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精神世界へようこそ・物質主義批判

 近頃の世相を見ていると、日本の行く末はどうなるのだろうと、非常に不安な思いに駆られてしまうのは私だけなのでしょうか。ごく普通に、そして慎ましく生きてきて五十を過ぎた女の目から見て、世の中が何かしら変だと思うのは私だけなのでしょうか。同年代の友だちとお茶を飲みながらの雑談などで、やはり彼女たちも最近の世の中の風潮を憂えて慨嘆の言葉を漏らします。私たちは、いわゆる団塊世代の人間です。ときに、“団塊世代の功罪”などとマスコミで批判されたりして、私は個人的にはそのような言葉に猛反発を覚えるのですが、世の中のこれまでの時流をさまざまな角度から冷静に考察してみると、“団塊世代の功罪”も、あながち的外れではないのではないかと認めざるを得ません。

 戦後のベビーブームの中で生まれ、民主主義の男女同権の中で教育を受け、驚異的な経済発展を遂げつつある時期に青春時代を謳歌して、日本の市場経済が欧米先進国が羨望するほどに成長していたときに社会人となった私たちは、良くも悪くも物質主義の洗礼を受け、そしてその物質主義と共に育った者たちです。私たちが二十歳代のとき、団塊世代の人々は日本の将来に対して少しも不安を感じず、エネルギーに満ち溢れた国として日本を把捉していなかったでしょうか。団塊世代の人々が若き労働力として産業界に入り始めた1970年代、一般的な小市民にとっても海外旅行をすることが容易になり始めた時代でした。家電製品や乗用車、衣服から果ては種々様々な小間物に至るまで、産業界が大量に物を生産しても確実に売れた時代であり、人々は競って物を買い、身の回りを物で固め、物を買うことで喜びと満足を感じていた時代です。金さえあれば欲しい物は何でも手に入ったし、物を得ることで幸福感を味わえるのですから、金は万能であり、拝金主義となるのは当然の帰結でしょう。

 そのような日本の社会状況に対して疑問を持つ者などいませんでしたし、誰もがより多くの金と物を求めて物質主義社会の上層へ這い上がるべく、奔走していました。そうした生き方を人々は是としたのであり、それ以外の生き方など考えられなかったのです。戦前の精神主義的な人生観は敗戦という結果で粉々に崩れ去り、欧米からの借り物の物質主義的民主主義を受け入れて、日本人自身が価値観を再構築できないまま、物質主義に汚染されて経済至上主義で突っ走ってきて、そして団塊世代の子供たちが社会の基軸になりつつある現今、日本の社会はまさに物質主義の爛熟頽廃の観を呈しています。

 夫は会社人間になりきって、他者よりも出世をして高い役職と高額な所得を得ることのみが男の甲斐性であるように思い込み、残業や接待や同僚との付き合いなどで連日連夜の遅い帰宅で妻子や家庭を顧みず、趣味や勉学を通して自己を修養しようとする高尚な気概などさらさら持たないのです。だから、定年退職後は、社会で自分の能力や技能を生かせる機会も場所もなく、妻に煩わしがられて粗大ゴミと言われるような老いぼれになって、長い老後を侘しく生きる有様となるのです。家庭に取り残された妻たちは、日本の高学歴・競争社会という呪縛の中で、子供たちに詰め込み教育を施すことだけに奔走し、金と暇のある専業主婦たちは、ブランド品を買い漁り、外面を飾りたてることのみに憂き身をやつして、これまた、暇を生かして自分に磨きをかけるために勉強しようなどという殊勝な心がけなど微塵もありません。そのような男と女の夫婦関係に、相手を尊敬し、そして互いに労わりあうというような、非常に人間的で高尚な愛情が育つことなど望むべくもありません。そのような親によって育てられた、いわゆる団塊二世の子供たちも当然の如く、物欲的な親に見習って、他者に対して思いやりや愛情が欠落し、自分本位で自制心というものを知らず、金だけがすべてだと思う、生粋の物質主義者たちになるのです。

 高校生のうちからブランド物で身を固め、通話料金の高い携帯電話を持ち歩いて所構わずに大声で無駄話、馬鹿話をして時間をつぶし、高級ブランド品を買う金と遊興費を捻出するために、援助交際や風俗業界で恥と罪の意識も持たずに売春して堕落していく年若い女たち。最近では、アルバイト感覚でテレフォンクラブやアダルトビデオで金を稼ぐ、暇を持て余している二十代や三十代の人妻たちが増加しているそうです。日本の社会は金とセックスに対する欲望で垢まみれになっています。男たちのセックスに対する欲望が激しく、そして根深いゆえに、貞操観念という基本的倫理観を失って、金で女を買うという、女を物品扱いにする性開放社会が男たちによって作られ、生活困窮のゆえに不本意ながら身を売るということが戦前には見受けられたのですが、現代では金がすべてだと思う女たちが自由意志で売春婦に成り下がっていくのです。根本と辿れば、女たちを堕落させているのは男たちで、その男たちもまた、女によって堕落させられているのです。人間が堕落するのは、金とセックスに対する欲望のゆえであり、金とセックスに対する欲望は、人間を堕落させる<悪徳の悪循環>なのです。今や日本の社会全体がその<悪徳の悪循環>にはまり込んで、そう簡単に抜けられそうにありません。

 この状況を看過する訳にはいきません。この状況に目をつむって、このまま見過ごし続けるならば、日本は必ず堕ちていきます。日本人全体が意識改革をせず、この退廃した状況を放置するならば、多くの年数を経ずして、現況よりも国の経済も精神も萎縮して、日本は三流国、あるいはそれ以下に成り下がってしまうでしょう。日本が世界の先進国に比して経済と精神において堕ちるということは、日本国民である私たちが不幸になるということです。私たちばかりでなく、私たちの子供やその子供たちまでもが、閉塞した国の社会状況の中で物心両面に亘る繁栄を享受できないことになります。私たちの老後や国の将来や私たちの子供たちの未来を真剣に考えるとき、私たちは本当に日本のこの腐敗した社会状況を変えるように意を決しなければなりません。

 『人に迷惑をかけてはいけない』という基本的なマナーや最低限の倫理観念さえも持たず、自分さえよければ他のことはどうでもよいという利己主義が大手を振ってまかり通る、世も末の観を呈する日本社会を作り出した責任は、中高年である私たちにあるのではないでしょうか。敗戦によって国家経済が荒廃していた時代から日本が立ち直って成長するためには、金と物とを追求する物質主義は確かに有効に機能したのですが、そして事実、それによって日本は世界の人々が羨望する金持ち国になったのですが、しかし、経済を発展させることと同時に精神的にも豊かにならなければならなかったのに、金が万能であるという考えで、私たち日本人は精神的な向上を疎かにしてしまったのではないでしょうか。

 金によって心を萎縮させてしまった人間の生き方ほど悲しいものはありません。それは生の浪費です。金で幸福は買えませんし、物で心を満たすことはできないのに、なぜ人は金と物を追い求めるのでしょうか。それは、人生に対して確固とした価値観を持っていない人々が、金さえあれば人生は安楽に暮らせるという安易な考えを持つからです。そして、『人生イコール金』という短絡な図式がほとんどの日本人の頭を占有していて、それは今や日本人にとって強迫観念にさえなっているように思えます。中高年層の人々が物質と共に精神にも価値を置く確固とした人生観を持っていないのですから、その子供たちである若年層が親同様に人生に対してしっかりとした価値観と哲学を持っていないのは当然のことでしょう。と言うよりも、若者たちは確固とした価値観や人生哲学が持てないのです。なぜなら、そうした考えを指し示してくれる大人たちがいませんし、そもそもそうした観念そのものが、彼らが成長する過程において存在していませんでしたから、拝金主義で刹那的な生き方が悪いと考えることすらできないのです。人々の意識に甚大な影響を及ぼすマスコミ媒体であるテレビそのものが物質主義の先導役を常に果たしてきましたし、そして視聴率稼ぎのために、軽佻浮薄な現代人におもねるような中身のない薄っぺらな番組ばかりを作って放送している状況で、若い人々が堅実な人生観を持たずに刹那的な生き方をするようになるのは至極当然の成り行きでしょう。面白可笑しく生きることが是とされるような社会風潮の中で、現代の若者たちにとって、人生は即、金とセックスであって、それ以外の何物でもありません。そのような精神的片輪と言えるような、偏頗な人間を生み出したのは、今中高年層になった団塊の世代とそれより高年の世代にその原因があるのではないでしょうか。

 人間の生存にとって不可欠である衣食住が最低限に保障されるために、金は絶対的に必要なものではありますが、そして確かに金が潤沢にあれば生活上の苦境に陥ることもなく、快適な生活を楽しむことができるのは事実ではありますが、人生において金がすべてなのではありません。人間が人間としての生を全うするためには、物質と精神が均衡していなければならないのです。人間として私たちに与えられたこの人生で、私たちが物質的にも精神的にも豊かな生を成就させることは自然なことであり、万人が望むものです。物心両面において豊かな人生を送るべきことは私たち人間としての務めでもあります。それゆえ、健康に恵まれて身体が頑健であるうちに一生懸命働くことで、物質的な生活資力を安定させつつ、精神性においても自己を向上させて、年齢を重ねるごとに心豊かとなり、精神的に成長して生きることは、人間としての喜びであり、幸福感を存分に味わうことです。精神進化は絶対的に必要なことであり、そのために私たちは人間としてこの世に生を享けているのです。精神的な成長がなければ、人間である必要はなく、四つ足獣として生まれてもよいでしょう。人間のみに精神的な成長が許されているのであり、精神進化は人間が果たすべき義務であり、また権利でもあります。

 しかし、現在の日本の社会状況においては、精神性は忘れ去られて、物質偏重に偏ってしまっています。それが現代社会の問題の核心であり、私たち日本人一人一人がこの問題を真剣に考えなければならないのです。人は、『自分は家族を養うために一生懸命働いてきたし、子供たちを教育して立派に成人させ、他人に迷惑をかけないで生きてきた』と言って、現在の日本の社会状況は自分には関わりのないこととして、この問題から目を背けているわけにはいきません。なぜなら、あなたが如何に立派に生きてこようと、あなたがあなたなりの人生哲学を持っていようと、社会で地位や名声を有している有識者であろうと、日本人である私たち一人一人が関わって、現在の日本の社会を作り上げてきたからです。私たち一人一人の力が無に等しいほどに極々微小なものだとしても、そうした微小な力が寄り集まって社会を作り出したのであり、その社会が望ましいものであろうと、望ましくないものであろうと、私たちがその社会を作り上げたのです。あなたが日本人で、日本の社会で生きるかぎり、あなたは社会と関わりを持っており、そして社会から影響を受けるのです。ですから、日本人であれば誰一人として、『自分とは関わりがない』と言うことはできないのです。

 未来を展望する人々から“精神世紀”と冠名された二十一世紀に入り、そしてすでに数年を経た今、人生の黄昏の初老期に入りつつある私たち団塊の世代に何ができるのでしょうか。あと数年で定年退職を迎え、社会に対する影響力を失いつつある私たちにとって、社会がより良くなるように貢献できることとは何でしょうか。私たちは正しい生き方を身につけるべきだと思います。私たちは人生において物質を優先させて、精神性を蔑(ないがし)ろにして生きてきました。これまでの物質主義的な生き方を反省し、自己を精神的に成長させるべく、直近の身の回りのことから、すなわち夫婦の関係を見直すことから始めることでしょう。伴侶に対して心から感謝すること、思いやりを示すこと、さまざまな機会を捕らえていろいろな事柄を学び、互いに尊敬し合えるほどに人格修養に努めること。こうした些細なことを多くの日本人が日常の中で実践するならば、夫と妻の間に真実の愛が顕れて、そしてそれが周囲に影響を与え、親子関係がより良いものとなり、友人関係がよりいっそう信頼し合えるものとなり、他人に対しても寛大になって思いやりを示せるようになり、人間関係における軋轢が減少することでしょう。人生に精神的な価値を見出すべく、人がそれまでの物質尊重の拝金主義的な生き方を振り返って反省するだけでも、社会が変容することの影響力を培ったことになるのです。

 平均寿命が八十歳を超えるほどの世界一の長寿国である日本で、今中高年である私たちはまだ三十年も生きることが可能です。科学や医学が日進月歩で進歩している状況を踏まえると、私たちが八十の齢に達したとき、七十、八十歳代の人々はまだ若々しくさまざまな分野で活躍し、寿命が百歳近くまで延びているかもしれません。そのようなことが予見できるほどの高齢化社会に移行している日本の社会で、この三十年の年月を長いと思うか、短いと感じるかはその人次第のことでしょう。人が何か一つのことを学び始めて、それを追求していきたいと思えば、三十年は短くもあるでしょうし、何も学ぶことをしないで無為に過ごすならば、人はただただ年老いて、三十年は虚しく長い年月であると感じることでしょう。自己啓発と精神的な成長のために、常日頃学びたいと思っていたものや興味と感心を抱いていたものを、余暇を活用して習い始め、それをライフワークとして長く学び続けるならば、学べば学ぶほどに知識が膨らみ、そして智慧が身にそなわって、不分明であったいろいろな事柄についてもよく理解できるようになり、学ぶことの楽しさが実感できることでしょう。今、学ぶことを始めても、少なくとも二十年ほどは学習できるのですから、老いに対して恐れを持たず、人生がますます面白くなるに違いありません。いつも何かを熱心に学んでいる人は美しいものです。そのような人は、物を買うことなどで外面を飾るのではなく、世の中から多くを学んで心を豊かにすることによって、自己の内面を磨いて精神的に高尚な人となるゆえに、人々を惹きつけて止まぬ魅力に溢れるようになるのです。外面のみを飾る人は心が空虚で、人生に対する智慧も持てませんから、年齢を重ねるほどに外面が醜くなる老齢を忌避することでしょう。しかし、精神性に重きを置く人は老いることを恐れませんし、むしろ自己を修養する時間を多く持てることに対して感謝し、生の目的や意義を理解して、人生の甘露をじっくりと味わうことができるでしょう。

 生は常に自分との戦いですし、楽な人生などないのですが、人は安易な生き方を望むのです。しかし、すべての人間が精神進化の途上にあるこの生で、安易な生き方は許されず、そのような生き方をしている者は、最終的には生における敗者となって、苦渋の人生を歩み続けることになるでしょう。人生で物質的な豊かさも大切ですが、心の豊かさ、精神的な成長のほうがより大切なことなのです。心の豊かさや学ぶことの大切さを理解し、そして長く生きる人生を念頭に置いて、人生のあり方や生き方を再考すれば、これからの人生をどう生きるかということは誰にとっても自ずと明らかでしょう。そして生き方に対する人々の意識変革が起これば、日本の社会状況も必然的に変わるのです。

 

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