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精神世界へようこそ・結婚の意義

 男と女が結婚することの意義は、基本的には種族保存ということにあるのでしょう。けれど、男女が生涯に亘って共に生を導く結婚という形式には、種の保存という大前提以上に、もっと深い意味があるのではないでしょうか。なぜなら、種の保存だけが結婚の目的であるならば、世の中がより進歩して、子供は国家と世界全体の大切な財産とみなされるようになって社会全体で子供たちを養育するようになったときには、男と女が結婚生活を生涯に亘って継続する必要はなくなるからです。しかしながら、世の中がどれほど進歩しようと、人類が宇宙へと旅立っていけるような高度に発達した宇宙時代になろうと、男と女という両性が存在するかぎり、男女が共に人生を分かち合うという結婚の形式は決して消滅することはないだろうと思われます。そして男と女が共に生を導いていくことにこそ、人間の生における本質的な意義があるのではないでしょうか。

 近年では日本でも欧米並みの高い離婚率を示していますが、本来的には、結婚は非常に神聖なものであって、男女が生涯を共に生きることを誓ったならば、結婚生活によって自分たちの精神的な成長を果たすことができるように、互いに協力しあいながら人生を共に導いて、その誓いを全うすべきであろうと思われます。精神的に未成熟な十代の若者たちが一時の情熱にまかせて性交渉を持ち、そして妊娠してしまうことで結婚するカップルが最近では非常に多いように見受けられます。しかし、物事の後先を考えずに情熱のおもむくままに行動してしまうような精神的に未熟な若い男女は、熱が冷めれば別れることも早くて、生まれた子供に対する親としての責任を顧慮することもなく、安易に離婚してしまうようです。安易に離婚して、幼い子供を抱えた若い母親や父親のその後の生は苦難に満ちたものになってしまうのは当然のことなのですが、智慧と分別を持たない若い人たちは、あくまで自分本位の、そして場当たり的な生き方を押し通して、大切な人生を苦悩と悲しみに彩られた空しい人生にしてしまうようです。

 精神的に未熟で、智慧と分別を持たない人々の生き方は悲しいものです。この世に生まれ、そして長い人生を生き抜いていかなければならない人間であってみれば、どうしたら自己の人生を幸福で平穏無事に過ごすことができるかということを常々考えつつ、慎重に自己の生を導いていくのが常識的な人間の生き方であろうと思うのですが、精神性を忘れて、物質的なもののみに重きを置く即物的な人々が多勢を占めるようになった現代の世の中では、結婚に対しても、霊的な深い意義を見出すこともなく、また、結婚は一生の一大事というほどの感懐もなく、自分の感情や欲望のままに突き動かされて結びつく男女が大多数のように思われます。生に深い意義があることなど考えようともしない現代人にとっては、物欲的な生き方をすることで物質的には満たされるかもしれませんが、霊的な精神進化を果たすことができずに、空疎な人生で終わってしまうのも仕方ないことなのかもしれません。

 すべての人間は、異性と出会って愛し合い、結婚して幸福な家庭を築くことを願います。この世界には男も女も星の数ほど存在しているにもかかわらず、自分の伴侶となる人は世界でたった一人であるということは、奇跡と言えるほどに不思議なことではないでしょうか。男と女があるときに出会って結婚するということは、偶然によって起こることではありません。結婚するべき縁のある男女は必然的に出会うようになっているのであり、そしてそれは、前世において二人がそれぞれの心の中で約束事として決めたことなのです。そうした縁の不思議さに思いを致すことができる人々は、それゆえ、結婚とは重大な意味を含んでいるものであることがよく理解できることでしょう。結婚する男女は深い縁によって結ばれているのであり、結婚の縁は今生だけのものではありません。良い縁を持つ男女は、過去生においても夫婦であったでしょうし、未来生においても夫婦であり続けることでしょう。強い絆で結ばれた夫婦は、幸福な夫婦として永遠なる意識進化の道を二人で歩み続けていくことになるのです。

 男と女が結婚して長い人生を共に歩んでいくことにこそ、結婚の深い意義があるのであり、寄り添いながら二人で築く家庭こそ、真実の愛と平安があるのです。多くの人間が集合して社会と呼ばれるものを作り上げていますが、しかし、社会の核となる一単位は、実際には夫と妻とその子供で成り立つ家庭でしょう。ですから、夫婦は、社会における基本的な単位です。人々が社会の中で平安に暮らすこと、また、人々が社会に対して貢献することは、共に大切なことではありますが、まず何よりも大事なことは、社会の核であるそれぞれの夫婦が自分たちの力によって幸福な家庭と充実した人生を築くことでしょう。それが、人間として生きることにおいて最も大切なことであると思われます。なぜなら、この世の中には霊性において種々様々に異なるレベルの人間が存在しているのであり、すべての人間が自分の位置するレベルよりもより上昇することを目指して、精神進化を果たすことが課されてこの世に存在しているのですから、それぞれの夫婦が自分たちの生の目的として定める理想の実現を目指して、互いに協調しながら共に生を導いていくことが、この世で夫婦として生きることの意義であろうと思われるからです。

 しかし悲しいことに、現世に生きる人間は、物質世界であるこの世のありさまに心を奪われてしまって、人間の生の本来的な意義や目的を見失ってしまうようです。一切のものが変遷して留まることのないこの世の中で、肉体を持って生きるということは、日々働いて生活の資を得て肉体生を維持するということだけでも大変なことですから、肉体生を維持すること以外に、生に何らかの目的や意義があるなどとは到底考えられないと、大方の人間は思うのかもしれません。物質現象界に生きているゆえに、人々は物質のみに心を捕らわれて物質主義的な生き方に終始してしまい、生の全体性を俯瞰することができず、結婚して長い人生を伴侶と共に築いていくことの深い意味さえも、即物的な価値観によってしか推し測ることができないのです。結婚の意義は、男女が一組の夫婦として長い人生を共に築き、そして人生において一人では学ぶことができないものを、相手である伴侶を通して学ばせてもらうことにあります。それが、種の保存と共に、男と女が人生を分かち合う結婚の真の意義だと思います。男には男の役割があり、女には女の役割があります。両性には異なる役割があって、それぞれの精神的な資質において不足とするところを、男女が一緒になることで補い合い、人間として完成することを目指すのです。女は子供を産み育てるという大切な役割があり、妊娠出産して、その後の長い年月を子供が分別を弁えるほどに成長するまで、自分の全エネルギーを注ぎ込んで子供の養育に当たります。その間、男は妻と子を養い、そして自分を犠牲にしても妻子を守り抜くほどの純粋な愛を、身を以って体現することを家庭生活を通して学んでいくのです。

 この世で最も大事なものは愛であり、愛より大切なものはこの世に存在しません。なぜなら、愛が人間の本性であり、愛がこの世の一切のものを成り立たせている根本原因だからです。それゆえ、人間は結婚し、そしてそれぞれの人間が伴侶と我が子を通して自己本来の本性である愛、すなわち純粋なる普遍愛を、自覚して体現するための方便として、現世の生を生きるのです。妻は、生活の資を稼いで自分や子供を扶養してくれる夫に感謝し、深い愛情で夫に報いることによって、人に感謝することや人を愛することを夫を通して学ばせてもらうのです。夫は、妻の犠牲的な献身に感謝して妻を思いやっていたわり、妻を自己の半身として深い愛情を注ぐのです。夫もまた、人に感謝することと人に対して深く思いやることを、自分の妻を通して学ぶのです。相手を思いやる感情は慈愛であり、純粋な愛です。夫婦である男と女は、そのように互いを通して愛の本質に近づいていくのであり、そしてそれほどの愛の高みに達しなければ、深い絆によって結ばれた真実の夫婦になり得たとは言えないでしょう。

 自我を滅して、伴侶を自分自身のように深く愛すると言っても、それは互いに依存しあうことではありません。人間は、あくまで各個人が自立していなければならないのであり、夫婦である夫と妻は、一個の人間としてしっかりと自立した上で、互いに尊敬し慈しみあって無私なる愛を体現しつつ、共に霊的進化を果たしていくのです。自己の主体性を失って相手に依存することと、自我を滅して相手を深く愛することは、同じ意味ではありません。それは全く相反することです。相手に依存することは、自己の生における人間的な完成を目指して自分自身で生きることをせずに、自己を放棄してしまっていることです。一方、自我を滅して伴侶を自分自身のように愛するというのは、伴侶を深く愛することによって自我が滅せられて、真実の普遍愛によりいっそう近づくことが可能になるのであり、またそれによって自分自身も霊的に成長させてもらうことなのです。究極的に、如何なる人間でも精神的には同一の意識レベルになります。すなわち、無我の愛という、自我を滅しきった真実の愛を体現している人間になるでしょう。そのとき、人間は形態的には尚、男と女の外形を有しているでしょうが、精神性においては、いわゆる男らしさ女らしさと言われるような差異を超越してしまっているでしょう。

 世の中の人々はさまざまな生を導いています。人の意識レベルはそれぞれに異なりますから、個々の人間がその意識レベルにふさわしい生き方で生を営んでいます。人は皆、それぞれに精一杯に生きて、生の目的である精神進化を果たしています。人間は基本的には、人は人、我は我の生き方でよいのでしょう。しかしながら、人は人、我は我でよいと言っても、この言葉の意味は、利己的に生きてよいという意味では断じてありません。個々の人が導くそれぞれの生を認めたうえで、己は自分が理想とする生を目指して現世の生を生かさせてもらうのです。その意味で、人間は自己の生を生きる自由と尊厳と有しているのであり、それが生まれながらに賦与された人間の権利というものでしょう。千載一遇にして与えられたこの貴重なる人間生で、私たちは瞬時も疎かにすることなく、永遠に自己の伴侶である人と共に創造的な生を導いて、ひたすらに進化の道を上昇していきたいものです。社会の中で生きているかぎり、人は社会に対して如何なる形であっても貢献しなければなりませんが、まずは夫と妻である二人が、自分たちの生を創造的に進展させて、幸福な家庭を築くことが大前提でしょう。夫と妻と子供で成り立つ家族全体が物心両面に亘って幸福であれば、そのような幸福な家庭を営んでいることこそが、実際には社会に対して貢献していることなのです。

 しかし現代社会では、夫婦や親子の関係において骨肉の争いや憎しみが絶えることがなく、夫婦間の亀裂や親子の断絶、その他諸々の人間関係における問題が人々の心を悩ましているようであり、そしてそれが人間社会の現実の姿ではないでしょうか。現代の日本人は物質主義に偏ってしまって、自我の欲望を満たすだけの快楽志向的な生き方に陥っているようです。精神性に価値を見出せない現代人にとって、それゆえ、結婚生活が非常に難しいものになってしまうのは当然のことでしょう。と言うのは、利己的な生き方をしている人間にとって、エゴという自我を滅して他者と協調して生きることはほとんど不可能に近いことだからです。利己的な人間が人を心から愛することはできませんし、そしてまた、利己的な人間が真実の愛を知ることはあり得ません。なぜなら、愛を体現するには、自我を滅しなければならないからです。愛というものの本質を知らないので、ほとんどの日本人が物欲的な生を導いており、そしてまた、物欲的であるがゆえに利己主義を滅することができないのです。物質主義と利他主義は両立しません。物欲的な人間は、自己の利益と自我拡大を図る人間であって、エゴを滅することができないのです。一方、他者を利することを喜びとする利他主義は、無欲な精神主義者の生き方です。ですから、物質主義と精神主義は相反するものであり、決して両立しません。男と女が結婚して人生を分かち合うことの真実の意義は、相手である伴侶に愛を捧げることであり、愛を捧げることは、自分を無にして相手に尽くすことです。夫と妻の双方が、自分という自我を捨てて、互いに伴侶を思いやることをしなければ、幸福な結婚生活は成り立ちません。

 夫と妻が幸福な結婚生活を築き上げて、無我の愛を互いに深めていくことよりも、人間にとっては、一人で生きて、働いて生活の資を稼ぐことのほうが実際にはずっと容易なことでしょう。と言うのは、職を得て金を稼ぐのは、自分が主体となって働けばよいだけのことであり、これに対して、結婚は伴侶という人間を相手にして有機的な人間関係を築き上げて、しかも相手も自分自身も生かすことで精神進化を果たしていかなければならないからです。単純に言えば、働いて生活の資を稼ぐことは物質的な事柄であり、結婚は霊性に関わる事柄であると言えます。この物質世界で肉体を持って生きる人間にとって物質主義的に生きることは、物質世界の成り立ちそのものと拮抗しないことですから、物質的な事柄に関わっているほうが表面的にはいっそう楽なのです。霊的に進化向上しようと努めることは、物質に対するとは全く反対で、多大な努力を要することであるために、無意識的に人間は精神的な生き方に背を向けようとするのです。けれども、快楽を追い求めて物質主義的な安易な生き方に身を委ねていると、人間は最終的に悲しみに満ちた苦悩の人生に落ち込んでしまうでしょう。その理由もまた、人間とはその根本において霊であるゆえに、霊にとっては、その本来の自然な流れである精神進化に逆行した生き方は、霊性に拮抗してしまうからです。従って、この道理をよく知る人は、まず何よりも霊性に重きを置いて、そして物質も粗略にすることなく、この物質現象世界で精神進化を果たすことが可能な生を導いていくのです。

 この物質世界で精神進化を果たすことにおいて最も有益な手段が結婚であり、そしてまた、結婚は、男と女という二人の人間を真の幸福に導く黄金の鍵なのです。夫と妻の二人が協力しあいながら幸福な家庭を築き、そして子を儲けて、子を慈しみ大切に育てていく家庭生活においてのみ、人間は精神的に成長していくことが可能であり、そして何よりも夫である男と妻である女が人生を共に歩んで、互いに相手を思いやる純粋な愛を深めていく結婚生活においてこそ、人間の霊性における進歩向上が確実に果たされるのです。人間にとって結婚は重大な意味を持ち、そして婚姻を約す二人にとって正しい縁に基づく結婚であれば、それは夫と妻になる二人にとってより良き生と揺るぎない幸福を約束するものですから、人は、結婚に際しては慎重に生涯の伴侶を選ぶべきでしょう。そして自分にとって正しい縁を持つ人と結婚できたならば、もはや脇目もふらずに、心が満ち足りて幸福だと感じられる人生を二人で築き上げていくことです。心が満ち足りている状態というのは、心の中に葛藤や軋轢を抱えることがなく、精神的に安らいでいる状態のことでしょう。仕事や人間関係において心に心配や不安を抱えることがなければ、人は精神的に安定している状態を保っていられるものです。精神的に安定している状態はまた、気力が充実して仕事がはかどり、自分に対して自信を持っていられることでもあります。常にこのような良い精神状態に留まっていられるようにするためには、人間関係において如何なる軋轢も生じさせないことではないでしょうか。円滑な人間関係を保つために、まず第一に人が心がけるべきことは、夫婦という人間関係において夫と妻が和合して、円満な家庭を営むことでしょう。と言うのは、人間が生活する基本的な場である家庭が平安で居心地の良いところであれば、人は精神的に落ち着いていられるものだからです。

 結婚生活を幸福なものにして、平安な家庭を築き上げるには、夫と妻はどのような生活態度を示したらよいのでしょうか。結婚を成功させる秘訣を一言で言えば、人は、自分の心の中に潜む利己主義を滅することです。人生を成功させるには、これより他に方法がないと言っても過言ではありません。利己主義を滅することは、人生を幸福に過ごす万能薬のようなものであり、利己主義を自己の心から排除した人は、どのように生きようとも、この世界で最高に幸福な人として自由闊達に生きていくことができるでしょう。けれども、自分の心に潜む利己主義を滅するというのは容易なことではありません。実際には、自分が利己的であるかどうかも解っていないのが大方の人間ではないでしょうか。もっとも、自分が利己的な人間であると認識していれば、人はそのとき、利己主義から抜け出ていると言えるのかもしれません。現代社会では、親に甘やかされて育った自分本位な若者たちが多く現れ出て、社会全体を貶めているようです。他人に対する迷惑を考えようともしない放縦な若者たち、そしてそのような子供たちを育てた親たちも、エゴの塊のような人々であるのでしょう。野放図な現代の若者たちやそのような子供たちを育てた親たちは、利己主義の害悪はおろか、利己主義の意味さえも理解していないのではないかと思えます。ですから、現代の日本では、人間の利己主義、エゴとは、いったい如何なるものなのかを認識することが先決問題であるのかもしれません。

 利害関係が絡む社会の中では人間のエゴがむき出しになりますが、夫婦という関係においては利害の共通する部分が少なくないものですから、互いにエゴを抑制することが可能になるでしょう。結婚とは、愛しあう男と女が一緒になって家庭生活を営むことですから、愛する伴侶のために、互いに自分の利己主義を抑制して相手を思いやることができるはずです。伴侶に対して思いやりを示すことなく、自分本位な生き方をしていたら、結婚生活が破綻してしまうのは当然のことであり、それは深く考えなくても万人が理解できることでしょう。従って、結婚は、すべての人間にとって利己主義を減ずる最も有益な方便であり、そして長い結婚生活を通して夫と妻が自分の心の中に潜む利己主義をなくすように努めて、人間的な修養を積み、家庭生活を心安らかなものに築き上げていくのです。人間とは本来的に自我そのものですから、自我を滅するのは非常に困難なことです。けれども、愛しあう男と女が生活を共にする結婚を通して利己主義を徐々に滅していくのはそれほど困難なことでなく、それが自我にとって最も痛みが少なくて効果的な方法なのです。結婚の意義とは、それゆえ、人間の利己主義を滅する方便だと言い換えることができるでしょう。人間にとってエゴを滅しきるのは不可能なことですが、少なくとも、結婚生活を通して他者に対して思いやりという愛を示せるような円熟した人間になっていくことが可能であり、結婚を通して人間は意識進化を果たし、そしてかけがえのない伴侶と共に永遠の生へと至るのです。 

 

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