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精神世界へようこそ・輪廻転生と解脱

 解脱とは、<悟り>とも同義であり、生の真実を理解して、人間を束縛する輪廻転生から解放されることを言います。人間は迷いの中にあって誕生と死を繰り返しており、迷妄にある意識状態から覚醒しなければならないのです。この世に生きることは万人にとって大変なことであり、人間の生の全体を俯瞰してみれば、現象の物理界に生きることは容易ならざることに、すべての人が首肯するはずです。と言うのは、人生の折々に幸福や歓喜を少しばかり味わったとしても、そうした喜びの感情が長く続くことは決してあり得ず、悲哀や苦悩によって苛(さいな)まれ、人生の苦渋を味わって心ひそかに涙を流すときが誰にとっても必ず起こることであり、そしてまた、そうした困難な状況が人生では多々生じることだからです。この現象界は人間にとっての霊的進化の<修行の場>ですから、すべての人にとって苦の娑婆であり、この世で生涯を通して安楽な生を送ることなど決して望めないのです。年若い人々は、人生は希望に満ち溢れて前途洋々たるもののように思うかもしれませんが、いかに冨貴の家、由緒正しき家に生まれようとも、すべての人間がこの現象界では霊的進化を果たすために、人生における困難や苦悩や悲しみを経験して、生の意義を学ばなければならないように定められているのです。

 人間が生の本質に目覚めず、迷妄の中にある間は、人間は数多の転生を繰り返して意識進化を果たしていくことになります。そして、最終的に輪廻転生という束縛を離脱して、永遠の生に至ることが可能になるのです。仏教でいうニルヴァーナ、涅槃とは、人間の本性意識である高次の自我が寂滅(消滅)することではなく、絶対的な平安の内に自己を確立して永遠なる進化の道に入ることなのです。涅槃に自己を確立すれば、そのときにはもはや輪廻転生の束縛を受けることがなく、自由解放を達成したことになります。ですから、仏教では、煩悩という迷いを断ちきり、悟りを得て解脱し、涅槃寂静の境地に至ることを衆生に説くのです。生の真理を悟得して、涅槃という絶対平安の境地に至っても、高次の自我である霊は決して消滅することなく、輪廻転生という束縛を離れて至福の内に住しながら、永遠なる意識進化の道程をただひたすら上昇していくのでしょう。

 現世に生きる私たち人間の深奥に存在するものが本性意識という霊であり、表層の低次の自我がこの世に顕れ出ている私たち自身です。本性である高次の自我と表層の低次の自我との間で厳然たる区別があるわけではありませんが、自分自身であると思い込んでいる低次の自我は現世に生きている間だけ自己表明する束の間の存在です。低次の自我と高次の自我は別個のものであると誤解してはならないでしょう。それらはあくまで同一体なのですが、換言して、低次の自我とは霊の表層の意識、あるいは霊が持つ個性の一断面と言えるかもしれません。沢木興道禅師がその著書の中で、現世の人間とは瘡蓋(かさぶた)のようなものと述べておられたと思いますが、それは人間の在りようを言いえて妙です。もう少し解りやすく例をあげて言えば、今生で私はAという女性として生まれてきましたが、私の本体はXという高次の自我である霊としましょう。本来の私であるXは、過去生においてBという女性で人生を過ごし、その前の過去生においてはCという男性で人生を送ったかもしれません。ですから、Aという個性も、Bという個性も、Cという個性も、それぞれの人生を生き抜いたり、生き抜いていく人間としての各個人ですが、Aも、Bも、Cも、現世に一回かぎり現れ出た個性であって、霊であるXが表層の低次の自我を介して意識進化を果たしている実体なのです。AはBそのものが生まれ変わったものではなく、過去生においてXがBとして生きたのであり、現在はXがAとして現世に生まれ出ているのです。従って、人間各個人の奥底に存在する高次の自我が過去、現在、未来という次元を超えて連綿と生き通す霊という実体であり、霊は現象の生死に対して些かも影響を受けることはありません。けれども、この現象世界に生まれ出てくるかぎりにおいては、その意識が迷妄の内にあって覚醒していませんから、高次の自我である霊も輪廻転生の束縛を受けているのです。

 物理現象界で人間生を生きることは、基本的には誰にとっても苛酷なものですが、しかし世の中には、この現世の生が楽しいと感じている人たちも存外に多く存在していることでしょう。また、この世に生きることは大変であり、現世で生きること自体がうとましいと感じたりしている人々も多く存在することでしょう。人間は誰しも若いうちは外向的であり、世の中の仕組みもまた、興味深く面白いものであって、生きていること自体が楽しいと感じるものでしょうが、年齢を重ねるごとに人生について深く考えるようになり、生の意義や生きることの目的を知りたいと願ったり、あるいは生の空しさを感じたりして、明確な答えが得られそうもない心の問いかけにとまどうものです。しかし、概して生きることに飽き飽きした感情を抱いている人や生の真実を求めて宗教にその答えを見出そうとしている人ほど、輪廻転生から解脱する機縁に近づいていると言えそうです。さりとて、そのような人々にとって輪廻転生の輪が自動的にほどけるというわけではなく、解脱を達成するためには、真理を求めて相当な意識進化を図らなければ、自己の心の奥底から湧き起こる解脱の願望を成就することは決して可能なことではないでしょう。

 輪廻転生という、人がこの世に生まれ出るために誕生と死を幾度も経巡ることは大変に辛いことであろうと思われます。親愛なる人々と育んだ友情や親密な関係を断ち切られてしまう死はもちろんのこと、因業や宿世の縁によってこの世における両親となる人たちのもとに生を享けて誕生し、無心なる赤子から頑是ない幼少期を経て健やかな児童期に至るまでの間、親や周囲の大人たちの庇護を受けないと無事に成長することさえままならない子供時代の生そのものが脆(もろ)く危なげであり、また、誕生と死そのものに付きまとうネガティヴな思いはすべての人間の心の中に深く根づいているものでしょう。特に、死については人々が忌み嫌うものであり、すべての人が健やかな長命を望むものです。できるものならば、若々しいままで千年も万年も生き続けたいと思うのがすべての人間の本心でしょう。けれど、この現象世界に人間として生きるかぎり、それは全く不可能なことです。それ以上に、死はいつ何時とも人に訪れるか解らず、実際には人間は常に死と対峙しているのであり、死によって生は捕捉されているのです。いつ如何なるときであっても、死によって一切の関係が瞬時に断ち切られてしまう現世の人間の生とは、それほどまでに不確かなものなのです。ですから、人は現象界という現世に生きることの空しさを感じて、宗教に救いを求めるのでしょう。宗教とは、人間の霊性という意識そのものに関わりますので、物質から精神という霊性に目を転じた人々にとっては、現世から脱却する大いなる方便であり、そしてまた、意識という霊性に目を開けば開くほどに幽玄なる霊の真理に目覚めて、不可思議な生というものの中で真実の自己を見出して、恐怖も不安も消滅した安心立命の境地に達するのです。

 この世で物質や快楽を追求して、現世の生が楽しいと思っている物欲的な人間たちにとっては、輪廻転生から解脱するということなどは夢のまた夢でしょう。そのような人々にとっては、生きることも迷妄という夢の中、死もまた夢、現象の生死を超えた永遠の生などは、無明の眠りの中にある、仏法に縁なき衆生には決して到達しえない億劫隔たる彼岸であることでしょう。けれど、この世に生きることは大変なことであると心から思い、輪廻転生から解脱を渇望する人は、それゆえ、今後は瞬時もおろそかにすることなく日々を大切に生きて、霊性において向上する生を導いていくように心がけるべきでしょう。


 

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