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精神世界へようこそ・死について

 この世の中で、死を恐れない人は一人として存在しないでしょう。すべての人間が死を恐れます。人々はなぜ、死に対して恐怖を抱くのでしょうか。それは、死とはすべての終わりのように思え、自分自身が完全に消滅してしまうように思えるからではないでしょうか。けれども、人間の、死に対する恐怖を深く考察してみると、人は死ぬこと自体を恐れているのではなく、伴侶や子供、親、兄弟姉妹、友人との関係が死によって断ち切られてしまうことを恐れているのではないでしょうか。この世に生を享けたからには、最終的に死を以って現世における生が完結することを誰でもが知っていますし、死からなんぴとも逃れ得ないことを心底から理解していますので、死そのものが怖いのではありません。人が死を恐れるのは、死によって自分と近しい人々との間で培った関係が完全に断ち切られてしまうことが辛く悲しいことなのでしょう。

 成人するまで大切に育てられてきたことに対する父母への恩愛、人生を共に生きて喜びも悲しみも互いに分かち合ってきた自己の分身である伴侶と育んだ深い愛情と絆、我が身よりも愛しく思う子供たちへ親としてそそぐ純粋な愛、人間はそうした諸々の感情を心に抱えているものです。そして人間とは感情に生きているものですから、否、言葉を変えて言えば、意識という感情そのものですから、自分と近しい人々との間で培った人間関係が、死によって消滅してしまうことが耐えられないほど辛いことのように思えるのではないでしょうか。この物質界で生きている人間にとって、物質である肉体が朽ちて消滅するのは自然なことであり、自分の肉体が消滅することが悲しいのではありません。老いて身体の自由がきかなくなり、若さを失って醜い外貌になる肉体に執着する人などいないでしょう。

 死によって、人がそれまで近親者たちと保っていた関係も完全に消滅してしまうかのように人々は考えます。けれど実際には、関係に変化が生じることはないのです。確かに私たちにとって身近な人が昨日亡くなったとすれば、今日からその人の姿は私たちの肉眼には映じなくなりますが、生者である私たちと死者であるその人の間で、実際には意識の上で関係が継続しているのです。と言うのは、形態を失うのは肉体だけであり、肉体を脱ぎ捨てて、今は死者と言われる霊は意識そのものであって、意識は決して消滅しませんから、故人である霊は生前と同じように私たちの前に厳然と存在しているのです。生者である私たちと死んで霊となったその人とは、意識において関係を保っているのです。しかも霊は生前と同じ形態を有しているのですが、私たちの物理的な目には意識という霊体は映らないだけのことです。

 今は故人となっている近親者と夢の中で会うというのは、おそらく多くの人が経験していることでしょう。夢とは不思議なもので、目覚めてみると、夢の中で起こった出来事は脈絡がなく論理性に欠けて無意味なもののように思えますが、夢の中では私たちは何の不合理も感じてはいません。私たちは物理法則が律する三次元の現象世界に住んでいますが、意識は時空を超えており、次元に拘束されません。ですから、三次元の物理界で意識の覚醒状態を保っている私たちが夢から目覚めたときに、意識だけが作用している夢の世界の出来事を三次元的に解釈しなおすことができないのではないでしょうか。私たちはすでに亡くなっている親と話をしているというような夢や、現在は疎遠になっているけれども数十年も以前に非常に親しくしていた友人と再び夢の中で出会っているというような夢を見たりしないでしょうか。しかも夢の中でも友人は老いることなく若いままであったり、また、背景である場所はかって自分が住んでいた懐かしい場所であったり、あるいは見慣れない奇妙な場所であったりするのです。

 夢に関して、私には興味深い体験があります。母親が亡くなって一年近く経っていた頃だと思いますが、私は母親がどうしているのかを知りたいと思っていました。そんな思いが心の中にあった頃の或る日、私は夢の中で実家と思われる家の中で母親に会うことができたのです。その夢は非常にはっきりとしたもので、私は今でもその情景をありありと描写できるほどです。夢の中の母親はいくぶんか若返っているように見えました。きちんと着物を着て部屋の中にいた母親は、そばにいた私に気づいたようでした。母親は二階への階段を上がり、階段の隅が汚いので掃除をしてほしいというようなしぐさを私に示しました。それから母親は近所に住む母親の姉の家に出かけて行きましたので、私が母親の後を追って、家の玄関を出たところ、『それ以上先に行ってはいけない』という言葉が私の耳にはっきりと聞こえたのです。そしてそれと同時に、薄暗い靄(もや)のようなものがかかっていて、私の目には見えない向こう側へと母親は吸い込まれて行きました。制止の言葉は私の指導霊から発せられたものであり、私が死者の世界に深く入り込むことを禁じたのでした。

 眠りから目覚めたのち、私たちはほとんどの夢をすぐに忘れてしまうようです。けれど、四時や五時という明け方に、いわゆる<清澄夢>と言われる非常にはっきりとした夢を見ると、それは正夢になるか、あるいはその夢には何かとても深い意味があるように思えます。今、自分は夢を見ているのだと解っているような状態を、人は一度や二度は経験したことがあるのではないでしょうか。『今、私は夢を見ている』と認識している自分は、夢の中の出来事や情景を静かに観照しているだけであり、そしてその状況をはっきりと自覚しているのです。明確な自覚を持って夢の中のありさまを観照しているのは、目覚めているときと同じ自分である表層の自我意識なのでしょうが、でもそこでは自己内部の深奥の本性意識が多大に作用しているのではないかと私は思います。

 深く眠ることと夢を見るという現象自体が不思議なことであり、眠りとは如何なるものなのか、私たちはその真実を知りません。今のところ、夢見も熟睡についても科学的に解明されていません。けれども、人間が眠りに入ることや夢を見るということは意識に関する事柄であるということだけは、すべての人が肯定するでしょう。夢の中では意識だけが作用しているので、夢の中に現れる人々は基本的に自分と意識波動が近似の人たちや、自分が非常に愛しく思う近親や友愛の絆で結ばれた知己が多く現れるようです。前述したように、今は故人である私の母親は、私が見る夢によく現れており、そして母親がいるところは母親が生前に住んでいたところ、すなわち私の実家のようであり、生前と同じように私に親しく話しかけたり、私の健康を心配したりしているのです。私は自分自身のさまざまな体験から、人間は自分にとって大切な人や近親の人々と夢の中、あるいは深い眠りの中で会っているのであろうと考えており、死者と言われる故人は、生者と言われる現世の人間と隔てられているとは思わないのです。

 死によって肉体が消滅してしまうために、人々は、人が死んだらその人間に関わる一切が消滅してしまうと考えるようですが、死は入眠過程と同じであり、寿命によって現世で学ぶことが尽きたことにより、意識は肉体を離脱してもはや肉体に戻らなくてよくなるだけのことでしょう。人の寿命が尽きて、古くなって用をなさなくなった肉体を脱ぎ捨てたことにより、死者は現世の人々の肉眼には映らなくなりますが、物理を超えた意識の世界で生前と少しも変わることなく存在しているのです。意識波動の稠密性が変わることにより、時空と次元を超越した領域に死者たちは存在しているのですが、その領域とはこの現象世界と縒り合わされていて、私たちが存在するところから少しも隔たってはいないのでしょう。ですから、現世で生きる私たちが毎夜寝入って、意識が肉体から一時的に離れて赴くところの夢の世界で、故人になっている近親の人々にときどき出会っているのではないかと私は推量するのです。けれど、私たちが目覚めたとき、夢という意識世界での出来事は、時空と次元が関与するせいで、私たちが目覚めたときにその心象が歪んでしまうのではないでしょうか。

 人間はこの世に誕生して、堅固なもののように見える物質で成り立っているこの現象界で、幼年期から少年期を経て青年となり、壮年となり、老年となって、時の流れが継続して確固たる揺るぎない生を送っていると思っています。けれど、時間−空間で成り立つ現世の在りようは意識が創りだしたものであり、意識そのものは時空と次元を超えたものです。結局のところ、生も死も、すべては心が創りだしていることなのでしょう。心、精神、あるいは意識というものを探求してみれば、私たちが目にする一切は意識が創りだしたものであり、私たちは意識という心が顕れ出た世界に住んでいるということに、人はいずれ気づくでしょう。そのとき、迷妄を脱した霊は現象の生と死を超越して、より高次の意識界に移行するのです。

 

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