天啓気療は、自然治癒力を正常な状態に導く
私の授かった能力「天啓気療」チャクラの覚醒及びクンダリニーの上昇により得たサイ能力とか超能力などと述べられる能力の特徴は、皆様の持ち合わせている自然治癒力を正常な状態に導くことができる事なのです。肉体的な病気の改善は勿論、精神的な悩みが原因で引き起こされる病気の改善、様々なストレスからの回避能力の向上、更には、学力の向上、運動能力の向上、運命の好転などにも良き結果が期待できるのです。
肉体的病気と精神的要因により発症する病気との関係は、卵が先か鶏が先かとの問題と同じで表裏一体であり答えは永遠に出ないものです。よって、肉体的に現れる病気の改善であっても、精神的要因による病気の改善であっても精神の安定が一番のカギになるのです。だからこそ、私の授かった能力、チャクラの覚醒及びクンダリニーの上昇により得たサイ能力とか超能力などと述べられる能力にて心を癒し安定に導くことにより、肉体的に現れる病気も精神的要因による病気であっても改善に向かうのです。
病気などの原因は、一般的に下記に示した内容が正しいものと理解されています。しかし、私が天啓気療を実施していて気付いた事柄は別にあるように感じます。それは、どの方も同じと考えられますが、過去に体験した記憶を心の奥深くに蓄積しているものと考えられます。この体験内容を蓄積する理由は、その後同じような体験をした場合、危険を察知し生命を守り維持するための本能そのものの働きと考えられます。
その過去に体験した事柄と類似する体験を後日になってした場合、恐怖体験の場合、恐怖として蘇るようです。この蘇りの事柄が恐怖として蘇れば過大なるストレスとなり精神面に障害が発生し、更には、肉体へも影響を与えやがては障害として現れるように感じます。この傷害こそ病気と称するものの正体と考えられます。この考え方の内容を裏付ける事柄として、好転反応と述べられる現象が現れる際、過去に蓄積された体験が蘇り驚かされます。
病気の原因について
一概には言えないと思いますが、血液、体液、生命エネルギーなどが、緊張やストレス[警戒心、嫉妬、哀しみ、臆病、憎しみ、病気などの恐怖。]などにより滞り、自然治癒力が低下した事を称して、病気と言っていると思うのです。病気とは、気が病むと書く事でも理解ができると思います。
そこで、天啓気療や呼吸法、瞑想や自律訓練などにより緊張やストレスをほぐし、自然治癒力を活発に活動させると改善するようなのです。私の天啓気療を受けると、ほとんど全員の方が、眠気や倦怠感をもようしてまいりますが、その眠気や倦怠感こそ、一番大切なストレスの解放そのものであるのです。つまり、リラックスに他ならないのです。
病気の原因には、大きく分けて三種類
1. 親からの遺伝によるもの
体型や顔が似ているのと同じで、性格や、病気なども類似している場合があるのです。また、体型や顔の形状、顔色などは五臓六腑にも関係している事が以前よりよく知られているのです。即ち、病気に関係している事にもなるが、詳しい説明に付いては、今回は省略することにした。【私が長年悩む病の改善のきっかけは噂話だった】のところにも記載しているが、望診と言う見方の方法もあるので、今後機会があれば触れてみたいと思います。
2. 外的要因によるもの
転んで腕を折る事や交通事故などにより、外部より受けた急激なショックに絶えかねて、骨や筋肉などが損傷した場合などがあげられるのです。また、ギックリ腰なども、外部よりの力によるものと考えられるのです。
骨や筋肉が損傷した場合には、原因がはっきりしていると同時に、よほどの事がない限り人間の肉体が本来持っている自然治癒力によって、完全とは言えないまでも修復され回復していくものなのです。
天啓気療を実施すると、自然治癒力が一段と増し早期に改善するのです。特に、スポーツなどにて傷めた場合などには、筋肉など身体が鍛えられているため改善が早いものなのです。
3. ストレスや緊張が原因によるもの
病気になると、真っ先に病院を尋ねる事が一般的である。確かに医学の進歩は目覚ましいものがあり、緊急時やどうしても手術などが必要な場合には、絶対になくてはならないものとして認めなければならないのです。しかし、医者や薬では根本的に病気は治らないし、改善もしない事もまた知るべきなのです。また、どのような能力者であったとしても、できない事と自覚すべき事なのです。例え、私であっても、絶対にできないのです。
最も注意を払わなければならないのは、病気を改善させたり治す事ができるのは、皆様方自身の持ち合わせている自然治癒能力であって、絶対に医学や医者や薬の力ではなく、医学や薬は、あくまでも補助的であって、根本的に改善させたり治したりする事はできないのです。
例えば、何らかの原因により、出血をした場合を考えてみれば納得するはずです。出血をした場合には、血液中に流れている血小板によって、血液が必要以上に流れ出ないように傷口を凝固して防ぐのです。同時に、白血球などによって、外部より進入して肉体に対して害する細菌などを退治しながら、傷口を修復して行くのであって、医学や医者や薬は補助的には役立っているかも知れませんが、どこにも直接的には役立ってはいないのです。
直接的に役立ち作用しているのは、紛れもなく、自分自身の持ち合わせている自然治癒力に他ならないのです。この傷口の例は、外部よりの細菌に対してであるが、肉体内のあらゆる病気に対しても同様の事が言えるのです。例え私であっても、補助的であって直接改善させているのではないのです。従って、病気の原因たるストレスや自我、愛などについての捕らえ方によって、改善する度合いが異なる事になるのです。ですから、愛のあり方や自我の在り方がどんなに大事な事かがわかるのです。
私の場合には、皆様の持ち合わせている自然治癒力を、本来の正常な状態に呼び覚ます事ができる能力を持ち合わせている事が特徴なのです。その能力を駆使しているのであって、私が改善させたり治したりしているのではないのです。
病気やストレスから一日も早く開放されるためには、自我や愛について、心を鎮め思考しなければならない事は太古の昔から語られているのです。従って、自我や愛について、心を鎮め思考するためにも、最も大事な呼吸法、瞑想、自律訓練などを薦めているのです。
病には原因がある
次に記載した事柄を冷静になって考えれば、納得ができるでしょう。
人間は、感情の動物であると一般に言われています。人間の本質は、心、生命、気、魂、そして、肉体から成り立っている事が知られているのです。心や感情をひもといてみると、気そのものなのです。気とは、生命エネルギーであり、肉体を動かしている原動力であり源でもあるのです。
元気があり行動ができるのも、病気になったりするのも、この気、即ち、生命エネルギーが、心のあり方や感情によって様々に形を変えて肉体に現れてくるのです。肉体に現れてくる現象は、様々な自我による不安やストレスなどによる場合がほとんどなのです。この件は、以前よりよく知られている事であって、ここであえて述べるまでもないのです。
普段の生活状態では、ほとんどの方が物質的な物を信じ、肉体的次元、つまり、形のあるものや目に見えるものを信じているのが一般的であるのです。それは、どのような事かと申しますと、例えば、胃が痛いとして医療機関に行くと、まず、皆さんの身体は現在どのようになっていて、胃のどの部分が悪いのかなどを、医療器具などを駆使して場所などを特定するべく診察をするのです。
その診察をする際、胃は物であり、物質として診察をし、そして傷みもまた、悪い部分があるから痛いとして判断をするのです。その際、精神状態や心のあり方、自我などは、全く無視されているのが現状なのです。
実際はどうであろうか、私の所に天啓気療を受けに来る方々をよく見ていると、この物理的や物質的、肉体的に判断する事は、全くもって間違いである事が判明するのです。胃が痛いというのには原因があるのです。第一に、神経的である訳だが、神経的とは、心の中に恐怖心や心配事がある場合などがほとんどであるのです。
なぜ、恐怖心や心配事がいけないかと言うと、恐怖心や心配事が存在すると言う事は、取りも直さず、ストレスや緊張があると言われる事であるのです。ストレスや緊張があると、肉体内にある脳は勿論、筋肉や細胞、神経などにもストレスや緊張が生じ、筋肉や細胞にも悪影響を及ぼし異常な状態になるのです。ストレスや緊張こそが一番厄介なものなのです。
例えば、胃が痛い場合には、胃に関係があり、外的要因や感情によるストレスにも関係のある、マニプラチャクラに負担が生じ、正常な状態に機能しなくなる事が全と言っても過言ではないようなのです。ですから、マニプラチャクラの特徴や機能を理解しなければ、どのような治療方法であっても、どのような訓練方法であっても、根本的な改善は望めないようなのです。また、医師やマスコミは勿論、皆さん全てと言っても過言ではないほど、ストレスや緊張が原因で病気になるとそのように信じ、納得しているのが実状と言ってもよいような気もするのです。
ストレスや緊張の原因で身体に多大な影響を及ぼし、やがては心身に異常な状態が生じてくる!
ストレスや緊張とは言うが、では、ストレスや緊張とは何なのか、どのようなものであるかが問題であって、私は次のように考え、そして、理解しているのです。
ここで、ストレスや緊張の原因となるものの意味をひもといて簡単に理解できるようにしてみる。様々なる意識は、アストラル次元のエネルギーを出していると一般には述べられているのであるが、それは、自我の事を指していると理解できるのです。
それでは自我とは何か、自我とは、一般的に知られている言葉にて表現すれば、欲とか喜怒哀楽の事を指していると解釈できる。それではまず、喜怒哀楽の事を考えてみなければならない。
喜怒哀楽とは、喜び、怒る、哀しむ、楽しむ、などと解釈できるのです。ではなぜ、喜怒哀楽が生まれてくるのかをひもといてみると、欲があるからこそ、喜怒哀楽が生まれてくる事が理解できるのです。
欲を持つ事は、全く悪い事かと申しますと、一概には言えないところがあるのです。もし、欲がなかったなら仕事をする事も捨て、困難に向かって努力する事もなくなり、命さえ簡単に捨てかねない事になるのです。従って、適度な欲が必要である事が理解できるのです。
注意をしなければならないのは、喜びや楽しい事は、大変重要であり、良い事なのであるから、ストレスや緊張を生まないのではないかとの疑問が生じてくるのです。喜びや楽しいと表現する事の反対は、何であるかを考えて頂ければ納得がいくのではないだろうか。どのような現象であれ、心のあり方であれ、裏を返せば何とやらであって必ず表裏一体であることがわかるのです。
表があれば裏もある事が納得できるものなのです。従って、どのような場合においても、喜びであってもストレスや緊張はあるものなのです。意識としては良いと考えても、心の中には「もしかして、この良い事は、続かないのでは」との意識も存在するのです。即ち、絶対に良いこととして考えても、この件は、悪いのではと考えている部分も心の奥底には隠れているものなのです。
例えば、「私は、ガンが恐ろしいのでガンにはなりたくない」と願っても、結局、「私はガンになりたい」と願っているようなものなのです。ですから、ガンは勿論、病気の事など、意識も考えも持たない事が大事なのです。つまり、自分には、元々病気などには縁がないとして、気にしない事が大事なのです。なぜなら、ガンと言う病気を怖がっているからこそ、ガンになりたくないと思ったのです。ガンに対する恐怖、即ちストレスとなっている事は、紛れもない事実となるのです。
食事のあり方なども、やはりストレスとなることがあるのです。例えば、太り過ぎているから痩せようとして、食事制限などを実施すると、肉体的にも精神的にも負担が生じ、やがては多大なストレスとなり、様々な生活習慣病を引き起こしたり、拒食症や過食症などに悩むことがあるのです。
一般に知られているプラス思考とかマイナス思考なども同じ事であり、程度が問題な事が理解できるのです。ですから、プラス思考だけが良いのではなく、やはりマイナス思考も、裏を返せば何とやらであって、やはり重要なことなのです。全ての現象や物体、物事や結果であっても必ず表があるなら裏もあるのです。
もし、身体に悪影響を及ぼすとしたら、怖いなどと思い、警戒する警戒心。私よりあの人は、何々が良いなどと嫉妬する嫉妬心。何々が、哀しいなどと言う哀しみ。仕事を失敗したら試験に落ちたらどうしようなどと思う臆病な臆病心。あの方にはひどい目に合されたと言う憎しみなど。ありとあらゆる恐怖心などにも共通するのです。
この事自体全てが、喜怒哀楽であり、欲があるからこそ生じてくるのです。それこそ、その欲が最も恐れる結果をもたらすストレスの原因であるのです。この喜怒哀楽と欲を証して、自我と言う事から、自我があるからこそ生命を維持し、この地球上に人類が栄えていると解釈できるのです。ですから、その自我が、皆さんに対して相応しい自我であるかが問題であるのです。ようするに、程度が問題なのです。ところで、この喜怒哀楽や欲が難なくかなえられ、喜びなどに変える事ができ、そして、絶えられる状況にある場合においては、ストレスや緊張は最小限に抑えられ身体に及ぼす影響は少ないのです。
ところが、かなえるのに困難な場合や心身ともに耐えられないような状況の場合には、大きなストレスとなり、緊張を生み、身体に多大な影響を及ぼし、やがては心身に異常な状態が生じてくるのです。その心身の異常状態を病気になったなどと一般には表現していると思うのです。ただし、個人によって、願望の種類や大きさなどが異なっているのと同じで、緊張感やストレスなどの捕らえ方も個人により格差があるのです。よって、病気の種類や場所、程度などが異なると思うのです。
物事や人物、思いや感情などに対し様々な反応する事を、ストレスが生じるとか、緊張するなどと言うと私は理解しているのです。また、なぜ反応をするのかは、人間は元々動物であり、生き延びるためには、予期せぬ危険がせまる事もあるのです。
ストレスや緊張の原因で身体に多大な影響を及ぼし、やがては心身に異常な状態が生じてくる
昔は、自分の身を守るために危険な事を察知して避け、更には、食べ物を確保しなければ生命を維持できない状況であったのです。しかし、時代が変わり現代では、生命を維持できないような危険な事や食べ物を確保する問題は、少なくなったと言っても良い状況にあるのです。しかし、依然として、人間の生命を守り続ける本能については変わる事はなかったのです。現代とは言え、やはり、生命を安全に維持し生きて行かなければならないのです。
病気などの恐ろしい事や危険な事を避けるための警戒心も必要。自分より他人が優れていると、いつ職業や生命、食料などを奪われて失うかも知れない。危険な事があっても困るので、警戒心も必要。仲間との別れや親族などとの別れなどがあれば危険が増し、更には、辛いので、哀しみや恐怖、臆病心なども必要。
病気や死に対しては、生活が安定すればするほど様々な面において、少しの恐怖であっても恐怖心が増し、更には、臆病になり、必要以上に敏感になり、異常なほどの反応を示して、益々ストレスが増してくるのです。
肉体より出ているエネルギーは、エーテル次元エネルギーと言われ、それに対して、自我より出ているエネルギーは、アストラル次元エネルギーと言われています。自我の出すエネルギーは、圧倒的に次元が高く、強力で洗練されていて、肉体より出ているエーテル次元エネルギーに対して、絶大なる影響力を持っているとされているのです。
従って、自我意識のエネルギーのあり方が、重要であると言われているのです。自我をできる限り鎮め、そして、抑制するためには、できる限り身体の力を抜きリラックスする事が最も大事である事は、太古の昔から語り継がれ伝えられているのです。
身体の力がうまく抜けた時には、皆さんよくご存知のとおり、脳がアルファ波の脳波を出している状態になるのです。その脳波がアルファ波の状態になった時に、自分の願望をさり気なくはっきりと、願望が達成され、自分自身が喜んでいる状況をイメージする事により、自分自身の願望が達成されると言われているのです。
そこで、自律訓練や、呼吸法、瞑想などにて、できる限り身体の力を抜き、自我(喜怒哀楽や欲など)を鎮める事を薦めているのです。
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