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精神世界へようこそ・精神主義と清貧霊性に重きを置いて精神的に生きる人は、この世においては清貧に生きることになってしまうのは仕方ないことなのではないでしょうか。この世は物質界であり、物質至上主義で生きる物欲的な人々にとっては、生きることはそれほど困難なことではないでしょうが、精神的な人にとっては、その人の波動がより霊的で精妙ですから、物質界の粗雑な波動と合わず、生きるのが厳しい世界であると感じることでしょう。けれども、精神主義であろうと、物質主義であろうと、実際にはすべての人間にとって地上の生は基本的には苛酷なものです。なぜなら、人間はその根本において霊ですから、物質で成り立つ物理現象界で生きることは、霊性における自由を物理法則によって制約されるからです。物欲的な快楽主義者たちは、自己の本質である霊性を忘れ、この物質界で物質や快楽を追求し、多くの金や物を得て表面的には満足することでしょう。けれど、人間の心の渇きは、金や物によって癒されることは決してありません。と言うのは、心の渇きとは、心、すなわち精神が求めているものであり、それは精神的なものによってしか満たすことができないからです。心が求めているものは、精神的なもの、霊的なものであって、物質ではありません。 すべての人間が霊性に対する渇望を心の奥底に抱え込んでいるのですが、物質界で生きる人間は物質に心捕らわれ、心の奥底の霊的な渇望に気づくことができないのです。従って、自己の内面に目を向けようとしない即物的な人間は、心が渇望している本当のものに気づかず、金や物という物質を溜め込むことにあくせくと人生を過ごし、生の目的は財や富を蓄積することであるかのように誤解してしまうのです。けれども、人が多くの事物を溜め込んでも心が満たされることはなく、人は常に心が不満足な状態にあります。そして人は、心が何かを強く渇望していることを知ってはいるのですが、その求めているものが何であるのかが解らずに、求めても得られないものを常に渇望しているような、そんな心の焦燥状態に置かれるのです。 精神性に生の価値観を見出す精神主義者は、事物を獲得して得る偽りの満足感よりも精神的な充足を求めていますので、この物質界に生きることは大変なことのように感じるでしょう。そして精神性、霊性というものは目には見えず、霊性に向かう確固とした指針や明確な道が示されていませんので、精神的な憧れを強く抱く人や霊性における進歩向上を求める人は、不可視なる精神世界という薄明の中を自分一人で手探りしながら慎重に歩を進めなければならず、それゆえ、精神的な人の生は清廉潔白な克己の生という険しい人生となるのです。そしてまた、精神的な人はその心が霊性に向かっていますので、必然的に物質的なものとは疎遠であり、清貧な生になるのは当然の帰結でしょう。内へと向かう霊性と外部化する物質は相反するものですから、人が霊性に向かうかぎり、物質とは離反するからです。けれど、物質的には貧しくとも、清貧に生きて霊的な向上を目指して努力しているかぎり、そのような人は物質的に破綻することはありません。ですから、精神主義的な生き方を少しも心配する必要はありません。この理由もまた、物質は霊に従属するものであり、霊が物質を捕捉している主体だからです。 今生を以って物質界を経巡る輪廻転生から抜け出て高度な意識界へと上昇したいと強く願う人は、霊的な試練である苛酷な生を導かなければならないかもしれません。高次の意識界とは、我欲という低次な自我を滅した霊の領域ですから、快楽志向で物質に対する欲望を断ち切れない即物的な人間にとっては触れ得ない領域でしょう。この物質現象界に生きる人間の多くが物質によって惑わされて深い迷妄の中にあり、霊的に開眼していない状況下で、高次の意識界とは人間にとって想像を超えた世界でしょう。人が輪廻転生の輪を断ち切り、意識界における永遠の生を得たいと願うのであれば、物質によって心がそらされ、究極の真実が人間の目には隠されているように思えるこの物質現象界で生きてはいても、自己の霊的な進歩向上のために、人は瞬時もおろそかにすることなく、霊的な位階を昇っていくことのみに専心しているでしょう。霊的に上昇することを熱望するのであれば、地上の生において物質的な豊饒は望めず、清貧な生を送ることは仕方ないことかもしれません。<二兎追うものは一兎も得られない>と格言が示すように、物質と霊を共に求めることはできません。けれど、自分が求めるものに心を定め、その目的から心をそらさずに邁進し続けるならば、人は必ずその目的を達成するものです。ですから、この地上の生は苛酷で生きにくいと思っている精神的な人は、一歩ずつ慎重に霊性の道を踏み固めながら、ゆっくりと霊的位階を昇っていくべきでしょう。
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