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 人は、人間は死んだら無に帰して消滅すると思っている人と、死んだらあの世へ行くと思っている人と二通りに別れるようです。確かに、死んであの世から帰ってきた人がいるわけではありませんから、あの世があるのかないのか断定はできません。けれど、魂は消滅しないということだけは、私に関するかぎりでは断言できることです。と言うのは、私は幽体離脱(体外離脱とも言われる)を幾度か体験しているからです。

 最近では医療が飛躍的に進歩したことで、以前であれば死んでしまうような仮死状態から奇跡的に生還したというような事例がたくさんあるようであり、そのような体験をした人々の中から臨死体験の報告も多数聞かれるようになりました。私には臨死体験の経験がありませんので、臨死体験と幽体離脱の違いは何かということに関しては意見を述べる立場にはありませんが、臨死体験は死につつある人が、いわゆるあの世と言われるところの際(きわ)まで行って戻ってきたことなのだろうと、私は自分なりの解釈をしています。一方、私が体験した幽体離脱とは、自分が肉体から抜けて、自分の肉体やその周囲の環境を見ている状況のことなのです。

 私は幾度か幽体離脱を体験していますが、その中で鮮明に記憶している離脱体験をここに記そうと思います。

 私が初めて幽体離脱の体験をしたのは、もう二十数年も前のこと、私が三十一、二歳の頃のことです。当時、私は就寝前に一時間くらい瞑想をして、それから床に就くのを習慣にしていました。そのときもいつものように一時間ちかく瞑想して、寝床に入ったのは十一時半頃であったと思います。すでに寝入って、2、30分も寝たのでしょうか、ふと目覚めたのです。目が覚めたのですが、なにかしら尋常ではない感じがしましたので、状況を把握しようと目を凝らしてみました。薄暗い部屋の中で、私は立っているくらいの位置で部屋を見回しました。瞬間的にとても不思議な気がしました。なぜって、私は寝ていたはずですから。いつも就寝時に点す常夜灯が四畳半の部屋を薄暗く照らしており、部屋は常と変わりなく、箪笥があり、ドレッサーがあり、そして蒲団が延べられていました。寝床に入る前の光景と同じ光景がそこにありました。ただ一つ違っていたのは、蒲団の中に誰かが寝ていることです。そして、もう一つ不思議な感覚が私を占有していて、それは私が宙に浮いていて、身体を持っていない感じだったことです。すなわち、私自身が視覚だけだったような気がしたのです。私が寝ているはずの夜具の中に誰かが寝ているのを発見したならば、非常に吃驚して恐怖感を持つでしょうに、そのときの私には恐怖の感情は全くありませんでした。そしてなんとはなしに、上のほうから斜め下に向かってスゥーと枕のほうへ近づいてみると、なんとそこには私が寝ていたのでした。私は確かに私の寝顔を見ていました。口を少しあけてぐっすりと寝入っている自分の寝顔を、私はまじまじと見たのです。見ている私に不思議な感覚がわき起こって、そして考えました。『私はここにいます。でもそこに寝ているのも私だ。考えている私。そこに寝ている私。どちらが私?』・・・・・。わけの解らないことを数十秒ほど考えていたのでしょうか、私はスゥーと気が遠くなるような感じがして、そのまま気を失ってしまったように思います。気がついたときは明け方でした。そして私は蒲団の中で懸命に考えこみました。『あれは何だったのだろう? 夜中に起こったあの出来事はいったい何だったのだろうか? 絶対に夢ではない。私は宙に浮いていて、数十センチの至近距離のところで私の寝顔を見ていた。』 けれども、いくら考えても説明がつかず、ただ不思議な体験をしたものだと、そのときは思いました。今でもそのときの状況をありありと思い出すことができますし、私がどのような格好で寝ていたのかも正確に描写できるほど、私にとってそれは強烈な体験でした。

 その当時、私は仏教やヨガについての一般的な本は読んでいましたから、ある程度心霊に関する知識は持っているつもりでしたが、幽体離脱については全く知りませんでした。幽体離脱という言葉を知ったのは、イギリス滞在中に霊性について著述している本を読んでいたとき、<Outof Body Experience(体外離脱体験)>という言葉を目にして、そのときに初めて、私が数年前に体験したことがそれであると理解したのです。ところで話は少しそれますが、私は滞英中に、英国心霊研究教会の下部組織にあたるものだったと記憶していますが、ヴィクトリア駅近くに所在する、その下部組織の教会で日曜日ごとに霊媒によって行なわれるリーディングを聞きに行ったり、また当時、霊媒としてイギリス国内で非常に有名であったドリス・ストークの講演会に行ったりしたものでした。そして、イギリスでは心霊に関する研究やその知識がわりと一般に流布しているのを知って、イギリス国民のリベラルな感覚にとても感心したものでした。リーディングとは、霊媒が霊から受け取ったメッセージを、その霊と関わりのある聴衆の中の特定の人に伝えるというものです。そのメッセージは通常、メッセージを受け取る人の肉親か親戚にあたる故人からのもので、故人の霊とメッセージを受け取る人との間でしか解らないような、私的な内容を含んだ事柄なのです。私は、青森県の恐山の口寄せがどういうものなのか正確には知りませんが、おそらくリーディングは口寄せと基本的には同種のものではないかと思います。けれど、テレビの報道などで見る恐山の口寄せは、物悲しいような、怖いような、一種独特の雰囲気をかもしているようで、なんとも名状しがたいのですが、それに対してリーディングは、メッセージを受け取る特定の人のみならず、その場に居合わせている聴衆もまた、霊媒によるメッセージが伝達されている状況の中で、大いに慰めが得られるような心安らかで温かい雰囲気を有していました。このようなリーディングが一般聴衆に自然に受け入れられ、また心霊研究が地道に進められ、そしてそれが正当に評価されているイギリスの社会環境に、私は畏敬の念を持ったものです。と言うのは、私が渡英した当時、日本では精神界の世界教師と言われたジッドウ・クリシュナムルティやヨガを通して人々の関心がようやく精神世界に集まり始めた時期であって、心霊に関する知識が違和感なく大衆に浸透しているイギリスと、精神世界の黎明期にあった日本とでは、懸隔の相違があったからです。

 欧米では超心理学の領域で、幽体離脱についての研究が進められているようです。私の稚拙な英語力では、学術分野の心理学の本などは難解すぎて読めませんので、幽体離脱に関する学術的な知識に触れえる術はありませんでしたが、一般大衆を読者対象にしている出版物などで、私が知りたいと思うことぐらいは充分に満たせたと思います。いずれにしても、私が求めている知識を満たしてくれそうなところへは躊躇することなく出かけて行って、会に参加したり、講演を聴いたり、本を読んだりして、イギリスの心霊研究状況に感服していたこの時期、私はかなりひんぱんに幽体離脱を経験していたのです。

 もう一つの鮮烈な離脱体験を述べましょう。それは私がベッドシットといって日本で言う下宿のような部屋を借りて住んでいたときに起こったことです。私はその下宿先の女主人の息子に対して強い警戒心を抱いており、就寝するときにはドアの鍵穴に鍵を差し入れてロックして、鍵が動かないように固定した挙句、動かないことを何度も確かめるほど用心深く振舞っていました。鍵穴に鍵を差し込んでロックしておけば、ドアの反対側の鍵穴から鍵を差し込むことができないということを教えてくれたのは、私と同じようにその家に下宿していた若いイギリス女性でした。ある晩、いつものようにドアの鍵をチェックして就寝したのですが、おそらくそのことが心の奥底で非常に気がかりだったのでしょう、私は幽体離脱をして鍵のロックを確かめたようなのです。

 私の幽体離脱のプロセスは概して次のようにして始まります。私は半眠半覚醒のような状態になり、身体が動かないような感じになります。意識だけがグワァーと渦巻き状に吸いあげられて気が遠くなるような、あるいは身体全体が巨大な真空掃除機のようなものに吸いこまれるような感覚が起こり、数秒間それが続く感じがして、瞬間的に意識がとぎれ、そして気がつくと私は肉体から抜け出ているのです。抜けた状態で私が感じることは、肉体人間であるときの感覚とは異なるものであり、まず重量感が全く感じられず、空間をものすごいスピードで移動するか、あるい滑らかにすべるような感じを持つのです。このときの幽体離脱においては、肉体から抜け出た私はベッドの脇に立っていました。そのときの私は寝るときに身に着けたネグリジェ姿のままでした。そしてドアに向かってすべるような感じで歩いたのですが、私の身体は蒸気のようなものでできているかのごとく、私が歩を進めるごとに、身体を構成しているその蒸気のようなものが後方へなびくように、私には思われました。それを言葉で描写するのは非常に難しいのですが、霧状の微粒子でできている人間の形態を持ったものがゆっくりと動くとき、その霧状の微粒子が後ろに尾を引くような感じ、とでも形容したら、そのイメージを想像してもらえるかもしれません。ともかくアストラル体は肉体とは全く異なる性質のものであり、煙のような、霧のような、蒸気のようなものとしか、私には言いようがありません。私はドアのところへ行き、鍵に触れたように思いますが、それは定かなことではありません。それからベッドのほうへ戻り、寝ている私の顔を覗きこむように屈んだとき、私は意識を失いました。ほどなく、肉体に戻ったときに気づいたのですが、そのときに感じた非常に可笑しいことは、『肉体はなんて重いんだろう』という印象を持ったことです。あのときの肉体のズシンとした重さを今でも思い返すことができるほど、とても重く感じたのです。

 東京で暮らしている母親を心配して、母のところへ行こうと強く念じると、幽体離脱を起こして実際に母親を見に行くことも私にはできました。母親に会おうと思ったことで生じた幽体離脱は数回ありました。その中で強く印象に残っているものは、家の台所に立っていた母親に、母の背中越しに話しかけたとき、母は振り向かずに私の話しかけに応えたというものです。後日、このことに言及した手紙を母親に送ったのですが、年老いた母親からの返事にはそれに対して何も触れていなかったのは仕方ないことだったかもしれません。母が私の話しかけに応えたと私は思っていますが、それはおそらく私と母の潜在意識のやりとりなのであって、私とのそうしたやりとりは、母親の顕在意識には表出しなかたのだろうと思われます。幽体離脱をして東京へ向かうことに対して、距離感は全くなく、ただゴォーという轟音がうなっているだけの暗闇の中に数秒間自分がいたという感覚だけがあったように思います。

 以上に述べたような顕著な幽体離脱のほかにも、寝ている肉体から浮かびあがって、慌てて肉体に戻るというような奇異な離脱体験もあります。幽体離脱は望ましいものではなく、私自身としては幽体離脱を非常に恐れました。と言うのは、肉体から抜けるときと戻るときに生じる、なんとも形容しがたいのですが、渦巻き状のものに引きずりこまれるような感覚が私には耐えがたく厭わしいものでしたし、また、肉体から抜けたあとで、自分の肉体に戻れるだろうかという危惧を私は常に感じていたからです。それで、ひんぱんに離脱が起こる状態になったとき、私は就寝前に、『絶対に幽体離脱が起こりませんように』と、真剣に神に祈ったものです。真剣な祈りが功を奏したのか、その後は幽体離脱が起こらないようになりましたが、今でもごくまれに経験することがあります。幽体離脱を体験して、自分は肉体ではないと理解したことの意義は非常に大きいのですが、何度体験しても、私にとっては嫌なものであることに変わりはありません。

 臨死体験の報告では、多くの事例において、『平安な気持ちになった』、『美しい花畑を見た』、『戻りたくなかった』、『天使を見た』などと体験者の肯定的なコメントが見出されますが、私の幽体離脱体験においては、<人間は肉体ではない>という真理を把握できたこと以外には、臨死体験のような肯定的なコメントを述べられるようなものではありませんでした。従って、冒頭に述べたように、臨死体験はあの世の際まで行って戻ってきたのであろうということであり、幽体離脱は単に自分が肉体から抜け出ることであると、私は個人的な解釈でその違いを定義したのです。今後、両者の違いを科学的な見地から説明される試みが為されてほしいと私は願っています。超心理学は欧米でもその研究が始められたばかりのようであり、そして物理ではない霊性という領域は、論理では容易に解明できない分野なのではないだろうかと、素人の私は勝手な推測をしています。けれども、精神世紀といわれる今世紀では、物質的には充分に満たされた状況にあるこの日本から、霊性領域に先鞭をつける科学者たちが多く現れ出てほしいと、私は心から願っています。

 

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