。要するに、食事の好みや嗜好品などの好みが変わると考えれば良いのではないでしょうか。その他には、大好きだったビールが飲めなくなったとか、たばこが吸えなくなったなど、様々な例が多くあることもまた事実です。 また、夜など一眠りした後にふと気付くと、必ずしも霊であるとは断定できないのですが、この当時は頻繁に霊のようなものが見えたり、感じたりする現象もあったことを思い出します。しかし現在では、全くそのような現象はなく安心をしています。霊についてはあまり知っておく必要はないと思われますので、ここでは省略することにします。しかし霊については、確かに見え、そして、感じることがありました。そこで、注意をして頂きたいことは、呼吸法や瞑想は、神様の世界とか愛の世界とかと言われているものと同一の状態になることを目指して修行をしているのであって、霊の世界を目指して修行をしていのではないのです。 その後、瞑想などをしていると大量にではありませんが、スワディスターナチャクラの部分辺りから、握りこぶし大の黒いもやもやとした雲の塊のようなものが、次々と連続して出て来るのは何度も見たり、感じたりしています。 ところで、他のチャクラの場合には、様々な光やエネルギーがチャクラのあるとされる部分から直接出て行くことは勿論あったのですが、入ってくることも勿論確認しています。ところが、ここのチャクラの場合には出ていったことは確認できています。しかし、強力な光に包まれたことはありますが、様々な光やエネルギーが入ってきたとの意識が将来は別として、現在のところはないのです。 ここのチャクラの場合には、アナハタチャクラの覚醒の始まりに放出した場合の物質のように、人形の形状はしていなかったのです。このことを考えると、各チャクラによって覚醒する時の感じ方や見えるものなどは各々特徴があると思われます。 後でよく考えると、その開いた口が閉じたのかについては、どうもあまり記憶になく現在であっても良く分からないのです。 その炎が今度は、異常と言うほど張っていた腹部を突き抜け、外部まで吹き出してきたのです。その後、腹部の内部も、外部も、真っ赤な炎の海のようになったのです。その後暫くすると今度は、その真っ赤な炎が青白い炎に変化したのです。その後今度は、その青白い炎が身体全体を包み込み、身体全体の内部からも青白い炎が噴出してきたのです。その青白い炎を暫らく見つめていると今度は、透明に近い炎となって消えてはまた燃え盛り、幾度となく位置を変えながら暫くの間燃え続けていたのです。 その時私は、恐怖におびえながらも、身体の中に滞って汚れている自我意識や、エネルギーを燃やし尽くしているようにも感じていたのです。その現象は、時間にしてはっきりしている訳でもないのですが、約二時間半〜三時間程度は続いていたものと記憶しております。ただし、私としては、この二時間半〜三時間の時間は、あまりにも劇的であり不思議な事柄であるため、途方もない程の時間として感じていたことも事実です。 この時起こった様々なる現象体験は、常識では全く考えられないことであり、表現の方法がない程の恐怖感を覚えていたことを思い出します。なぜなら、苦しいまでなら我慢もできますが、腹部の中が急激に熱くなり沸騰したように感じたり、腹部や身体の中に炎そのものの発火する物など無いはずなのに燃え出したり、その炎が腹部の中から外部に噴出したり、また更に、自分の身体自体が燃え出すことなどの現象は、常識ではどのように理解をしようとしても、絶対にできない事柄だったのです。従って、私が述べるまでもなく、誰であっても想像をすればいか程の恐怖体験であったかが理解できるものと思います。 【私の病気の体験から】のところでも記しましたが、このチャクラが、最初に活動を始め覚醒したように私は感じています。そして、マニプラチャクラに関係のある脾臓系に関する臓器も正常に機能する状態になり、胃や腸の機能も優れるようになり、下痢や便秘も改善してきたのです。 チャクラの覚醒は、その方の働きすぎる特徴のある部分から覚醒することも、この事実から判明いたします。もし皆さんも覚醒が始まるとすれば、特徴のある部分からと思っていると良いのではないでしょうか。働きすぎるとは、弱い部分と解釈しても良いように思います。ですから、チャクラの覚醒体験やクンダリニーの上昇を体験する方の場合、過去に様々な重篤な病気などの経験者が多いとも言えます。変わった例としては、瞑想などの修行をした方に交じって、雷に打たれたとか、事故に遭遇したなどの衝撃などが加わったことによる理由で、チャクラの覚醒やクンダリニーの上昇が始まった方もおります。この事実から、修行を実施した方のみがチャクラの覚醒やクンダリニーの上昇体験をするとは限らないことも覚えておかなければならないのです。 その直後、今度は、胸のアナハタチャクラの部分に観音扉を開けたような大きな口が開き、そして、その内部より、空中に自分自身の身体に比較して数千倍と表現してもよいほどの量で、それこそ、言葉では言い尽くせないほど大量の黒っぽい色をした塊が、列をなして勢いよく、例えることができないほどのスピードにて遥か遠くの方まで飛んでいったのです。その塊に注意をして見ていると、なんと不思議であろうか、その塊の正体は真っ黒ではありますが、人間の形をしたものでごく小さいものの集合体ではないか、この塊は、自分の心の中に潜んでいた良からぬ自我意識や、ストレスの元ではないのかと考え込んでしまったことが思い出されます。 その直後に、本当に綺麗な様々な色をした光の塊が、開いたアナハタチャクラの部分から自分の身体の大きさに比較して数千倍とも言えるほど大量に勢いよく入ってきたのです。光の塊が勢いよく入ってきたと同時に、身体中が何とも言えないぐらい興奮をし、更には、嬉しくて、嬉しくて、全く表現ができないようになり、押さえ切れなかったような気がしていたことを思い出します。その直後今度は、身体全体がとてつもなく熱くなり、しかも、壊れてしまうぐらい勢いよく、本当に激しく、身体のどこと言わず全てが勝手に動き出し、恐怖に駆られていたことが記憶にあります。ここのチャクラの覚醒体験と思われることがあった後、治療の能力や癒しの能力が数段あがったと言うか、向上したと言うか、そのような気がしていたことを思い出します。 後で考えると、その開いた口が閉じたのかどうかは、スワディスターナチャクラと同じで、あまり記憶になく現在でも良く分からないのです。 この件でも分かるように、もし皆さんが本当に病気から開放されたいなら、そして、チャクラの覚醒やクンダリニーの上昇を試みたいのなら、私の行為や心のあり方を見習うと良いのではないでしょうか。ただし、あまりにも単純ではありますが、金銭が絡み損得勘定が介在しているため、手数料を徴収しているのではないかと疑われ、理解が得られない場合が多く、簡単なようで簡単ではないので付け加えておきます。ただ、ここのチャクラは、想像を超えた力にて覚醒するので注意が必要なのです。その事柄については【各チャクラの働き】のアナハタチャクラのところに詳しく記述しています。 その声と思われる音声に聞き耳を立てていると、どこかの国の言葉であるようでもあるし、確かにリズムがあるとも感じられ、これは、話をしていると理解をしても良いのではないかと思えるのですが、全く聞いたことがない言語のようでもあり、不思議でならなかったのです。そこで、もっとよく聞き取ろうとすると、よく言われるマントラのようでもあり、ヒキガエルが話をしているようにも理解でき、御経を読んでいるようにも理解でき、更には、宇宙の言葉とも取れ、理解に苦しむことだらけであったことを思い出します。 後日、平成十一年末頃の朝方に神棚の前で座禅を組んで瞑想をしていると、他の方々が聞いていたら、あいつはおかしくなったと勘違いされるような大きな音声がうめき声や叫びのように出てきたのです。そのうめき声や、叫びの大きさを例えれば、百メートルの距離が離れていても聞こえてしまうほど大きな音声と思えるものであり、驚かずにはいられないものだったのです。その大声らしきものが出ていた時間は、約三十分程度の長時間であったため、驚かずにはいられなかったと記憶しています。 それと、その大声のようなものが出た時に、これまでに悩んでいた大変辛く息苦しかった喉の詰まりが改善してしまったのです。その後、言葉と思えば思えるような変な声が喉の奥の方から発したり、腹の奥から発したりすることがあったことはあったのですが、本当の意味で少なくなりすっきりとした感じになったのです。この大きな音声、うめき声や叫びのようなものが出たときに、もし私が住んでいる所が田舎ではなく、都会の真中であったなら、何事かと大騒ぎになるのではないか、と考えさせられる程の大音量であったのです。 ところで、様々な音声によるマントラを唱えることにより、各チャクラが早期に覚醒すると言われている訳ですが、このことを考えると、無理をしてマントラを唱える必要がないのではないかと思われます。むしろ、マントラを唱えることにより、急激な変化に追い付いて行けずに起こってしまう偏差現象や火車などの重大さを考えれば、なおさらと思われるので、マントラを唱えることに対しては、注意が必要と思っています。 ところで、手かざしにより治療をする場合には、アナハタチャクラの能力を利用して治療をする、と多くの書籍などには書かれていることが多いのです。しかし、私が治療中に感じることは、現在においては、極少なくはなっていますが、アナハタチャクラの能力にて無理と思われるお客様の場合には、ここのチャクラにも変化が現れてきます。従って、ここのチャクラの場合もやはり、病気の治療や癒しに対して関係しているものと思われます。 ここのチャクラにおいても、ムーラダーラチャクラのときと同じで、後日になって黒い雲の塊のようなものが、頻繁ではないのですが出ていった記憶があります。 この部分、アジナチャクラは大変感じやすく、意識などをいたしますとすぐに、なにか空気の幅の広いベルトを巻いているような、しびれているような感覚を感じます。また、この部分にて色々な映像なども見ているような気がいたします。更に、なんと表現したら良いのか迷いますが、目には見えていないのですが、何かの力が無理やりに入ろうとしているように圧迫感を感じることは、少し意識をした場合であっても感じてきます。 よくアジナチャクラのところが覚醒すると、霊とか神様などの声が聞こえると多くの書籍などには書かれています。その霊とか神様などの声と思われるものは、毎日のように聞こえるのですが、霊とか神様などからの声と思えるような声は、どうも、この部分か、サハスラーラチャクラから聞こえてくるように感じます。と言うより、頭の中から聞こえてくると言った方が正確なのかも知れません。その声と思えるものは、はっきりとして聞き取れるのですが、遠くからこだまするような、響くような感じに聞こえてきます。その他には、耳元でかん高く聞こえてくる場合もありますが、ささやくように聞こえてくる場合もあり、表現が難しいのです。聞こえてくるというより、感じてくると表現したほうが正しいのかも知れません。なぜなら、聞こえてもくるのですが、それと同時に、意識上や心の中にも感じてくる、と表現しても正解であると思えるのですから不思議でならないのです。 例えば「修行がまだ三段階は足らないから、このようにした方がよいぞ」とか、朝起きるのがあまり遅かったりすると「早く起きろ、時間になったぞ。今日は良い天気のようだぞ」「こっちの方が良いと思うぞ」「お父さん起きたら」「今日もお願いします。やはりこちらが良いね」などと聞こえてくるのです。なぜかなと、自分なりに自問自答してみますと、どうも霊や神様ではなく、自分自身の心の奥に秘められた記憶や願望、自我意識などの意識ではないかと推測できるような気がいたします。また、今日まで考え悩んでいた事柄の答が意識上に浮かぶと同時に、そのことに対しての答が音声としてはっきりと聞こえてくることもあります。 確かにささやくように聞こえてくる場合には、もっと広い意味での答であるようなのですが、現在のところ完全なる確信を持っている訳でもないので、ここでの記述は避けます。ただし、もっと瞑想修行などが進んでくると、私自身の考えや感覚も変化すると思います。また今後、全く変化してしまうのかも知れませんが、今現在ではそのように解釈をしています。後日変化があった場合には、他の機会に発表をしたいと思います。 それから、自分の身体から意識が外れた場合に、感じたり見えたりするのは、そう、一瞬の間に数千キロメートルも飛んでいったり、元いた場所に瞬時に戻ったり、自分の希望する時代や場所に行ったりできるのです。そうですね、自分の子供の頃は何をして遊んでいたかなどの様子や、人類がこの世に誕生する以前と思えるような時代の場合もあります。一般的な常識では計り知れないのですが、行ったり見たり、感じたりもすることができます。 意識が肉体から外れる際、全く距離や時間に左右されることがなく、本当に自分自身がその物質や動物自体になったように、そうですね、普通肉眼で見た場合にはっきりしているように見えますが、それなどとは比較にならないぐらいもっとはっきりと識別、そして区別でき、感じたり、見えたりするのです。その際、意識をすればどのようなものとも同化することもでき、その同化したものが自分自身のようにも感じ、そして、その同化した自分自身の意識のようなものからも、周りに存在するものや状態が判別でき、また、意識上にも感じることも見ることもできます。このように表現すれば、納得がいくのではないでしょうか。事実そのように感じるのですから、理解をすることはなかなか難しいと思います。この体験こそが、人間の本質とは、本来魂そのもののことであり、肉体は借り物であると言われる所以なのかも知れないのです。この事柄を考えると、人間の本質は、魂そのものなのであり、自由自在になれると言われている理由なのかも知れないのです。この現象は、無意識の世界などと表現されています。 しかし、このようなことは信じられないのかも知れませんが、確かにそのように感じるのですから驚きです。その後、一瞬にして意識が消え去り、様々なものが見えたり、感じたりするのです。現在では、想像以上の恐怖感は感じませんが、最初の頃は、一瞬にて意識が消え去る時の恐怖感については、耐えがたいものであったと記憶しております。その一瞬に意識が消え去るとき、自分自身の意識は勿論、形あるものも形がなく見えないものまですべてが消えるのです。すべてが消えるとは、宇宙全体が一瞬に消え去るように感じるのです。よって、想像することができないほどの恐怖感があります。そう、この世のもの全てが一瞬に消えたと感じるのです。そのことを簡単に言ってしまえば、自分自身も一瞬に消えると感じるのですから、死んでしまったと錯覚を起こすぐらいの恐怖感なのです。従って、死を恐れているうちは、この恐怖感には耐えられないのかも知れないのです。 ところで、精神的に悩んでいる方などに対して、天啓気療を実施した場合においても、ここに記述している事柄と同じように、肉体的な事柄に変化が生じたり、意識が変化してきて恐ろしいと訴える方などが少なからずいます。精神的に悩んでいる方々の場合には、マニブラチャクラの特徴が優先していることが多いのですが、体験する事柄は、どこのチャクラに特徴があっても同じような現象が現れることがあります。この事柄を検討してみると、どこのチャクラであっても、お互いに影響をしあっており、関連性があることを裏付けていると考えるべきなのです。 なぜ暖かく気持ちが良いのかとよく観察し、よくよく意識すると、仏陀やキリストなどの背後上面などに描かれているような、円形状の大きな輪の形状をした光が、私の背後上面にも金色に光り輝きながら見えたり、感じたりしていたのです。この光と同一ものは何度も見たり、感じたりしていますが、この円形状に見えたり、感じたりする光りの輪の場合には、他の様々な強力な光やその他の光り輝くものを見た場合などと比較すると、全く比較にならないほどの幸福感と安堵感があり、何とも表現をすることが出来ないものであったことを述べておきます。 これはもう、例えるものがないぐらい気持ちが良いと、暫く味わっていると、今度は、頭の天辺、サハスラーラチャクラの部分に突然大きな口が、イソギンチャクの頭部が開いた状態に似た形状に開き、その中から、手筒花火に火を付けたように、最初は少しの量であったのですが、段々と多くなりながら、大変きれいな様々な色の付いた炎が噴き出した状態になって見えたり、感じたりしたのです。その後暫くすると、その炎で筒のような形状になった部分が炎を頭部上面上空に噴出しながら、本当にゆっくりと徐々に気が遠くなるように時間をかけながら、下腹部のスワディスターナチャクラのところまで下がったのです。 その後、体験した内容は、ほとんどがクンダリニーの上昇時と同じであったのですが、ふと気が付くと、地球の遥か遠くの宇宙空間に横になり浮いている状態に見えそして感じたのです。更には、地球は、遥か下側にサッカーボール大の大きさに見えていたのです。その時の地球の輝きは、青く透き通った色にて輝いていて、これまた表現が難しいほどきれいであったとしておきます。他の無数に存在する星も、握り拳大であったり、様々な大きさなのですが、やはり透き通ったような様々な色にて輝いていたのです。全く不思議で理解ができないものの、私はそのように見え、感じたのです。 その時、自分の身体の意識は、地球の数百倍もあるように大きく見えたり、感じたりしていたのです。この様々に見えたり、感じる際には、自分自身の肉体はなく、理解に苦しみますが、透明人間にでもなっているように見えたり、感じたりもするのです。また更に、その炎のような筒の柱が、私の身体に比較して絶対にこんなことがあるはずがないのではありますが、非常に大きく太く上下に何万キロメートルもあるかのように長く伸びて見えたり、感じたりしていたのです。 そのクンダリニーの上昇の変形タイプ現象があった後に、神様に直接会った感覚になったり、神様からの声と思われる声が聞こえ出したり、全てが神様からの贈り物のように自覚したり、嬉しくて、嬉しくて涙が出て止まらなくなったり、愛とは、自然とは、神様とは、宇宙とは、何であるかの意味がなぜか理解することができるようになってきたのです。また、様々な光の体験や幽体離脱、身体が激しく動くことや、訳の分からない声のようなものが出たりする様々な体験については、より一層現象として現れ易くなり、頻繁に起こったと記憶しています。そのようなでき事があった以後、体もすこぶる快調になり、一段と病気の治療をしたり、癒しをしたりする能力が増してきたのです。 それと、アジナチャクラの時と同様に、下痢と下血が非常に激しくあり、驚いていた記憶があります。その都度大変恐ろしく感じていたのですが、そのうち習慣になり、段々と慣れてきて恐ろしさもあまり感じなくなったのです。ただ相も変わらず、心も、身体も、嬉しい感情というか安堵感のような、振動しているような不思議な感覚になったりすることや、リラックスをしたりすると、激しく身体全体がガタガタとところかまわず勝手に動いたりするのは、続いていたのです。 一般的には、ここのチャクラが覚醒すると、霊とか神様の声が聞こえるとされていますが、私が現在理解できる事は「私のアジナチャクラの覚醒について」のところでも述べていますので、参考にして頂ければ幸いです。この部分も大変感じやすく、意識などをいたしますとすぐに、むずむずと言うか、ピリピリと言うか、エネルギーと言うか、何かが回転をしながら出入りしているのが感じられます。また、アジナチャクラと同様で、空気の圧力と言うか、圧迫感があり、よく理解できないのですが、様々なる意識も、意識した場所に送る事もできるような感覚にもなっています。
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