私が体験した想像を絶する苦しみや恐怖体験について
強力な光りを見たり感じたりする。身体はところかまわず勝手に激しく動く。意識もしないのに勝手に咽の奥から声らしきものなどが出る。瞑想などをしていると意識上にあるもの全てが一瞬に消える。想像もできないものが出現し大変なる恐怖感を体験する。その他様々な現象があったため食事もまともに取れず、更には、睡眠不足になっていて風邪をひいたような、倦怠感と言うか疲労感を覚え、大変悩んでいた時期が約四ケ月程度あったと記憶しています。
ところで、想像を絶する恐怖を覚えるほど精神状態及び肉体的変化が始まったのは、平成九年五月初め頃の朝方、神棚の前に座り一時間ほど呼吸法と瞑想をしたところ、何時間もしないうちに急激に目の中の白い部分がウサギの目のように真っ赤になり極端に視力が落ち、更に瞼が膨れて完全に塞がり、針などにて連続して刺しているような激痛に襲われ、更には、涙が止まる事無く連続して出てきたのです。
その後暫らくすると今度は、顔が見る影もないほど極端に腫れ上がり、そして身体全体がむくみ、更には、少しであっても頭を動かす事すらできないように重くなり、そして、痛みが極端なほど増してきたのです。更に、身体全体が動かせないように苦しくなる事は勿論、益々痛みが増し辛くなり、ほとんど動く事もままならなくなり、更に悪い事には、頭全体、特に額の辺りが非常に痛くなり、額が割れるのではと思い恐怖心が増すばかりであったと記憶しています。
その恐怖体験のあった期間は勿論、その後も七日間ほど食事は全く取れず途方に暮れていたことを思い出します。なぜに食事を取れなかったのかは、理由は定かではないが、食品や空気は勿論、自分の周りに存在するあらゆる物の臭いに極端なほど敏感になり、自分自身の口の中に食料や飲み物を入れるだけでも恐怖を感じるほどになっていた記憶があります。
この極端な恐怖体験の期間は勿論、例のごとく、あいも変わらずその後も目を閉じれば恐ろしいほど強い、そして、まばゆいばかりの様々な光を毎晩のように見続け、そして、感じていたのです。
身体からは、幽体離脱なのかどうかよくわかりませんが、意識が外れ、遠くは地球のかなたと言うか宇宙の果てまで見る始末で、更に、光り輝く海の中や、光り輝く建築物などを、自分自身が飛びながら見ているように感じたり、見た事のない色々な建築物や山、川、過去、死後の世界と思われる現象や、自分自身などが光り輝いているのを見たり、自分の身体の中で電気でも生産されて流れているようにビリビリとしびれたり、常識では全く理解できない事が数限りなく頻繁に起こったのです。
更には、金粉や小判、一万円札などが降ってきて例えようのないほど喜んでいると、その金粉や小判などが急激に大量に降りだし、自分自身が埋まり息もできずに死ぬ様子の恐怖体験を見たり、感じたりと、不思議な事ばかりが連続してあったのです。
その他、様々な恐怖体験はあったのですが、その中で最もの恐怖体験は、私の腕と同程度の太さで巨大な吸血ヒルと思われるものが、私の身体を取り巻き、口の部分は腕に吸い付き、いくら振り切ろうとしても振り切る事ができず、想像を絶するほどの恐怖を味わった事も記憶しております。
この小判などに埋まる体験は、私は非常に貧しい家に生まれ、お金がない生活を余儀なくされ義務教育のみであったのです。
そこで、努力をして一級建築士や一級施工管理技師の資格を取り仕事をしていたわけですが、原町市は田舎であるため、私の事は皆が知っており、高校にも行かない者を認めたくないとの意識があからさまだったのです。
よって私は、お金さえあればとの意識が強かったものと考えられるのです。従って、私自身の自我が金銭にあったために、その自我から開放されるためには、金銭から意識をはずし心を鎮めるようにと、私自身のもう一方の自我の意識が戒めているからこそ、体験したものと私はそのように理解をし考えているのです。また、吸血ヒルの場合なども、自分自身では心は開いていると思っているのではあるが、私の心の中の自我は、私が自分自身の心を開く事をためらっていたと認識し、恐怖体験を通し、心の中にある自我を開放しなければならない事を知らせたと理解しなければならないのかも知れないのです。
最も恐ろしかったのは、強烈な光を見た場合には衝撃などがあり、更に、身体がところかまわず勝手に激しく動いていたのですが、その時なぜか、透明に近い白い強力な光を見た場合には、最初に下痢があり、暫らくすると今度は、下血が非常に激しく何度もあり驚いていた記憶があります。
その下血があった場合などには、あまりに大量であるため便器が真っ赤になると言っても言い過ぎてはないほど大量の下血であったので、今現在になって思い出しても背筋が凍るように鮮明に思い出します。
この体験も数十回に及びあったのですが、便が異常なほどの臭いがしていて、更に、真っ黒な便であった事も不思議な事の一つなのです。この場合などは、肉体の内部に滞った汚れた血液が排泄される現象や、宿便が排泄される場合の好転反応現象と思われる現象(偏差現象とも言われる)の一種なのかも知れないのです。また、強力な光のエネルギーが入ってきたと思える時や、強力な光を見た場合など、更には、強力な光りに自分自身が溶け込んで和合し一体となったように見えたり感じたりした場合などには、身体が不思議なほど熱くなる現象や、全身が激しく動き出すこと、表現の方法がないほどの安堵感と幸せ感があることなどについては同じくあるようなのです。
激しい下血などをした時、病院に行って検査をして頂かなければとの迷いがあったのですが、とても信じて頂けないだろうと思い病院に行く事は一度もなかったのです。しかし、このような驚くべき体験も実際にある事は知っておくべきであると思うのです。
この様々な恐怖体験は、チャクラの覚醒やクンダリニーの上昇が始まると、その人の心の中にある自我の程度により体験する事は異なるが、様々な事を体験するものと思われるので注意が必要なのかも知れないのです。ですから、愛とか、自然であるかとか、心のあり方とか、意識のあり方などが重要であるなどと言われているのかも知れないのです。ですから、もし皆さんの常日頃の自我意識が様々な恐怖による場合には、当然として、その自我意識に関する現象が恐怖となって現れてくると認識しなければならないのかも知れないのです。
その他、あいも変わらず身体がこのままでは壊れてしまうのではと思うほど激しく動く事があり、更には、喉の奥よりの変な声も益々激しく出てきていたのです。これは本当に誰に話をしても「お前の頭はおかしくなった」としか言われないような事が続き夜になっても全く眠る事ができず、本当にこのままおかしくなるのではないかと大変不安でならなかった事を記憶しています。
前記したような様々な極端なる恐怖体験が七日間ほど続き、その夜、裸であっても身体全体が焼けるように熱くなり、福島県の九月は既に涼しいはずなのに、布団もかけず、下着以外は着ていないにも係わらず、下着を何回も取り替えなければならないほどの大量の汗をかき苦しんでいたのです。
その身体全体が異常に熱くなった時に、このままでは死んでしまうのではないかと不安になり、どうすれば良いかを考え、出した答えは、例え、神様がいてもいなくても、真剣になり、神様が私を必ず守ってくれると信じたなら、この苦しさから開放されるのではないかと思い、硬く強く信じて実行したのです。
その時私は、まだ死ぬ事はできない。なぜなら、ここまで修行が進んだが、本当の意味で皆の為に能力を使って助けてはいないし、まだ若すぎる。もし、神様が本当にいるとすれば、必ず私の望みを聞いてくれると真剣に神様はいると信じたのです。その直後マニプラチャクラが活動を始め、クンダリニーの上昇が始まったのです。
ところで、自分自身どころか地球までもが一瞬にしてこの世から消えるように感じる場合があるのです。そう、物質の世界である三次元の世界の全てと言っても良いかも知れませんが、一瞬にしてなくなる感じがするのです。
そうですね、簡単に言ってしまえば、死、または無とか空そのものです。この現象は、物質的世界から精神的世界に意識が移行する為に体験すると言われているのであるが、ようするに、物質的世界から開放され現実の世界を捨てて精神的世界の心に変化するようなのです。つまり、生まれ変わると理解すれば納得や理解ができると思うのです。よって、想像を絶する恐怖が生じると考えられることから、更なる注意が必要である。