この宇宙に存在するもの全てが、私自身と一体で同一のものであり、神であり、愛であり、宇宙であり、自然であると気付いた時なぜか納得できたような気が致します。なぜに気付いたかは、クンダリニーの上昇時に神様と和合したような感覚になると同時に、安堵感に満足感で浸っていたところ、あれ、何か不思議な感じがするし、変であると気付いたのです。
その時、私の脳裏に自然に存在する全てのものが愛そのものであり、神様そのものであり、そして、宇宙そのものであると、意識しようとした訳でもないが、意識上に沸きあがり浮かんできたのです。
つまり、宇宙に存在するものは、全てが一つであり、同一のものであると、なぜか意識として沸きあがってきたのです。また、良く考えると判明するのですが、私が体験した全ての事柄も、自然であり、愛であり、神であり、宇宙そのものも、全てが一体と考えられるのです。
この事を考えると、愛とは、即ち、自分に対して行う事も、他人に対して行う事も、別段の区別はなくなり、実行した事全てが、そして、思ったこと全てが、自分に対して行った事になると考えられるのです。
つまり、皆さんに対してとか、神様に対してとか、愛を込めてとか、宇宙に対してとか、自然に対してとかの区別は、全くない事になると考えられるのです。
ようするに、愛が大事であると述べているのですが、愛とは、男女間の愛や、親子愛だけが愛であると間違って解釈していることが一般的のようであるが、しかし、本来の愛とは、兄弟愛、人類愛、近所愛、民族愛など全てであり、そして、全ての事柄に対する愛も重要であるのです。従って、どのような事を実行したとしても、全てが一体であって区別がないことになるのです。
このことを理解しなければ、私は愛のこともわかり、愛があるなどとの発言はできないことになるのです。ですから、戦争などに、神が守るとか、愛のためになどの言葉はないと自覚しなければならないと思います。争いは当然にして不自然なのですから、考えるべき事柄なのです。
ところで、仏陀(お釈迦様)は、人間の生きる道は、『自然のあるがままが大事』と、説いたと言われています。この事を考えれば、私の述べている事と同様の事を述べているのかも知れないような気が致します。
前記した部分の内容を指し示して、一般には、悟りを開いたと言われているのかも知れないような気がしているのです。そのように確信しても良いほど、感激した体験であった事も事実なのです。