天啓気療で網膜色素変性症が改善
天啓気療(天啓気功療法)で網膜色素変性症が改善するなどと聞かされても素直には信じられない方が多いものと思います。何しろ、網膜色素変性症に悩んでいる本人は勿論、家族の方々も、そして医学に精通する医師であっても、改善や正常な状態に近づくことなど絶対にあり得ないものと固く信じているのが現状です。
網膜色素変性症の場合、医学的には勿論、一般的にも改善の見込みは全く期待できないものとされています。しかし、私の実施する天啓気療(天啓気功療法)によって、素晴らしき改善と言うか正常の状態に近づく現象が現われているのも事実です。よって、簡単に諦めてはならないのです。何故なら、私のような常識では全く考えられないような能力を発揮する者も現実に存在するのです。
私は、チャクラが覚醒しクンダリニーが上昇してから、長年に渡り手をかざすことによる天啓気療(天啓気功療法)を実施してきました。その中で心に残る改善例の中に網膜色素変性症の患者の例がある。何故心に残っているかと言うと、他の病気などとは異なった改善と言うか良き変化が今日までの例では全ての方に現われています。
そこで私は、その方々に対して私の能力を正しく理解して頂くためには、改善した方の体験談が必要なので書いては頂けないかと、頼んだのです。そして寄せられた体験談の中に、網膜色素変性症にて悩んでいたことが書き記されていた。
網膜色素変性症の場合、赤線枠内に記載してある内容、網膜色素変性症の定義として、網膜色素変性症とは、どのような人に多い、原因はわかっているか、遺伝するのか、どのような症状がおきるか、どういう経過をたどるか、治療方法や治療薬などについては専門家の間であっても当然のように理解されています。この内容を検討してみると、大変な事柄であり、完全なる改善の見込みは期待できないことである。と解釈できます。
しかし「天啓気療(天啓気功療法)」による 治療体験内容 を検討して頂ければ、明らかに変化することに納得して頂けるものと思います。
網膜色素変性症の定義
網膜色素変性症とは
網膜色素変性症は目の中にあってカメラでいえばフィルムに相当する網膜という膜に異常をきたす遺伝性、進行性の病気です。網膜は光を神経の信号に変える働きをします。そしてこの信号は視神経から脳へ伝達され、私たちは光を感じることができるわけです。
網膜には色々な細胞が存在していてそれぞれが大切な働きをしていますが、網膜色素変性症ではこの中の視細胞という細胞が最初に障害されます。視細胞は一番最初に光に反応して光刺激を神経の刺激すなわち電気信号に変える働きを担当しています。
この視細胞には大きく分けて2つの種類の細胞があります。ひとつは網膜の中心部以外に多く分布している杆体細胞で、この細胞は主に暗いところでの物の見え方とか視野の広さなどに関係した働きをしています。もうひとつは錐体細胞でこれは網膜の中心部である黄斑と呼ばれるところに分布して、主に中心の視力とか色覚などに関係しています。
網膜色素変性症ではこの二種類の細胞のうち杆体が主に障害されることが多く、このために暗いところで物が見えにくくなったり(とりめ、夜盲)、視野が狭くなったりするような症状を最初に起こしてきます。そして病気の進行とともに視力が低下してきます。
ここで問題となるのは、網膜の能力を表す矯正視力(眼科でレンズを使用して測定する視力)で、裸眼視力の低下は病気の進行や網膜の能力と関係ありません。また一口に網膜色素変性症といっても原因となる遺伝子異常は多種類ありますので、それぞれの遺伝子異常に対応した網膜色素変性症の型があるため人によって症状も多彩です。
どのような人に多いのですか
網膜色素変性症には男女の差はほとんどありません。
常染色体劣性網膜色素変性症ではしばしば両親が血族結婚であったり、同じ村の出身や遠い親戚どおしであったりします。またこのタイプの遺伝形式では通常兄弟姉妹に同じ病気の患者さんがいても親子で同じ病気ということはありません。常染色体劣性遺伝の場合は血族結婚をしなければ子供が発病する確率は非常に低いです。
常染色体優性網膜色素変性症では親から子供へ、子供から孫へそれぞれ50%の確率で遺伝しますがこの場合、通常血族結婚はありません。常染色体優性遺伝の場合、親と同じ時期に発症(主に夜盲)しなければ遺伝子異常も持っていない可能性が高くなります。
X連鎖性網膜色素変性症では通常男性が発症し(患者)、その場合患者の祖父が同じ疾患で、その娘である患者の母親が保因者(遺伝子異常は持っているが発症しない)という、いわゆる隔世遺伝の形をとります。
それぞれ発症年齢には個人差が多く出生時にすでに相当進行しているタイプや子供の頃から自覚症状を訴えるタイプもありますが40歳ぐらいになって初めて症状を自覚する患者さんも多くいます。
原因はわかっているのですか
この病気は視細胞や、視細胞に密着している網膜色素上皮細胞に特異的に働いている遺伝子の異常によって起こるとされています。しかし今のところ、明らかに原因となる遺伝子がわかっているのは網膜色素変性症の患者さん全体の極く一部でしかなく、大部分の患者さんではいまだ原因遺伝子は不明です。
現在までにわかっている原因遺伝子としては常染色体劣性網膜色素変性症では杆体cGMP-フォスフォジエステラーゼ aおよびbサブユニット、杆体サイクリックヌクレオチド感受性陽イオンチャンネル、網膜グアニルシクラーゼ、RPE65、細胞性レチニルアルデヒド結合蛋白質、アレスチンなどの遺伝子が知られており、また常染色体優性網膜色素変性症ではロドプシン、ペリフェリン・RDS(retinal degeneration slowの略) 、ロム-1、X連鎖性網膜色素変性症では網膜色素変性症GTPase調節因子(RPGR)の各遺伝子が知られています。しかしこれらの遺伝子の異常も網膜色素変性症の極く一部でしかなく、今後さらに多数の遺伝子異常が明らかにされるものと期待されています。
遺伝するのですか
明らかに遺伝傾向が認められる患者さんは全体の50%で後の50%では遺伝傾向は確認できません。ただし遺伝傾向が確認出来ない場合でもどこかの遺伝子の異常であると考えるのが一般的です。遺伝傾向が認められる場合では、常染色体劣性遺伝、常染色体優性遺伝およびX連鎖性遺伝の3種類ありそれぞれの遺伝形式により遺伝の仕方は様々です。
どのような症状がおきますか
原因は視細胞にありますので、視細胞の障害にともなった症状がでてきます。尤も一般的な初発症状は暗いところでの見え方が悪くなる(とりめ、夜盲)ことです。さらに病気が進むと次第に視野が狭くなってきます。
その後、視力の低下や色覚異常がともなってきます。またこの病気は原則として進行性ですが、症状の進行度には個人差がみられます。さらに症状の組み合わせや順番にも個人差がみられ、最初に視力の低下や色覚異常で発見される場合もあり夜盲は後になる患者さんもいます。
どのような治療方法がありますか
この病気には現在のところ根本的な治療方法はありません。対症的な方法として、遮光眼鏡(通常のサングラスとは異なるレンズ)の使用、ビタミンAやその仲間の内服、循環改善薬による治療、低視力者用に開発された各種補助器具の使用などが行われています。
遮光眼鏡は明るいところから急に暗いところに入ったときに感じる暗順応障害に対して有効であるほか、物のコントラストをより鮮明にしたり、また明るいところで感じる眩しさを軽減させたりします。ビタミンAはアメリカでの研究で網膜色素変性症の進行を遅らせる働きがあることが報告されていますが、この効果についてはさらなる検討が必要であり、通常の量以上に内服して蓄積すると副作用を起こすこともあります。
また循環改善薬による治療では必ずしも全員に対して有効であるわけではないのですが、使用により視野が少し広がる、明るくなる患者さんがみられます。
確実な治療方法がない現在、最も重要なことは、眼科疾患の中でも非常に進行の遅い疾患ですので、視力視野の良いうちから慌てないこと、矯正視力や視野結果を理解して自分の進行速度を把握すること、進行速度から予測される将来に向けて準備をすること、視機能が低下してきても各種補助器具を用いて残存する視力視野を有効に使い生活を工夫することです。
補助具のうち拡大読書器などを使えば、かなり視力が低下してからも字を読んだり書いたりすることが可能です。コンピューターの音声ソフトによるインターネットやメールも重要です。
また、将来期待される治療方法として、遺伝子治療、網膜移植、人工網膜などの研究が主として動物実験で行われています。これらの治療方法はまだ実際に誰に対しても行いえる治療方法とはなっておらず、現時点では実験段階ですがその成果は次第に上がってきているようです。
どういう経過をたどるのですか
この病気は原則として進行性ですが、その進行の早さには極めて個人差があります。30代でかなり視機能(視力、視野を合わせた呼び名)が低下する方もいれば、70歳でも1.0の良好な視力の方もいます。長い経過の後に字が読みにくい状態(矯正視力0.1以下)になる方は多いですが、暗黒になる方はむしろあまり多くありません。
この個人差はこの病気の原因となっている遺伝子異常が非常に多彩であるため、ひとりひとりが異なった遺伝子異常であることに由来するのかもしれません。しかし、同じ家系の中で当然同じ遺伝子異常と考えられる患者さんでもその進行度や重症度に差のある場合も判明してきましたので、まだわかっていない色々な要因によって病気の進行度や重症度が左右されている可能性があります。
したがって同じ病名であるからといって同じ症状や重症度、進行度を示すわけではないことを十分に理解して下さい。その上で自分の病気の進行度や重症度を専門医に診断してもらうとよいでしょう。進行度をみるためには当然1回の診察だけでは診断は不可能です。定期的に何回か診察や検査を受けて初めてその人の進行度を予想することができます。
難病指定,網膜色素変性症の治療
網膜色素変性症に悩んでいた方から天啓気療(天啓気功療法)の体験談が届いた。網膜色素変性症に悩んでいる方がおりましたなら、是非お役立て下さい。
こんにちは
先生にお世話になり、私の周りに起こった変化を、まだ先生の治療を受けていない方々にも知っていただきたいと思い、文章にしました。
現在、難病指定されている遺伝病の一種。網膜細胞に色素がたまっていくことで、徐々に細胞が壊死し、視野狭窄、鳥目の症状が出る。
人により、進行の速度が違い、発病の年齢も違い、すぐに失明する人もいたり、寿命が尽きるまで、視力が保たれる場合もある。)
私の場合、おそらく10歳前後には症状があったのではないかと思いますが、はっきり病院で診断を受けたのは20歳のとき、その後、10年間は、病院に行くのも恐ろしく、足が遠のいていましたが、30を過ぎて、見えないことで、苦労することがたびたび起こり、定期的に病院での診察を受けるようになりました。
しかし、半年前の診察時の診断結果から、視覚障害者としての準備を考えたほうがよい、と説明を受けました。
病院の先生の話を聞いて、私は、生きていくことへのやる気のようなものがまったくなくなってしまいました。それまでも、病気のことは、自覚していましたし、たとえ見えなくても周囲の人とどう調和して暮らせるかを考えようとがんばって暮らしてきていたと思うのですが、私の人生は、とても限定された生き方しか出来ないのです、と烙印を押されたような気持ちになってしまいました。
病院での出来事と前後して、仕事上も問題が発生してきました。私は、小さなバレエ教室で、お手伝いをしているのですが、師匠である先生と、目が見えないこと、私の教室での態度をめぐって、常に先生の怒りを買うようになってしまったのです。
今思えば、目の病気に対しての執着が、自分でも気がつかないうちに、自分の将来に対する不安をかきたて、その不安を周りの人も感じて、ぎすぎすした人間関係になっていたのかと感じます。
年も改まり、いつまでも落ち込んでいるのもよくない、とやっと思い腰を上げ、盲学校や鍼灸治療などの学校の資料を集め始めました。
知人から聞いた、気功治療などにも行ってみましたが、あまり効果がない上に、効果がないのはお金を払わないからだといわれ、お金のない私は、行くのをやめました。
もう、3年後には、鍼師になると諦めたころ、インターネットで、天啓気療(天啓気功療法)のホームページにであったのです。
興奮して電話をかけた私に、先生は、やさしい福島の訛りの入った言葉で、希望をもって!!と励ましてくれました。
かくして、先生のところに通うことにした私です。
1回目は、緊張していました。治療院の場所もよくわからず、地図もって行ったにもかかわらず、とんでもないところに迷い込んでしまい、遅刻。何が何やらわからぬままに治療を受けましたが、胸の深いところから呼吸が出来るようになったなあ、と感じました。治療を終わった直後は、視野がわずかながら広がった気もして、うきうきして帰りました。
2回目は、好転反応の一番ひどかった回です。私の場合、2日後にひどい倦怠感が現れますが、本当に体がだるかったです。そして、目の治療のときに、一番感じました。ちくちく、じりじり、目の奥に弱い電気が流れるような感覚(?)でした。
おなかのほうの治療も、まるで先生の手が透明になって、私のおなかの中をぐるぐるマッサージしているように、触られていないのに、腸が動く感じがありました。(もちろんそのあとは、便秘気味の私も驚きのお通じです。)
3回目以降は、少しずつ、好転反応のだるさも軽くなってきました。目の病状の回復よりも、精神的な落ち込みからの回復のほうが早く現れてきて、それまでは、毎日、「私は目が見えなくなってしまう・・・。」と考えながら生活していたのにも関わらず、目が見えなくっても大丈夫!というような積極的な気持ちというのでもなく、目の病気自体を意識する時間自体が少なくなってきました。
そうすると、今まで、躊躇していたか移出にも挑戦してみる気持ちも芽生え、一人でお出かけもできるようになりました。
一人で出かけていっても、目が見えなくて困ることはありませんでした。私の場合、劇的に病状が変化する、というよりも、生活の中でふと、見えていることに気がつく、ということが多かったようです。
治療を受けてからの一番の冒険は、今まで、目が見えないことで諦めていた、ダンスの公演への参加です。治療院に通いながら、リハーサルにも通い、1回1 回、私でも踊れるから大丈夫だよ、と自分に言い聞かせ、無事、公演も踊りきることが出来ました。これは、私にとって、まさに清水の舞台から飛び降りるくらいの出来事で、私の自信を大いに回復させた出来事になりました。
ただひとつ困ったことは、バレエ教室の先生との関係が、悪化の一途をたどって、今では、ほとんど顔を合わせることもなくなってしまっていることです。先生のお話では、今までの人間関係が続くとは限らないとのことで、これも以前の私なら、大問題にしていたと思うのですが、今は、良い事もあれば、悪い事もあるさ、位の気持ちで臨めでいます。
現在は、私の目の病気も、私を脅かすものではなくて、ほくろやえくぼと同じように私の特徴のひとつかなあ、と捉えるようになりました。この先、目の病気との関係がどうなるのかはわかりませんが。
病院での次回の検査は、9月です。楽しみにしながら、もう少し、先生のところに通おうと思っています。
私の体験が、先生のところを訪れようか迷っている方の背中を押すことが出来ればいいなあ、と願っています。
○○ ○○○
本日その後の体験談が寄せられた。ここに記載致しますのでお役立て頂ければ幸いです。
北沢先生
こんにちは
先日久しぶりに伺ってみて、私に現れた変化を付け足します。
私の眼の病気、「網膜色素変性症」の検査で、大学病院に行ってきました。
3月29日のことです。診断結果は、「あなたの病気の進行状況は、普通の方と比べても遅いので、これからも普通の暮らしをしていても大丈夫でしょう。あまり心配なさらずに、今の仕事をがんばりなさい。」というものでした。
やった!
勿論、医師が治りました。とは言わないのはわかりますし、完治したわけではないことも事実。その中で、現状を維持しているという診断は、最も良い判断なのではないかと思います。
自分の感覚としては、「ん?今日は良く見えるかも!」という日も増えています。(私の場合、その日の天候や体調で、見え方が異なるのです。)
継続して、先生のところには通い続けて行きたいです。そして、どんな検査結果になるのか、5年後10年後が楽しみです。
好転反応で、人間関係で苦労したのは、つらいことでしたが、それを乗り越えないと、私の人生はいつまでも暗くどんよりしたものになってしまっただろうと、今ではわかります。その苦労を乗り越えるだけの力も眼への治療と一緒にもらえたのですね。この1年で、私はたくさんの人に助けられて生きているのだということも感じるようになりました。
これからの私の人生では、少しでも周囲の人に笑顔になってもらえるような人間になることを目標に生きて行きたいと思います。
先生ありがとうございました。
追伸
先生のご判断で、使用できそうなところがあれば、使ってください。
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