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様々なエネルギーに対する感受性には個人差があり、感受性の強い方も弱い方もいますが、感受性の弱い方は、天啓気療の効果も出にくいのです。感受性の弱い方の場合には、警戒心、嫉妬、悲しみ、臆病、憎しみ、その他、病気の恐怖などに対して必要以上に敏感になっている場合が多いように感じます。また、ありとあらゆる事柄に該当するのですが、著しく物事や物に対しての執着欲、恐怖(自分で気付く場合は少ない)心などが心の奥底に潜んでいる場合などには、一時的に回復しても、またすぐに戻ってしまい、残念な結果に終わる場合があります。 改善が困難な例としては、自分自身では様々な出来事に対して責任があると自覚しているのですが、自分自身には責任がないとして言い逃れている方々のように感じます。この方々の場合には、与えられた責任はそっちのけにし、自分自身の権利ばかりを主張している事が多いのです。 ところで、何故そのような事があるのかははっきりしないのですが、土地などの財産やお金に対して著しく執着している場合や、領収書を要求した場合にも改善しにくいのです。領収書の場合には、料金を支払ったのであるから領収書の要求は当然とも考えられます。しかし、領収書を要求した方の場合には、特に改善しにくいように感じます。改善しにくいと言うより、改善が難しいと言っても言い過ぎではないようにも感じます。 昔からの教訓に「お金とは、感謝の心で支払ってこそ、大きな働きを生み出す」とされ、そして述べられています。その他には、幼少期に虐めなどの恐怖を体験した場合であっても、同様に改善しにくくなっているように感じます。更には、自分自身に対して大切な方が病気などにて亡くなっている場合において、恐怖などを目の当たりにした場合などには、恐怖の記憶として残っている場合があり、自分もまたその恐怖を体験するのではないかと恐れていたりする場合などにも、改善しにくくなっているように感じます。 家族や生活をしていく中で重要な方々などに対して、自分自身の病気や悩みなどを秘密にしている場合なども、やはり改善はしにくいので気を付けなければならないのです。また、自分自身に対して不利になるからとして、周りの方々に対し、病気の悩みなどを初めとし、様々な事柄などを秘密にしている場合や、自分だけは幸せになりたいが、他の方々には幸せになってほしくないとの思いが、例え心の奥底であっても、無意識の状態であっても、心の奥に潜ませている方なども同じように感じます。どのようなことかと申しますと、例えば、病気などを改善させることのできる素晴らしい方などがいることを知っていても、秘密にする方などは、他の方々には幸せになってほしくないとの意識が心の奥底に潜んでいると考えても良いのです。 極端に改善しにくい方の場合には、自分自身の心の中では改善したいと強く願っているのですが、心を素直に解放できないことが多いように感じます。どのようなことかと申しますと、まず、感激した時や悲しんだ時などに素直に涙が出てこない方、普段は絶対に泣かない方、心の中では泣くが、外見的には涙を流すことができない場合などがあります。つまり、心の緊張を解放することが少ない場合などが挙げられます。更に、涙を流すことができる環境になかった場合(特に幼少期に両親などからの虐待などがあり、泣くことを禁止されていた場合など)や、現在も涙を流して泣ける環境ではない場合などには、改善しにくいように感じます。従って、心のあり方で、同情心や自然の法則に即した自然なる愛について、私が強調していることが理解できるはずです。 涙は、血液の一部であることが以前からよく知られていることから考えてみれば、たびかさなる様々な緊張から血液自体もまた病気と同様になっていて、正常なる働きができないものと考えられます。改善しにくい方の場合には、理由は別として、自分自身の自然治癒能力や行動に対しても、信頼をしていないことが多いように感じます。この方々の場合には、他人をもまた信頼できないことが多いので特に注意が必要です。 全ての方々ではありませんが、方々の治療院はもとより、方々の病院などにかけもちで通院をしている場合などには、悲惨な状態や結果になることが多いようにも感じます。理由としては、どこの治療師であろうとも、医師であろうとも、信頼をしていないことになり、自分自身のこともまた信頼しているとは言いがたいように感じます。この方々の場合には、他力本願であり、自分に原因があるにも拘わらず、認めて受け入れようとしていないことにもなります。また、誰であっても自然治癒する能力を持ち合わせているにも拘わらず、自分の本来持ち合わせている自然治癒力などは、全くないがしろにしていることが多いようにも感じます。 私が、自我意識の在り方や、自然の法則に即した愛のあり方により改善する度合いが異なること、著しく物事や物に対しての執着欲がある場合や、相手を認めて許すことができない方の場合には、著しく改善もしにくい場合があります。と、説きながら天啓気療を実施しているにも拘わらず、 貴方は、改善すると言っていたが、自分は改善しないのであるから、貴方は、うそをついているなどと攻撃をする方が、稀ではありますがおります。 このように、自分自身の考えのみにて相手を攻撃する方の場合には、著しく悩み苦しむことがあるので注意が特に必要と思っています。このような方の場合には、後日取り返しのつかないことが起こり、想像を超えた現象を体験することになる場合が多いように感じます。その攻撃をした方が、本人の家族や友人であろうとも、同様となるようですから注意が必要です。このことは、家族も友人も、縁ある方は、同じ意識のあり方や愛のあり方であることが判明いたします。ですから「同じ穴の狢」と言うことわざがあるのです。 従って、様々な病気や心の問題などが改善してくる事自体難しくなっています。ここで、注意をしなければならないのは、大半の方々は、無意識的にではありますが、自分自身を有利に運ぼうとして自我意識である慾などを優先させ、心がオープンになっていないことが多いのです。自分は、心や意識がオープンの状態であると述べている方々であってさえも、本当の意味でのオープンにはなっていないことが多いので注意が必要です。 理由はどうであれ、何度も簡単に時間を変更したりする方や、時間を守らない方も、改善はしにくいと考えなければならないのです。例え交通の事情や仕事の事情があったとしても、同様となるところが不思議なところです。このことを考えるに、自分が幸せになり病気から解放されたいのなら、この教訓や自我意識について、他人を落とし入れたり恨んだりすることは何であるか、そして、お金とは、時間とは、個人の自由とは何のために、そして、いずれのために存在するのかなどをもう一度初心に立ち返り、検討してみることも心得なければならないような気がいたします。 病気の原因は、精神的なことが原因の場合が多くをしめていることが、太古の昔から知られていますから、圧力的とか、不平不満とかの件は重要であり、最も注意をしなければならない事柄なのかも知れないのです。例えば、私が「病気とは」との話をしても、話を聞いたはずなのに、例え直後であっても、自分の身体のことばかり述べる方がおります。この方の場合などは、紛れもなく自分の身体のみに意識があることになり、心が開放されていない典型的な方と申しても良いような気がいたします。これでは、改善しやすい病気であっても改善しにくくなることを望んでいるようなものです。 改善しやすい方か、しにくい方かは「因果応報や宿業」などについても検討してみる必要があるようにも思います。どのような理屈をつけて判断をしても、因果応報や宿業などについてないがしろにすることができないようにも思います。病気の種類は勿論のこと、改善することが可能かも決まってくるようにも思います。ですから私は常々「愛が最も大事である、自然の法則が大事である」と何度も述べているのです。責任逃れや裏切り行為、相手に対しての擦り付けなどは絶対に慎むべきなのです。 一般的な常識とされているものが、自然の法則に照らした場合、全く反していることもありますから注意が必要です。自然の法則は絶対的なものであって、個人の意志などに影響されることなど全くあり得ないのです。ですから、嘘を言っているなどと騒ぎ立てる方は、自然の法則に反していますから願いが叶えられないのです。
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