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精神世界へようこそ・精神波動

 社会における人間関係の中で、ある人には強く引きつけられ、ある人には不快感を覚えて厭わしいと感じたりすることがあります。世の中に自分の好む人ばかりが存在していてくれたら、人間関係においてどのような軋轢も生じないで、毎日が平穏無事でしょうが、自分とはどうしても気心が合わないと思う人間がいるものです。そして、そのような人が自分の上司であったり、あるいは深く関わりを持たなければならないような人である場合が多々あります。ですから、大多数の人は、この世の中で生きていく上でストレスを常に抱えていることでしょう。嫌悪する対象が物体であれば、人はそれから離れていれば済むことですが、それが人間であれば、ただ離れてさえいれば済むというものでもありません。そしてまた、現実的に、それができる可能性は非常に少ないことでしょう。人がこの世の中で生きるためには有機的な人間関係を避けては通れず、人が社会生活を営む上で、気が合わない人間と出会うことは誰にとっても必ず起こることです。そして、自分が嫌いだと思う人間であっても、この世の中で生きているかぎり、その嫌いだと思う人間ともなんとか和を保って付き合っていかなければなりません。それがこの世の人間の生というものでしょう。

 同じ人間同士であるのに、なぜ好悪の感情が生じるのでしょうか。それは個々の人間が持つ精神波動のせいです。一言で簡単に言えば、人間とは振動で成り立っているものです。人間ばかりでなく、この世界そのものが振動で成り立っているのです。肉体人間からすれば、この物理現象界は堅固な物質で成り立ち、私たち人間も実体を有する物質で成り立っているように見えるのですが、実際にはそうではありません。現在のところ、物理科学の観点からこれを証明する方法はありませんが、あと幾世紀かを超えて物理科学が高度に発達した段階で、この宇宙に存在するものは究極的に意識だけであるということを科学的に証明できるときがくるかもしれません。人間とは意識振動なのです。人間の意識振動が人それぞれに異なっているので、人間同士のあいだで引きつけや反発が生じるのです。今ここに二つの振動があって、もしその二者の振動の稠密性が近似であれば、その二つの振動は調和して、反発することはないでしょう。けれど、振動の稠密性が非常に異なるならば、その二つの振動は決して調和することなく、互いに斥けあうでしょう。人間が粗暴で、物欲的で、精神的に進化していないとき、その人間の自我意識の波動は非常に粗雑です。人間が精神的に進歩し、霊的に向上するにつれ、その意識波動は精妙になっていきます。

 すべての人間の自我意識の波動がそれぞれに異なっています。自我意識波動を精神波動と呼んでも同じ意味です。近似の精神波動はあり得ても、同一のものは決してあり得ません。なぜなら、もし同一の波動を持つものが別々に存在すると仮定すれば、それらは離れていることはできずに、合一して一つのものになってしまうでしょうから。従って、すべての人間がそれぞれに異なるのであり、この世の中に自分という人間以外に、自分と同一の波動を有する人間は決して存在しません。しかしながら、近似の精神波動を持つ人間は自分の周囲に多く存在しますし、また異なる波動の人間も多く存在します。人と接して、その人の精神波動と自分の精神波動が近ければ、その人を好ましく思い、そして良好な人間関係を保てるのですが、もし精神波動が非常に異なると、無意識的に反発心が生じて、その人との関係が悪化してしまうのです。精神波動が近似しているということの意味は、物事全般に対する考え方や生き方そのものが似ているということであり、それで斥けあう感情を持たずに調和することが可能になるのです。これに反して、精神波動が異なる場合では、物事に対する考えや生きる方向性が大きく異なりますから、どうしても互いに反発しあってしまうのです。

 男女の恋愛において、互いに強く引きつけあうのは、両者の精神波動が非常に近いからです。そしてその波動の稠密性が近ければ近いほど、愛しあう度合いは深いでしょう。愛しあう二人が結婚して、仲睦まじく、長い人生を共に暮らせるかどうかということは、別問題です。なぜなら、結婚には因縁という別の要素が絡むからです。けれども、一目見て強く惹かれあって、深く愛しあう男女は、概して幸せな結婚に至ることができるでしょう。そのようなカップルは、前世においても互いに深く愛しあった夫婦だったのです。深く愛しあって結婚した男女であれば、互いにパートナーを尊敬しあい、そしてパートナーに寄り添うようにして長い結婚生活を送るので、そのようなカップルは互いに感化しあって、夫婦の精神波動が非常に近づくのです。それで、今生でその二人が出会ったとき、二人の波動が非常に近似しているので、一目で互いに強く惹かれあうのです。世間では、<似たもの夫婦>という言葉があります。その言葉は、良い意味で使われることもありますが、またその反対の場合もあります。良い意味で使われるときは、似たもの夫婦であるカップルは、人々の賞賛を受けるに値する生き方を夫と妻が共に導いているからでしょうし、悪い意味で使われる場合には、そのカップルは夫も妻も共に人々の反感をかうような生き方をしているからなのでしょう。夫婦は合わせ鏡ですから、好ましい波動であれ、好ましくない波動であれ、夫婦の精神波動は互いに感化しあってとても似ているものです。さもなければ、夫婦は成り立たず、別れてしまうことでしょう。

 精神波動が粗雑な人と精妙な人が出会うと、互いに反発しあってしまうのは仕方ないことでしょう。両者が出会ったとき、概して精神波動が精妙な人のほうが相手の言い分を通したり、妥協点を見出すように努力したりして、柔軟な姿勢を見せるでしょうが、波動が粗雑な人は、自分の言い分のみを強く主張したり、相手を負かそうと高圧的になったりして、多分に利己的な性質を示すでしょう。精神波動が精妙であるということは、精神性が高いことであり、霊的に進化していることです。性格が粗暴で、暴力的だったり、非常に自分本位で他者を思いやることができないというような、そのように精神的に未熟な人々の精神波動は非常に粗雑なものです。単に知性的であることは、精神性が高いということを意味してはいません。知性が高くても、人格者でない人間も世間には多く存在しますし、また見かけは立派で、世間的な名声と地位は有していても、人を引きつけるほどの人徳を持たず、むしろ人から嫌われる人々も存在します。あるいは、地位や名声がなくても、多くの人々から慕われて尊敬される有徳な人もいます。精神波動が精妙であるか粗雑であるかは、あくまで霊性の高低によります。精神波動の観点からこの世の中の人間性を斟酌すれば、多くの人間は中間のレベルにあって、突出して波動が精妙な人も、粗雑な人も、それほど多く存在していないのだろうと思われます。だからこそ、この世の中は大きな混乱が生じることもなく、うまく治まっているのでしょう。日常生活で小さな争いごとや反目が多々生じることはあっても、人は互いに妥協しながら生きていくものです。大多数の人間が近似の精神波動レベルにあって、そのレベルの中で波動の稠密性が微妙に異なるのでしょう。だから、自分とは波動が少しばかり異なるという意味合いで、ちょっと虫の好かない人だとか、嫌味な人間だとか、あるいはとても好ましい人だとか、非常に心引かれる人だとかの、他者を評する言葉が人々の口から漏れ出るのでしょう。

 いずれにしても、人が他者に対して好悪の感情を抱くのは精神波動のせいです。無意識的ではありますが、人々は精神波動によって自分の周囲にいる人々の霊性の高低を認知しているのです。概して自分と波動が近い人には心引かれますし、波動が異なる人には反発しがちです。しかし一方で、精神波動が粗雑な人が波動の精妙な人に引き寄せられることもまた事実です。人間は精神進化の過程にありますから、万人が自分よりも霊的に上位にある人に引き寄せられるのは絶対的な真理でしょう。そして、大多数の人が近似の精神レベルにあるので、そのレベルから少しでも上に抜け出た人は多くの人々から好かれ、そのレベルよりも下にある者もまた、多くの人から嫌われるのです。この意味で、人柄が良くて人々から好かれる人は、精神波動が精妙で、霊的に高いレベルにあるのです。逆に、人々から嫌われる人は、概して霊的にレベルが低いと言うことができるでしょう。但し、これは非常に大雑把な捉え方であり、この一般的なあり方とは違った状況を目にすることもあり得ることです。たとえば、ある分野で指導的な立場に立つ人物がいて、その指導者のもとに多くの人々が従属しているような状況下で、人々がその指導者に対して好意や崇敬の念を抱いているように見える場合、指導者が霊性において高い人であるかどうかは別問題です。と言うのは、指導者も、指導者に従う人々も共に精神波動が近似しているので、それらの人々が寄り集まっただけのことであり、そしてまた、人々の動機は、指導者が大きな権威を持つゆえに、権威や威光を好む人間が俗的な意図を持って集まっただけかもしれないからです。従って、実際には、人間の霊性の高低を見分けるのは普通の人々には少々難しい事柄かもしれません。

 この物質世界で多くの人間は無明の中でまどろんでいますが、霊性の偉大さに目覚めた人は、日々の生活における種々様々な人間関係の中にあっても、生きることの意義をしっかりと把握し、そして自己の精神性を進歩向上させつつ、霊性のより高いレベルへと上昇することを固く決意するべきでしょう。

 

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