天啓気療で網膜色素変性症が改善するなどと聞かされても素直には信じられない方が多いものと思います。何しろ、網膜色素変性症に悩んでいる本人は勿論、家族の方々も、そして医学に精通する医師であっても、改善や正常な状態に近づくことなど絶対にあり得ないものと固く信じているのが現状です。 網膜色素変性症の場合、医学的には勿論、一般的にも改善の見込みは全く期待できないものとされています。しかし、私の実施する天啓気療によって、素晴らしき改善と言うか正常の状態に近づく現象が現われているのも事実です。 網膜色素変性症の場合、一般的な常識では改善など考えられないと言われています。だからと言って、簡単に諦めてはならないのです。何故なら、私のような常識では全く考えられないような能力を発揮する者も現実に存在するのです。 |
私は、チャクラが覚醒しクンダリニーが上昇してから、長年に渡り手をかざすことによる天啓気療を実施してきました。その中で心に残る改善例の中に網膜色素変性症の患者の例がある。何故心に残っているかと言うと、他の病気などとは異なった改善と言うか良き変化が今日までの例では全ての方に現われています。
そこで私は、その方々に対して私の能力を正しく理解して頂くためには、改善した方の体験談が必要なので書いては頂けないかと、頼んだのです。そして寄せられた体験談の中に、網膜色素変性症にて悩んでいたことが書き記されていた。
網膜色素変性症の場合、網膜色素変性症の定義
に記載してある内容、網膜色素変性症の定義として、網膜色素変性症とは、どのような人に多い、原因はわかっているか、遺伝するのか、どのような症状がおきるか、どういう経過をたどるか、治療方法や治療薬などについては専門家の間であっても当然のように理解されています。この内容を検討してみると、大変な事柄であり、完全なる改善の見込みは期待できないことである。と解釈できます。
しかし「天啓気療」による治療体験内容を検討して頂ければ、明らかに変化することに納得して頂けるものと思います。
網膜色素変性症の定義
網膜色素変性症とは どのような人に多いのですか 原因はわかっているのですか 遺伝するのですか どのような症状がおきますか どのような治療方法がありますか この病気は原則として進行性ですが、その進行の早さには極めて個人差があります。30代でかなり視機能(視力、視野を合わせた呼び名)が低下する方もいれば、70歳でも1.0の良好な視力の方もいます。長い経過の後に字が読みにくい状態(矯正視力0.1以下)になる方は多いですが、暗黒になる方はむしろあまり多くありません。 この個人差はこの病気の原因となっている遺伝子異常が非常に多彩であるため、ひとりひとりが異なった遺伝子異常であることに由来するのかもしれません。しかし、同じ家系の中で当然同じ遺伝子異常と考えられる患者さんでもその進行度や重症度に差のある場合も判明してきましたので、まだわかっていない色々な要因によって病気の進行度や重症度が左右されている可能性があります。 したがって同じ病名であるからといって同じ症状や重症度、進行度を示すわけではないことを十分に理解して下さい。その上で自分の病気の進行度や重症度を専門医に診断してもらうとよいでしょう。進行度をみるためには当然1回の診察だけでは診断は不可能です。定期的に何回か診察や検査を受けて初めてその人の進行度を予想することができます。 網膜色素変性症の体験談集先頭へ |
難病指定,網膜色素変性症の治療 山梨県在住 女性 35歳
網膜色素変性症に悩んでいた方から天啓気療の体験談が届いた。網膜色素変性症に悩んでいる方がおりましたなら、是非お役立て下さい。
こんにちは先生にお世話になり、私の周りに起こった変化を、まだ先生の治療を受けていない方々にも知っていただきたいと思い、文章にしました。
(現在、難病指定されている遺伝病の一種。網膜細胞に色素がたまっていくことで、徐々に細胞が壊死し、視野狭窄、鳥目の症状が出る。
人により、進行の速度が違い、発病の年齢も違い、すぐに失明する人もいたり、寿命が尽きるまで、視力が保たれる場合もある。)
私の場合、おそらく10歳前後には症状があったのではないかと思いますが、はっきり病院で診断を受けたのは20歳のとき、その後、10年間は、病院に行くのも恐ろしく、足が遠のいていましたが、30を過ぎて、見えないことで、苦労することがたびたび起こり、定期的に病院での診察を受けるようになりました。
しかし、半年前の診察時の診断結果から、視覚障害者としての準備を考えたほうがよい、と説明を受けました。
病院の先生の話を聞いて、私は、生きていくことへのやる気のようなものがまったくなくなってしまいました。それまでも、病気のことは、自覚していましたし、たとえ見えなくても周囲の人とどう調和して暮らせるかを考えようとがんばって暮らしてきていたと思うのですが、私の人生は、とても限定された生き方しか出来ないのです、と烙印を押されたような気持ちになってしまいました。
病院での出来事と前後して、仕事上も問題が発生してきました。私は、小さなバレエ教室で、お手伝いをしているのですが、師匠である先生と、目が見えないこと、私の教室での態度をめぐって、常に先生の怒りを買うようになってしまったのです。
今思えば、目の病気に対しての執着が、自分でも気がつかないうちに、自分の将来に対する不安をかきたて、その不安を周りの人も感じて、ぎすぎすした人間関係になっていたのかと感じます。
年も改まり、いつまでも落ち込んでいるのもよくない、とやっと思い腰を上げ、盲学校や鍼灸治療などの学校の資料を集め始めました。
知人から聞いた、気功治療などにも行ってみましたが、あまり効果がない上に、効果がないのはお金を払わないからだといわれ、お金のない私は、行くのをやめました。
もう、3年後には、鍼師になると諦めたころ、インターネットで、天啓気療のホームページにであったのです。
興奮して電話をかけた私に、先生は、やさしい福島の訛りの入った言葉で、希望をもって!!と励ましてくれました。
かくして、先生のところに通うことにした私です。
1回目は、緊張していました。治療院の場所もよくわからず、地図もって行ったにもかかわらず、とんでもないところに迷い込んでしまい、遅刻。何が何やらわからぬままに治療を受けましたが、胸の深いところから呼吸が出来るようになったなあ、と感じました。治療を終わった直後は、視野がわずかながら広がった気もして、うきうきして帰りました。
2回目は、好転反応の一番ひどかった回です。私の場合、2日後にひどい倦怠感が現れますが、本当に体がだるかったです。そして、目の治療のときに、一番感じました。ちくちく、じりじり、目の奥に弱い電気が流れるような感覚(?)でした。
おなかのほうの治療も、まるで先生の手が透明になって、私のおなかの中をぐるぐるマッサージしているように、触られていないのに、腸が動く感じがありました。(もちろんそのあとは、便秘気味の私も驚きのお通じです。)
3回目以降は、少しずつ、好転反応のだるさも軽くなってきました。目の病状の回復よりも、精神的な落ち込みからの回復のほうが早く現れてきて、それまでは、毎日、「私は目が見えなくなってしまう・・・。」と考えながら生活していたのにも関わらず、目が見えなくっても大丈夫!というような積極的な気持ちというのでもなく、目の病気自体を意識する時間自体が少なくなってきました。
そうすると、今まで、躊躇していたか移出にも挑戦してみる気持ちも芽生え、一人でお出かけもできるようになりました。
一人で出かけていっても、目が見えなくて困ることはありませんでした。私の場合、劇的に病状が変化する、というよりも、生活の中でふと、見えていることに気がつく、ということが多かったようです。
治療を受けてからの一番の冒険は、今まで、目が見えないことで諦めていた、ダンスの公演への参加です。治療院に通いながら、リハーサルにも通い、1回1回、私でも踊れるから大丈夫だよ、と自分に言い聞かせ、無事、公演も踊りきることが出来ました。これは、私にとって、まさに清水の舞台から飛び降りるくらいの出来事で、私の自信を大いに回復させた出来事になりました。
ただひとつ困ったことは、バレエ教室の先生との関係が、悪化の一途をたどって、今では、ほとんど顔を合わせることもなくなってしまっていることです。先生のお話では、今までの人間関係が続くとは限らないとのことで、これも以前の私なら、大問題にしていたと思うのですが、今は、良い事もあれば、悪い事もあるさ、位の気持ちで臨めでいます。
現在は、私の目の病気も、私を脅かすものではなくて、ほくろやえくぼと同じように私の特徴のひとつかなあ、と捉えるようになりました。この先、目の病気との関係がどうなるのかはわかりませんが。
病院での次回の検査は、9月です。楽しみにしながら、もう少し、先生のところに通おうと思っています。
私の体験が、先生のところを訪れようか迷っている方の背中を押すことが出来ればいいなあ、と願っています。
本日その後の体験談が寄せられた。ここに記載致しますのでお役立て頂ければ幸いです。
北沢先生
こんにちは
先日久しぶりに伺ってみて、私に現れた変化を付け足します。
私の眼の病気、「網膜色素変性症」の検査で、大学病院に行ってきました。
3月29日のことです。診断結果は、「あなたの病気の進行状況は、普通の方と比べても遅いので、これからも普通の暮らしをしていても大丈夫でしょう。あまり心配なさらずに、今の仕事をがんばりなさい。」というものでした。
やった!
勿論、医師が治りました。とは言わないのはわかりますし、完治したわけではないことも事実。その中で、現状を維持しているという診断は、最も良い判断なのではないかと思います。
自分の感覚としては、「ん?今日は良く見えるかも!」という日も増えています。(私の場合、その日の天候や体調で、見え方が異なるのです。)
継続して、先生のところには通い続けて行きたいです。そして、どんな検査結果になるのか、5年後10年後が楽しみです。
好転反応で、人間関係で苦労したのは、つらいことでしたが、それを乗り越えないと、私の人生はいつまでも暗くどんよりしたものになってしまっただろうと、今ではわかります。その苦労を乗り越えるだけの力も眼への治療と一緒にもらえたのですね。この1年で、私はたくさんの人に助けられて生きているのだということも感じるようになりました。
これからの私の人生では、少しでも周囲の人に笑顔になってもらえるような人間になることを目標に生きて行きたいと思います。
先生ありがとうございました。
追伸
先生のご判断で、使用できそうなところがあれば、使ってください。